9-1. 粉物戦争 ―完成は混ぜるか、重ねるか―
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春の草原は、風がやわらかい。
削られた山の中腹、その邸宅から少し離れた高台には、陽の光をたっぷり吸った若草が広がっていた。
遠くで鳥が鳴き、空はどこまでも青い。
敷かれた大きなシートの上には籠が並び、野菜、肉、卵、調味料――そして、やたらと大量の小麦粉が積まれている。
「よし!」
潮音が両手を打った。
「今日は外で粉物パーティーだ!」
「ふん。悪くないわね」
カレンが腕を組んだまま顎を上げる。
その足元には、すでに炭がきれいに積まれていた。彼女が指先を弾くと、ぼっ、と小さな炎が生まれ、炭へ吸い込まれるように燃え移る。ぱち、ぱち、と炭が弾け、ほどなく鉄板の下で火が赤く息をし始めた。
熱が立ち上がり、空気がわずかに揺れる。
タクトが帽子のつばを押さえて笑う。
「いい風だな。煙もちゃんと流れてる」
「……燃焼効率、良好」
真白が鉄板の温まり具合を見ながら、淡々と呟く。
その横で夜翔は、黙って鉄板を見下ろしていた。
春の光を受けた黒衣が風に揺れる。
やがて彼は、舞台に立つ剣士のような妙に決まった所作で一歩前へ出た。
「……舞台は整った」
「外でやると余計に恥ずかしいからやめろって」
潮音が即座に突っ込む。
ジンが「みゅっ」と鳴いて、シートの上を跳ねた。
潮音は、大きな袋をどさりと開けた。
真っ白な小麦粉が、春の光を受けてさらりときらめく。
「ルールは簡単だ」
彼は妙にいい笑顔で言った。
「各自、好きな粉物を作る。焼いたら半分は自分で食う。もう半分は――」
一拍、間を置く。
「くじで決めた相手に食わせる」
沈黙。
「……?」
真白が顔を上げる。
「最悪なんだけど」
カレンが露骨に眉をひそめた。
「面白そうじゃん」
タクトは楽しげだ。
夜翔は低く息を吐いた。
「……逃れられぬ、というわけか。いいだろう、俺が逃げたら腹を切ろう」
「食事でそんな覚悟を決めるな!」
潮音が叫ぶ。
だがもう遅い。
各自の戦いは始まっていた。
◆
夜翔は、無言で粉を器に入れ、水を注いだ。
その手つきに迷いはない。
箸で混ぜ、粘度を確かめ、刻んだキャベツを静かに落とす。
豚肉、青のり、少量の紅生姜。
どれも過不足がない。
無駄な飾りを拒むように、材料はきれいに一つへまとめられていく。
「混ぜることで、定義は完成する」
夜翔は低く告げた。
「粉、水、具材。それぞれの輪郭は未熟だ。だが一つに収束した時、初めて料理は理を持つ」
「はぁ!?何その理屈!」
即座にカレンが噛みつく。
彼女は別のボウルに生地を薄く作り、鉄板に円を描くように流した。
そこへ山のようなキャベツ、もやし、豚肉、さらに麺まで積み上げていく。
「見なさいよ、この層!」
鉄板の上にそびえる小さな山から、野菜の青い香りと豚脂の熱い匂いが立ち上る。
「全部を混ぜるなんて雑よ!順番があるから美しいの!下の生地が土台、野菜が甘み、麺が香ばしさ、卵が全体を包む――完成っていうのは、そういう構造のことよ!」
「……重い」
真白がぼそりと切り捨てた。
彼女の前にある生地は、他の誰よりもゆるい。出汁の香りがふわりと立つ。
粉よりも液体が主役のようなそれを、真白は小さな丸に落としていく。
中には小さく切った蛸。
表面が白くふるふると固まり、焼き色はほとんどつかない。
「……粉物は、もっと軽くていい。出汁でほどけるくらいでいい」
「たこ焼きか?」
潮音が覗き込む。
「……明石焼き。たこ焼きより、合理的」
真白は短く返した。
鍋の出汁に浸せば、湯気とともに鰹の香りが立つ。
たしかに旨そうだが、粉物戦争の主題としてはやけに静かだ。
その横でタクトは、ごま油を鉄板に落としていた。
じゅわっ、と音が鳴る。
刻んだニラ、薄切りの野菜、小麦の生地。
ごま油の香ばしい香りが春風に乗って広がった。
「へへっ、やっぱり焼きってのは音と匂いだろ」
タクトが笑う。
「パリッと焼ける瞬間、鼻に抜ける香り。味はそこから始まるんだよ。完成なんて固定しなくていい。その時いちばん気持ちいい形が、正解だ」
「風向き任せの料理ね」
カレンが鼻で笑う。
「それも悪くないさ」
タクトは肩をすくめた。
そして最後に、潮音が満を持して立ち上がる。
「俺はこれだ!」
鉄板に落ちたのは、妙に甘い香りのする生地だった。
カレンの眉がぴくりと動く。
「……なんで甘い匂いがするのよ!」
「カナダ風お好み焼き!」
誇らしげに潮音が言った。
「甘じょっぱい文化ってあるだろ?メープルシロップを生地に少し混ぜる!で、上にバター!」
じゅうううう、と音を立ててバターが溶ける。香りだけなら、ものすごく魅力的だ。
だが潮音は止まらない。
「さらにベーコン!チーズ!最後にメープルを追いがけ!」
「待ちなさい」
カレンが低く言う。
「ここで止まれ」
「まだだって!コクが足りないからマヨも――」
「「「「やめろ」」」」
全員の声が重なった。
ジンだけが「みゅ?」と首を傾げている。
◆
やがて鉄板の上は、香りの戦場になった。
ソースの甘い匂い。
焦げた豚肉の脂。
出汁のやさしい湯気。
ごま油の厚い香り。
そして、メープルとチーズとマヨが混ざり合った、潮音の謎の暴力。
「……空気が死んでる」
真白が真顔で言った。
「風が濁るって、こういう時に使うんだな……」
タクトが苦笑する。
「燃やすわよ」
カレンの目が本気だ。
「待て待て待て!見た目はともかく、食えばわかるって!」
潮音は必死だった。
その時、潮音が割り箸を一本ずつ握って立ち上がった。
「よし、順番決めるぞ!」
先端に印のついた割り箸が、運命のように並べられる。
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