第38話 はやくⅡ
「はぁ……」
重いため息をひとつ吐いて首から手を離した。作業台の端に両手をつき、縁を強く握りしめる。無意識にサラヴェリーナを囲って逃げ場を塞ぐ形になっているが、ダメなものダメ。怪我人に手を出す絵面を俺の美学が許さない。せっかく感じられる性の悦びと愉しみが、ただの卑俗で汚らわしい衝動に成り下がっちまう。ああくそ。じゃあどうする? この村に娼婦はいるのか? 考えるまでもねえな、男がいるならそいつらの鬱屈を金で引き受ける役が必ずいる。買って熱を冷ますか。これ以上に手っ取り早いものはない。きっとあの酒場にでも行けば――いやいや、待て待て。こんな村さっさと出ていくんじゃねえのか? 落ちつけ。面倒事を増やすな、まぬけ。
「傷、そんなに気になる……?」
「うん……? まあ、それなりに……」
気になる。それさえなければ今ごろお前は飯にありつけている。俺の葛藤を知ってか知らずか、サラヴェリーナは困り顔で自分の腫れた頬を押さえた。
「仕方ないわね。いまはお腹が空いてるから使いたくないんだけど……。これくらいなら」
「!」
頬と指の隙間から、淡い金色の光が柔らかく漏れ出す。驚いて見ているとサラヴェリーナはその手を徐々に唇、胸元へと滑らせていった。光が通り過ぎた後には、傷ひとつない滑らかな肌が現れる。腫れも、切り傷も、痣も、すべてが嘘のように消えていた。
「回復魔法ってやつか? 実際に見るとすげえな。非科学的だわ……」
傷のあった場所を触って確かめる。感触も体温も、なにもかもが元通りだ。
「効果は似ているけれど正確には違うわ。回復魔法は、対象の治癒能力を爆発的に活性化させて傷や病を癒す力。エネルギー源はほかのほとんどの魔法と同じく、術者の持つ魔力や自然の中に存在するマナ。あなたの世界に魔法はないのよね? ここまでは理解できる?」
「なんとなく」
「私のこれ……〝リヴァート〟は復元魔法よ。術者が認識している完璧な状態へ対象を復元できるの。回復魔法と違って傷跡は残らないし、老化や病気だってなかったことにできる。ただし、エネルギー源は術者の生命力」
「生命力……。なるほど、使用コストが高すぎるのか。万能に見えるけど、使いすぎれば術者の命が危ない?」
「そう。やっぱり呑み込みがはやいのね。残念だけどその通りよ。多用はできないし遡りすぎても負担が大きすぎてダメ」
サラヴェリーナが肩をすくめる。誇りと諦めが混在しているような複雑な表情だ。
「復元魔法は高位の吸精型種族――サキュバスやインキュバスのような、生命力を直接操作する能力に長けた血統に稀に発現する……らしいわ。けど、純血の魔族じゃない私には正直、身に余る力なのよね」
「らしい、ってのは?」
「くわしく教えてくれる人がいないの。私は子供のころ修道院に預けられたから両親の素性をほとんど知らないのよ。覚えているのは母がサキュバスで父が人間だったことくらいかしら。そもそもほとんどのサキュバスは人間を餌かオモチャとしか見ていないから、子を孕むこと自体がめずらしいのよね。ハーフサキュバスみたいな半端ものはどこの種族にも馴染めなくて大変なんだから」
「へえ。それで?」
先を促しながら、手持ち無沙汰になった指へブロンドの毛先を巻きつける。砂利や埃のせいできしんでいる。これはブラッシングしなおしだ。というか、いまあまり頭を使わせないでくれ。血が別の方向へ出張してるんだ。
「勇者が選ばれる前……。まだ種族間の均衡が保たれていた頃には、ギルドに所属して冒険者パーティーの後方支援として雇われていたこともあるのよ? だけど、私の本分って誘惑なのよね。支援役として本領発揮する前に、パーティーがいつのまにか堕落しちゃうの。全員。結局どこに行ってもお払い箱……どうしろっていうのかしら」
最後だけ、わざとらしく首を振って演技がかったため息。被害者面をしているが、目が笑っている。
「パーティーの仲間に手を出さなきゃいいだけじゃねえのか?」
「……仲間しかいないところでお腹がすいたらどうするの? ごちそうを前に餓死しろっていうのかしら?」
「それもそうか。生存本能には逆らえないよな。俺も同じ」
「ええ、わかってくれて嬉しいわネイト」
こいつは捕食者。きっと半端ものの自分ごときに堕ちていく冒険者御一行を見て、優越感に浸ることだってあっただろう。なかなかいい趣味だな。俺は殺し。こいつはセックス。条件の揃ったネズミを前にして爪を研がずにはいられない。




