9-2. 粉物戦争 ―完成は混ぜるか、重ねるか―
◆
「よし、順番決めるぞ!」
先端に印のついた割り箸が、運命のように並べられる。
最初に引いたのは夜翔だった。
「……来い」
妙に厳かな声で言うなと誰もが思ったが、口には出さない。
夜翔が次のくじを引く。
向かった先は――潮音の皿だった。
沈黙。
「終わったわね」
カレンが腕を組んだ。
真白は露骨に顔をしかめる。
潮音はなぜか期待に満ちている。
夜翔は黙って箸を取り、潮音の“カナダ風お好み焼き”を口へ運んだ。
一口。
止まる。
春風さえ、一瞬だけ息を潜めたようだった。
「……甘味が強い」
低い声が落ちる。
「だろ?」
潮音が身を乗り出す。
もう一口。
夜翔は静かに咀嚼し、やがて言った。
「だが……線はある」
「……嘘でしょ」
「マジで言ってんの!?」
真白とカレンの声が重なる。
夜翔は真顔だった。
「ベーコンの塩味、メープルの甘味、マヨの脂。混沌ではある。だが、崩壊はしていない。かろうじて、一つの方向へ収束している」
「ほら見ろ!」
潮音がガッツポーズをする。
「かろうじて、だけどな」
タクトが笑った。
続いてカレンがくじを引き、真白の明石焼きを手にする。
出汁に浸し、一口。
「……軽いわね」
意外そうに呟く。
「外側の主張が薄い。なのに中の蛸と出汁だけはちゃんと残る……でも」
彼女は眉を寄せた。
「私はもっと、焼いた“瞬間”が欲しいわ」
「……予想通り」
真白は淡々としている。
次に真白は、タクトのチヂミを引いた。ぱりっとした表面を小さく割り、たれに浸して口へ運ぶ。
「……香りはいい」
「だろ?」
「……でも、油は多い」
「そこがうまいんだって」
タクトが抗議する。
潮音はカレンの広島焼きを引いた。
断面は美しい。
層になったキャベツの甘み、麺の香ばしさ、卵のまろやかさ。
ひと口食べた瞬間、潮音の顔が素直に緩む。
「……うまっ」
「当然よ」
カレンが胸を張る。
だが潮音は、余計なことを言った。
「これ、メープルちょっとかけたら――」
「「「「やめろ!!」」」」
今度は全員が本気で叫んだ。
◆
その時だった。
風が、ふっと止む。
次の瞬間、空から薔薇の花弁が降った。
「ホーッホッホッホッホッ!!相変わらず野蛮な食卓ですこと!!」
「うわ、出た」
潮音が素で言った。
ローザリア・フローレンスが、いつものように大仰な笑いと共に現れる。
その後ろで、イヴァル・ヴォルグラスは心底嫌そうな顔をしていた。
「……帰りたい」
「帰しませんわよ!」
ローザリアが腕を広げる。
魔法陣が浮かび、その中から現れたのは、薄く焼かれた円盤だった。
焦げ目のついた生地。
溶けたチーズ。
赤いトマトソース。
バジルの香り。
たしかに美味そうだ。
「ご覧なさい!」
ローザリアが誇らしげに言い放つ。
「これこそが粉物の頂点――ピッツァですわ!!」
「ピザじゃん」
潮音が即答した。
「ピッツァですわ!!」
「……定義が異なる」
夜翔が静かに言う。
「は?」
「それは別料理だ」
真白も続ける。
「……議題逸脱」
「いやまあ、美味しそうではあるけど今その話じゃないのよ」
カレンも切り捨てる。
「風向き的にちょっとズレてるな」
タクトが苦笑し、ジンが「みゅ?」と鳴いた。
ローザリアの笑顔が、ぴしりと固まった。
「な、なにを言ってますのあなたたち!?石窯で焼き上げた生地、酸味、乳脂、香草――完璧な小麦料理ですわよ!?」
「……しかし、別カテゴリーだ」
夜翔が容赦なく告げる。
「……議論対象外」
真白も短い。
「空気読めよ!!」
潮音がとどめを刺した。
「なぜですのォォォォォ!!?」
ローザリアの絶叫が高台に響いた。
◆
その横で。
イヴァルは、ずっと何も言わなかった。
彼は静かに鉄板の前へ立つと、油を引いた。
じゅう、と低い音。
袋から取り出した麺を、そのまま鉄板へ落とす。
水は使わない。
押しつける。
焼きつける。
ヘラが鉄板を打つ音が乾いて響く。
麺の水分が飛び、表面が次第に焼き締まっていく。
キャベツ、もやし、肉。
それらを加える手つきに無駄がない。
押し、返し、また押しつける。
香りが変わった。
ソースの甘い匂いではなく、麺そのものが焼ける香ばしさ。
焦げの直前にある、あの食欲を殴ってくる匂いだ。
「……うまそう」
潮音が小さく呟く。
「風が香ばしくなってきた」
タクトが目を細める。
「ちょっと……いい匂いじゃない」
カレンも認めざるをえない。
「……水分、飛ばしてる」
真白は観察する。
夜翔は、その焼き色を見て低く言った。
「……線が出ている」
イヴァルは短く答えた。
「……昔、働いてた」
「え?」
潮音が振り返る。
「日田焼きそばだ」
イヴァルはそれだけ言って、黙々と仕上げた。皿に盛られた焼きそばは、ところどころがかりっと焼け、もやしはしゃきりと音を立てそうで、見るからにうまい。
「いやこれ絶対アリだろ」
潮音が目を輝かせる。
「……粉物ではないけど」
真白が言う。
「でも、準粉物って感じね」
カレンが頷く。
「小麦を熱で再構築してる。十分だな」
夜翔が肯定した。
「風向き的にも、これはこっち側だ」
タクトも笑う。
ジンはすでに「みゅーーっ!」と喜んでいる。
イヴァルの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
その瞬間。
「ちょっとお待ちなさい!!」
ローザリアが噛みついた。
「それこそズレてますわよね!?ピッツァはダメで焼きそばはいいって、どういう理屈ですの!?」
潮音が即座に答える。
「うまそうだから」
カレンが一口食べて言う。
「美味しいから」
真白も小さく頷く。
「……合理的」
タクトは肩をすくめる。
「風がいい」
夜翔は静かに結論づけた。
「線が通っている」
「みゅーーーー!!」
ジンも全力で肯定した。
ローザリアは信じられないものを見るような目で一同を見渡した。
「なぜですのォォォォォォ!!?」
春空に、再び悲鳴が突き刺さる。
イヴァルは少しだけ視線を逸らし、ぼそりと呟いた。
「……そういう連中なんだよ」
潮音が笑いながら、焼きそばを皿に取り分ける。
カレンは広島焼きを切り、夜翔は無言でお好み焼きにソースの線を引く。
真白は出汁に明石焼きを落とし、タクトはチヂミの香りを風に乗せる。
ローザリアだけが納得いかない顔でピッツァを抱え、ジンは全部を食べたそうに尻尾を振っていた。
粉物とは何か。
混ぜることか。
重ねることか。
ほどけることか。
香ることか。
あるいは、焼かれた小麦の幸福そのものか。
結論は出ない。
出ないまま、彼らは食べる。
そしてその方が、たぶん少しだけ楽しい。
◆
遠くで春の風が吹く。
鉄板の上では、まだ何かがじゅうじゅうと鳴っていた。




