第22話 偽装Ⅱ
扉を開けた途端に、熱と湿気が肌にまとわりつく。濡れた木材のカビ臭さと虫除けだか匂い消しだかで吊り下げられたハーブの匂いが鼻につくが、思っていたよりはまともな小屋だった。入口横の棚にタオル代わりの布が数枚用意され、中央には人一人がちょうど浸かれるくらいの樽風呂。隅に鏡が掛けられ、木桶や水差しが置かれている。これならきちんと銀貨一枚分の対価は受け取れそうだ。湯気の立つ樽風呂の底からくぐもった赤い光が漏れていて、覗いてみると木炭のような小石が大量に敷かれている。薪を燃やさずこの石を熱源にして湯を温めているらしい。これがサラヴェリーナの言っていたルミナサイトとやらだろうか。 煙や灰を出さず火の始末もいらないとは、便利なもんだな。
「おお……?」
シャツとブーツとズボンを脱ぎ、下着をおろしたところで思わず声が漏れた。なにとは言わないが、立派だ。武器庫でも開けた気分だぜ。この身体は本当に期待を裏切らねえな。そしてその、なにとは言わないが堂々たるそれの根本を覆う茂みは燃えるような赤さび色をしていた。丁寧に陰毛を染めあげる変態的センスの持ち主じゃなければ、これがこいつの地毛の色。ファンタジーだな。男の股ぐらでファンタジーを体感する日が来るとは思わなかった。なんて世界だ。
「……ピンクとか、発光タイプじゃないだけマシか。夜道で光る股間は死ねる……」
持ち前の順応性をフル動員させながら鏡の前へ移動する。ようやくこの世界の俺とご対面、きちんと挨拶しなくちゃな。水滴に覆われた表面を拭きとると、映るのはギリシャ彫刻のように鍛え上げられた完璧な肉体。研ぎ澄まされた筋肉、無駄のない皮下脂肪、芯の通った姿勢。あちこちに残る傷跡が戦いを生き抜いてきた過去を語る。こいつの詰んできた鍛錬に比べれば俺のジム通いなんて自己愛だけのオナニーみてえなもんだろうな。
この身体なら、今まで以上に効率よく命を刈り取れる。最高の武器を手に入れた。それは間違いない。……なのに。
「……なんて汚ねえツラだよ……」
首から上が、最悪。 顔にかかる、脂でベタついた鬱陶しい髪を指先でつまむ。煤でもかぶったみてえに赤黒く、もつれ、指を通すのも難しい。目の下には濃いクマ、口元から顎にかけては伸び放題の無精髭に覆われ、肌はくすんでひび割れている。口を開けばおぞましく黄ばんだ歯、人のことを便器だなんて笑えなかった。最高級のオーダーメイドスーツに便所スリッパを合わせたような有り様。ひどすぎる。なんなんだこいつは? 見えねえとこはどこも完璧に仕上がってんのに、なんで肝心の見えてるところがこのザマなんだよ。
「そうか……最近は、すげー強いのにデブとかブサイクみたいな転生ものも……あるな……」
自分がそのタイプに当てはまる可能性なんて考えもしなかった。サラヴェリーナの態度だってそんなに悪くはなかっただろ……いや、あいつは性質上、ナニさえついていれば男の美醜なんてどうでもいいのかもしれない。そもそも奴隷の身だ、主人の見た目についてとやかく言える立場じゃないな。それ以外の奴らの態度は……ああ、たしかにこの汚ねえツラに見合ったものだった。女主人の不愉快な対応にも納得だ。
「まあ……、うん。なっちまったもんは、仕方ねえよ……」
元の世界でさんざん利用してきた容姿の良さを失ったのは痛い。だが汚ねえツラには汚ねえツラなりの生き方があるはず、それを探すさ。殺せればいいんだ。見た目を使って釣り上げるのが難しくなったくらいで俺の愉しみは奪えない。軽い笑い混じりに、もう一度鏡に映る自分を見つめる。髪の隙間からのぞく瞳の色はアンバー。金と茶色の虹彩。静かで、疲れていて、本当に野良犬みたいだ。それから――
「……?」
それから、やたらと澄んでいる。クスリに殺しにレイプ、暴力と汚辱にまみれた俺の知っているクズ共とはまるで違う。違和感。この瞳は絶望も堕落もしていない。おかしい。何かが、決定的に噛み合っていない。
「……見えてるとこだけ、ねえ」
汚れた髪。伸びた髭。くすんだ歯。不潔でみすぼらしい風体。見れば見るほど、どれもがまるで自分は薄汚い傭兵崩れだと必死にアピールしているよう。
「気色悪ぃ」「はじめから気に食わなかった」トカゲ男の言葉が頭をよぎる。同感だ、本物のクズにはわかるんだよ。諦めと自己嫌悪に飼い慣らされた負け犬の群れの中に、まったく違う匂いのする獣が紛れ込んでいれば噛み殺したくもなる。あいつの嗅覚は正しかった。誰かの秘密の綻びを探り当てたときの、ほの暗い優越感。自然と口角が吊り上がるのを感じる。なるほど、これは。
「――擬装か」
どういう事情であの賊どもに紛れ込んでいたのかは知らねえが、こいつはこっち側の人間じゃない。瞳に光を残しているまがい物だ。ナイフを取り出し鏡の中の男に刃先を突きつける。面白いことになってきた。一皮剥けば何がでてくるか、確かめさせてもらおう。




