第45話 楽しませてやれⅠ
「い、今だ! 取り押さえろ!」
俺に反撃の意思がないと理解した途端、男たちが群がってきた。数人がかりで組み伏せられ、地面に顔を押しつけられる。背中に乗りあげた誰かの膝が肺を圧迫して苦しい。
「手こずらせやがって、このクソ野郎が!」
全身に容赦のない蹴りと踏みつけが降り注ぐ。さっきまで遠巻きに石を投げてただけの連中までもが、身の安全が保障された暴力には嬉々として参加する。歯をくいしばり、腕で頭を守り、腹に力をこめて急所へのダメージをできるだけ和らげる。致命的な損傷だけは避けなきゃならない。この器をいまここで廃品にするわけにはいかない。俺は諦めたわけじゃない。
「やめて! もうやめてよ! 立って! 戦ってよネイト!」
「ははははっ」
サラヴェリーナの叫び声とニクラスの笑い声が聞こえる。……言われなくても立ち上がりたいし、殴り返したい。全員まとめて黙らせてやりてえよ。実際そのほうがラクで、俺ひとりなら生き延びることができるだろうな。この身体なら骨を何本か犠牲にするくらいで包囲を抜けられるかもしれない。でも、俺は動けない。俺が動けばニクラスの指が動き、死ぬことになるのはお前だからだ。
土と血の味が口の中に広がる。どんなに筋肉を固めていても肝臓や肺にブーツの先がめり込めば強制的に呼吸をさせられる。弛緩した体に痛みがなだれ込む。ひどい痛みだ。そう、痛み。痛みに集中すれば余計な感情が削ぎ落ちる。世界が単純になる。
生きたいか? 死にたいか? そのためには誰と交渉すべきか?
「いい加減にしなあんたたち! ニクラス、その魔族は広場で火あぶりにするよ。エリオ、コンランド、さっさとそいつを始末しちまいな!」
ベルジェが路上のゲロでも見るような一瞥を俺にくれ、冷たい声で処刑のオーダーを下す。二人の息子たちが剣を手に歩み寄ってくる。カウントダウンが始まっている。皆の期待を一身に浴びて、感謝祭の七面鳥のように俺の首が切り落とされるのを待つカウントダウンだ。
命令系統は見えている。処刑を急ぐ母。それに従う忠実な二人の息子たち。離れたところで村人たちと火あぶりの段取りを相談している父。こいつらは全員、目的のために同じ方向を見ている。一秒でも長くこの場を生きながらえる方法は、こいつらに歯向かうことでも命乞いをすることでもない。群れと同じ方向を見ていないやつを探し出すことだ。そしてそれはすぐに見つかる、目の前にいるからな。
サラヴェリーナを辱めたくてうずうずしていて、俺をもっと痛めつけたくてしょうがないやつ。俺たちふたりの命綱を握っているのは、ニクラスだけだ。
「……っ、げほっ……。……っよお、ニクラス……」
頭を押さえつけてくる手に逆らって顔を上げ、喉に絡む血を吐き捨てた。短剣をサラの喉にあて、今この瞬間だけは村の英雄にでもなったつもりのニクラスを笑ってやる。
「てめえ、誰が勝手に喋っていいって――」
「結局……っ、魔族の女ひとり……満足、させられなかったな……?」
ニクラスの唇がひくつく。
暴力は便利だ。ほとんど万能といっていい。必要以上に使いはしないが、暴力のもつ圧倒的な制圧の力は認めている。そして、暴力と同じくらい万能で、人間の心をかき乱し、思考停止にさせられるものがひとつある――恥辱だ。誰にも知られたくない恥を暴かれそうになったとき、恥をかかされたと悟ったとき、人間の前頭葉はフリーズして扁桃体が暴走を始める。これは人が人である限り、逃れようのない生物学的なバグ。
「なあ、皆に聞かせてやれよ……ニクラス」
ゆっくり息を吐く。痛みで声が震えそうになるのを、含み笑いに変えてごまかす。言葉を研ぎ澄ませる。こいつの最も抉られたくない部分を、正確に抉るために。
「怖かったのは、本当に魔族か……? 」
ニクラスの目が見開かれる。周囲の村人たちは俺が何を口走っているのか理解できていない。だが、こいつだけは違う。
「それとも……自分が本物の男じゃねえって、女に笑われて思い知らされた瞬間か……?」
「――っ!」
勝者の笑みが消えた。フリーズだ。俺にはわかる。こいつはいま、あの小屋の中にいる。脳内であの屈辱が鮮明に蘇っている。萎びた股間、嗤う瞳、力に屈し、媚びた自分。
恥という感情はあまりにも苦しすぎて長くは耐えられない。思考のシャットダウンの後に訪れるもの、それは自分の尊厳を守るための激しい怒り。原始的な殺意。小屋での反応を思い起こせば、こいつほどわかりやすい例もいない。




