第23話 すげえ自制心だなⅠ
樽から湯を汲んでは、泡立ちの悪い石鹸で浮かせた汗や脂を洗い流す。すすいでもすすいでも灰色に濁る湯。どれだけ繰り返したか数えるのもやめた頃、ようやく人間らしい色つやを取り戻した髪と肌を拝むことができた。やはり意図的に暗く汚されていたらしい髪の色は下の毛と同じく燃えるような赤さび色。古い壁紙よろしく乾いた泥や着色料が剥がれ落ちた肌は、クマやひび割れと無縁の健康的な血色をしていた。
「ふーん……、これはなかなか……」
良い感じだ、張りもあるし毛穴も閉まっている。最初に抱いた印象よりずっと若い。問題はここからだな。厄介な黄ばみの正体は植物のヤニか特殊な塗料か。濡らした布の端を指に巻きつけ、一本ずつ丹念に磨いていく。はじめはびくともしなかったが根気強く続けているうちに削り取られ、不意に本来の輝きを取り戻す。すべてを磨き終え、口をゆすいでから鏡に向かって唇の端を吊り上げた。欠けも虫歯もない完璧なアーチを描く白い歯。どんな時代でも口の中ってのは健康と豊かさを測るバロメーター、金と余裕の象徴だ。この世界ならなおさら育った環境の差が顕著に出るだろう。間違いなく、こいつは健康優良児。この歯は、きちんと躾けられた階級の人間であることの証明。本気でああいう連中に紛れるなら一本や二本は抜いとかねえと。詰めが甘いぜ。
「さて、残るは……」
このみっともなく伸びた髭。ナイフの刃を温め、濡らした肌へ慎重に滑らせていく。角度は浅く、刃が厚いぶん力加減はシビア。父さんの行きつけだった理髪店でたまにやってもらうクラシックなシェービングの記憶を頼りに顎のラインをなぞる。刃を動かすたび、ざり、と小さな音がして、この男の繕った化けの皮が剥がされていく。ざらついた感触や作り物の影を消し去り、最後の仕上げに顔を洗う。濡れた髪をかき上げて、曇った銀色に向き合った。
「……ははっ、どこの坊ちゃんだよお前は」
薄汚い傭兵崩れの姿はもうどこにもない。皮肉や劣等感とも違う、力の抜けた本音の笑いがこぼれる。これは親近感。隠しきれない毛並みの良さを感じさせる、精悍な顔をした男が同じく不遜な笑みを返してきた。
***
「サラヴェリーナ!」
勢いよく扉を開けて部屋に乗り込むと、物資を確認していたらしいサラヴェリーナが短い悲鳴をあげた。椅子から立ち上がり、俺から距離を取るように壁際まで後ずさる。
「な、な、なに? なんなの? なんで裸!? 誰なのあなた、部屋を間違えてるわ……!」
「シャツは洗って干してる、部屋は間違えてねえよ。自分のご主人様がわかんねえのか? 薄情な奴隷だな」
「!?」
困惑の表情を浮かべたまま壁際から離れようとしないサラヴェリーナにこちらから歩み寄った。床板を踏むたび、適当に拭いただけの髪から水滴が滴り落ちる。慌てて横にすり抜けようとするのを予測して、壁に手をつき進路を塞ぐ。腕と壁に囲われ逃げ場を失ったサラヴェリーナがおずおずと俺の顔を見上げてきた。何度も瞳を瞬かせているうちに理解が追いついてきたようで、怯えが気付きに変わり、驚きに変わり、次第に警戒を解いていく。
「ネ……ネイトなの……? 本当に? あの愚かで無責任で傲慢で救いようのない異世界人のネイト……?」
「ああ。面影あるだろ? 首輪締めて証明してやろうか?」
顎をしゃくって奴隷の紋様を指し示すと、サラヴェリーナは慌てて自分の首元を手で隠した。それから髭を落としてすっきりした顔、裸の上半身、ズボンとブーツだけ穿いた下半身へとゆっくり視線を下げていく。
「信じられないわ……あんなに不潔でみすぼらしくて、見苦しく汚濁した男だったのに……」
「お前そう思いながらずっと黙ってたの? すげえ自制心だな……」
軽口を叩きながらもサラヴェリーナの喉が小さく動いて、何かを堪えるように生唾を飲み込む姿を見逃さなかった。無意識の仕草ほど雄弁なものはない。首筋から胸板へ水滴が流れ落ちるたびに、飢えた視線が肌の上を彷徨う。見ちゃいけないと思いながらも目が離せないご様子。正直、めちゃくちゃ気分が良い。
「で? 今の俺の見た目はどうだ。この顔と体、この世界じゃどれくらい価値がある?」




