第43話 ナショジオⅡ
「ひっ……」
「母さん!」
ベルジェが一歩、後ずさる。その背後から、甲高く間抜けな声が割り込んだ。
「母さん惑わされるなよ! その女、サキュバスなんだ! 俺たちは誘惑されたんだよ!」
「坊や……」
喋るたびに欠けた歯の隙間から漏れる空気の音。血の混じった飛沫を飛ばしながら、ニクラスが必死にママに縋りつく。
「サキュバスは男の精力を喰らう化け物なんだろ!? 妙な力で俺たちを誘ったんだ! あれは魔法だよ! 抵抗できなかった、怖かったんだ母さん! 好きで魔族なんかに関わるわけ無いだろ! それに……それにこの男! 無抵抗の俺の仲間を……カロたちを殺したんだぞ! 俺だって殺されかけた! 許せるのかよ!」
このファッキンマザコンくそチワワ野郎。自分たちが何をしようとしていたかには一言も触れず、都合の悪い部分だけを削ぎ落として被害者ヅラしやがる。いるよな、こういうやつ。俺の世界にも腐るほどいた。加害者のくせに被害者のフリをして、うわべだけを信じる蒙昧な馬鹿どもを味方につけて逃げ切ろうとする、卑怯で臆病なゴミカス野郎。
三流品以下の喜劇を見せられている気分だ。脳内で幻聴の観客の笑い声が響き渡る。シラフじゃとても見ていられない、放送事故レベルの駄作だ。
鼻の布を押さえながら涙目で怒鳴り散らす息子の訴えに、ベルジェがふたたび顔を真っ赤にしてサラヴェリーナを睨んだ。
「この不潔な淫魔め……っ! 私の村を、私の息子を汚してタダで済むと――」
「どけお前たち! ……ベルジェ! ニクラス!」
また野次馬の輪の外から声が響き、息を切らした男たちが割って入ってきた。体格のいい中年男――こいつはおそらくベルジェの夫。その後ろから、ニクラスに似た顔立ちの男が二人。これは残りの息子たちか。
「あんたたち!」
「小屋を確認してきた。ベルジェ、ニクラスの言った通り、あれは虐殺だ……!」
吐き捨てるように言った夫の顔は、悲しみよりも憎悪に満ちている。
「四人も殺られた……! ちくしょう、こいつら許せねえ!!」
「母さん! 放っておいたらまた村の誰かが殺されるぞ!」
まくしたてる息子たちの声に、村人たちのヒステリーが再燃しはじめる。誰かの叫びが別の誰かを煽り、群衆がひとつの狂った生き物になっていく。
「この人殺し共! 俺たちを喰う気なんだ!」
「火あぶりよ! いますぐ火あぶりにして!」
「殺せ!逃がすな! 女神さまの裁きを受けろ!」
「償わせろ! 化け物を地獄へ送り返せ!」
勘弁してくれ。俺はいつのまにかナショナルジオグラフィックの再現ドラマに紛れ込んだのか? タイトルは「魔女狩りの恐ろしい歴史に迫る」? 十五世紀の悪名高いイベントを疑似体験できるのはなかなか感慨深いが、そんなのに浸る間もなくしゃしゃり出てきた兄弟が剣を抜いて俺たちへ向ける。怒号が渦巻くなか、反射的に俺の手も腰の剣に伸び――そこに望み通りの感触がないことを知った。鞘が空だ。宿屋でサラヴェリーナを庇っているあいだに奪われたのかもしれない。畜生。
「来い魔族め! 火あぶりにしてやる!」
サラヴェリーナに掴みかかってきた男の顔面に拳を叩き込む。次の男の喉仏を潰し、その次の男の膝を蹴り折る。次が来る。そのまた次も。攻防を繰り返しながらなんとか立ち上がるが、体勢を整えたところで完全に囲まれている。背に隠して庇うことも出来ない。
「くそっ、次から次へと……」
俺は殺しに関して、良い腕を持っていると自負している。俺自身の自由と両親の名誉が失われるようなヘマはしない。そのために心血を注いで必要な技術を身に着けてきた。殺される理由があるやつしか殺さなかったし、一切の努力を惜しまなかった。だけど、磨いてきたその技術の中に誰かを守りながら戦う方法は含まれていない。
この身体の剣技に頼れないままサラヴェリーナを庇い続けることは不可能だ。わかりきっている。たしかに優秀な身体をもらった、でもそれだけだ。俺は最強の勇者のポジションじゃない。数には勝てない。剣を奪うか、サラヴェリーナを逃がすか。どちらも相手に大きな隙が生まれなければ成立せず、こちらが隙を見せれば終わりだ。誰かひとりに集中すれば死角から別の腕が伸びてくる。蹴られ、殴られ、あり合わせの鈍器や刃物が振り下ろされる。
「ネイト……これじゃあもう……」
「黙ってろ! いま考えてる、いいから絶対に離れるなよ!」
「……っ、どうして……」
どうして諦めないの。聞こえた問いには答えない。どうして? 諦めてきたからだ、俺はさんざん諦めてきた。理解できず、理解されないことを受け入れてきた。異世界まできて、俺と俺のものを否定されたまま死んでたまるか。奪われてたまるかよ。諦めるくらいなら、それならいっそ全部――。




