第5話 お嬢様の渋谷は初めてだらけですか?
土曜日の朝、桜宅にて。
プルルルルル、プルルルルル……ガチャ。
「もしもし……」
『Hi Daisy. How are you?(もしもしデイジー。元気?)』
「Oh, grandma!(グランマ!)
『When will you be back next?(次はいつ戻るの?)』
「I’m planning to go there during summer vacation(夏休みの間に行く予定)」
『OK. Looking forward to it. See you soon!(楽しみにしているわ。じゃあね!)』
ガチャ。
「グランマったら、相変わらず朝早いわー。休日くらい好きなだけ寝させてよ……早起きは明日するからさー……」
桜のこの台詞にはちゃんとした理由がある。話は昨日まで遡る。
「そういえば、桜先輩はどこの大学を受けるのですか?」
「アラスカの大学だよ」
「アラスカ!?」
「うん。ママの実家がそこにあってー、グランパとグランマの家で生活しながら通う予定だよ」
「へ、へえー……すごいなあ」
紅葉が感嘆する。
「アラスカ州は、アメリカ最北端の州で、北極圏に位置する広大な自然の宝庫でして、野生動物や氷河、オーロラも有名ですわね」
「そーそー、さっすが向日葵!博識ぃ」
「これくらいは夏海家のものとして当然のことですわ」
褒められた向日葵が誇らしげに胸を張る。
「そうだ!明後日3人で渋谷に行かない?」
「わあ、いいですね!」
「渋谷、ですか。若者が多い街とは聞きますが……」
「ん?もしかして向日葵ちゃん、行ったことないの?」
「はい」
「「ええーっ!」」
「そ、そんなに驚くことですか!?」
「当たり前じゃん!」
「では、紅葉先輩は訪れたことがありまして?」
「うん、中学生の頃に一度だけ」
「じゃあさ、アタシが案内してあげる!
「えっ、いいのですか?」
「当然!だって渋谷に行かずして高校生を終えるなんてありえないもの!」
「そ、そこまでおっしゃるのなら、誘いに乗ってみますわ」
「オッケー、じゃあ明後日の10時にハチ公前に集合ね!紅葉は空いてる?」
「えっとスケジュールは……よかった、空いてます」
「それじゃあ決まりだね、制服で行こ!」
「せ、制服で!?日曜日になぜ……?」
「制服のほうが学生っぽくていいじゃん!」
「それは私も賛成です!憧れだったんだ、友達と制服渋谷」
「はあ……」
「向日葵、当日はあのでかいカメラ持ってきてね!」
「わ、わかりましたわ」
「よーし、それじゃあ渋谷を楽しむぞー!」
「おー!」
「お、おー……」
そして当日。
「おーい2人とも、こっちこっち!」
「はーい。ほら行こう、向日葵ちゃん!」
「こ、この人混みの中を行くのですか!?」
紅葉に手を引かれながら向日葵がやってきた。
「お嬢様、どう?ここが渋谷だよ!」
「すごい数の人ですわね……今日は何かあるのですか?」
「ううん、今日は特に何もないよ」
「で、ではどうしてこんなに人が多いのですか!?」
「これが普通だよ」
「こ、この大混雑がいつも通り……」
「本当に渋谷に来たことがないんだね、向日葵ちゃんって……」
「じゃあ早速、109行こう!」
「いいですね。行きましょう!」
「い、いちまるきゅー?とは……?」
「え、マジ!?109も知らないの!?ガチの渋谷初心者!?」
「ガビーン!?」
向日葵にショックが走った。
(そんな……わたくしはそこまで遅れていますの!?メイドに行くことを話したら「渋谷は何も知らなくても楽しめる場所ですよ」と言われたから事前準備を全くせずに本番を迎えたらこのザマ……常に人の先に立つはずのこの夏海リリィ向日葵、末代までの恥!あのメイドども、よくもハメてくれましたわね……!)
自然と向日葵の眉間にしわが寄せられる。今にもゴゴゴゴゴ……という効果音が聞こえてきそうだ。
「ひ、向日葵ちゃんどうしたの?顔が怖いけど……」
「はっ!?いえ、何でもありませんわ。こちらのことですので」
「ほら速く!置いてっちゃうよー!」
「あ、待ってくださーい!」
桜を先頭に、紅葉が向日葵の手を引きながら追いかける形で、3人はスクランブル交差点を渡り、SHIBUYA109の中へ入っていった。
建物内は、5月の外に合わせて冷房が効いている。
「先輩、まずはどのお店に行きますか?」
「服屋行こ!」
たくさんのアパレルショップの1つにて。
「ねえ紅葉、向日葵によさそうな服ある?」
「こっちとこっち……どっちが似合うかな?」
「……」
懸命に服を選ぶ桜と紅葉に対し、向日葵はなぜか立ち尽くしたままだ。
(どどどどうしましょう……服はいつも婆やがフィッティングしたものを着ているので服屋に行くことがそもそもないので何をすればいいかわかりませんわ!)
そこへ、コツコツと踵を鳴らしながら、1人の女性が近づいてきた。
「お困りのようね、子猫ちゃんたち」
3人が同時に振り向くと、そこにはアメリカンスリーブの赤いワンピースに、同じく真っ赤なハイヒールの出立ちで、姫カットの黒髪にこれまた赤いリボンカチューシャをつけた、茶色い目の美しい女性がいた。
「あのー、どちら様?」
急に現れた正体不明の女に困惑する向日葵だが、桜はやれやれ、といった感じで、紅葉だけは目を輝かせている。
「あ、あなたは……『大和撫子』の赤担当の南池雀様!」
「そういうあなたはもしかして、『Cosmos』の秋月オリビア紅葉ちゃん?」
「はい、そうです!名前、覚えてくれてたんですね!」
「うん、だって可愛いし赤毛が特徴的だもん!何より去年まで同じ部活だったじゃないの!私が可愛い後輩を忘れると思う?」
「ちなみに、今は大学生でしたっけ?」
「うん、今は宝岳大学の文学部史学科に通ってるの。あら、あの金髪の娘は?」
「あの子は向日葵ちゃんで、今年度の新入部員なんです」
「夏海リリィ向日葵と申します。以後、お見知りおきを」
「ああ〜可愛い〜むにゅむにゅしたい〜」
「むにゅむにゅ、とは?」
「やれやれ、また始まったよ、あの人の悪癖が……いくら自分がないからって」
桜があからさまに呆れた顔をする。
「何か知っているのですか、2人とも?」
「それで、今日はプライベートなんですか?」
「うん、完全フリー」
「で、何か用?」
「あ、そうだった」
桜の問いかけに我を取り戻す雀。
「向日葵ちゃんだったっけ?あなたのコーデで2人は悩んでいるらしいけど、私に任せてくれるかしら」
「えっ!?」
驚く向日葵。それをさておいているのか、店内を物色する雀。そしてものの3分で戻ってきた。
右手にはひまわり柄のワンピースを、左手には白い女優帽を持っている。
「はいこれ着てみて!」
2つを渡され、促されるまま試着室に入る向日葵。
「着替え終わった?」
「はい、ただいま」
「どんな感じか見せて?」
向日葵がカーテンを開けた。その瞬間、3人は息を呑んだ。
「「「おおお……」」」
「ど、どうでしょうか?」
「奇跡だ、奇跡が起きた……」
「我ながら素晴らしいと言わざるを得ないわね……」
「向日葵、これは即買いだよ!」
「そ、そうですの……では店員さん、お願いします」
「はい、かしこまりました」
「あ、そうだ。カメラ貸して向日葵!写真撮るから!」
向日葵が桜にカメラを渡すと、桜が写真を1枚レンズに収めた。
商品を購入している間に、アイドル2人は雑談に燃えていた。
「特に私は、1周年ライブのときの機材トラブルと見せかけての雀様のアカペラ演出が好きです!」
「あれ実は本当の機材トラブルで、アカペラも全部アドリブだったの。知ってた?」
「ええっ!?そうだったんですか!?初めて知りました!」
「まあ、あれのおかげでライブ自体は大成功だったから、怪我の功名ってやつね」
「ねえねえ2人とも、これ見てよ」
桜が向日葵のカメラの画像を見せる。
「これって昔の写真?向日葵の当時の私服なのかな?」
「わあー、貴族の令嬢みたい」
「クラシカルロリータってやつね。にしても、見事に着こなしているわね」
「あーっ!」
そこへ、素っ頓狂な声を上げて向日葵が超特急でやってきて、カメラをふんだくった。
「かかか勝手に人の過去を掘り起こさないでくださいまし!」
「「「ご、ごめん……」」」
気迫に圧倒されて謝る3人。
「ですが、南池先輩」
「雀ちゃんでいいよ」
「では雀さん、衣装を選んでいただきありがとうございました」
「いいわよ、お礼なんて。アイドルとして人に笑顔を与えただけよ」
(す、すごい……私もいつか言えるようになりたい……!)
「それと、3人とも今日の制服姿もバッチリ似合ってるわよ!あとこの建物内のカフェのパンケーキも食べてね。美味しいから!」
「「「っー!」」」
じゃあまた、と雀は意気揚々と帰っていった。
「……嵐のような方でしたわね」
「かっこよかったなあ、雀様」
「次何する?アタシお腹減っちゃった」
「じゃあ、お昼にしましょう!」
そこで3人は、雀が勧めたカフェに向かった。
店内は昼時で混んでいたが、相席でよければと、かろうじて3人座れる席に店員が案内してくれた。
「あれ紅葉」
「虎美ちゃん!?」
「虎美先輩!?」
「なんでアンタがここに!?」
3人が同時に驚いた。
無理もない。そこにいたのは、フェスで紅葉や雀と同じ舞台に立ち、そして紅葉の『アイドルになる』という夢を応援し続けた『大和撫子』の黄色担当こと西道虎美だったから。
ちなみに今日の虎美の格好は、オフショルダーの黒いワンピースだ。
「今日はブラックタイガーだよー」
「虎美ちゃんもオフなの?」
「うん、みんなは何食べにきたの?」
「わたくしたちは今日初めて来店しましたの」
「メニューは、どれどれ……確かにパンケーキが人気みたい」
「わあー、美味しそう!」
「パンケーキはあまり食べたことがないのですが、この際試してみましょう」
向日葵はプレーンパンケーキ、紅葉はキャラメルナッツパンケーキ、桜はチョコバナナパンケーキをそれぞれ頼んだ。
「おっ、3人ともお目が高いね」
「そんなに美味しいの?ここのパンケーキ」
「うん、あたしリピーターだから」
「お待たせしました。ご注文のチャレンジメニュー、メガ盛りシーザーサラダプレートパンケーキでございます」
「「「量すごっ!」」」
3人のツッコミが店中に響いた。
「えっ、何これ!?こんなのあるの!?」
「今日はいっぱい食べたい気分なんだー」
「だからって、そんな華奢な体に入る量じゃ……」
「桜先輩、虎美ちゃんは見た目以上によく食べる子なんです!」
紅葉が誇らしげに言う。
「そーいうこと」
「大飯食らい……庶民の中でも限られたものだけが持つ固有能力……!」
向日葵が信じられないものを見る目で言う。
「制限時間は40分。では、挑戦開始です!」
「いただきまーす」
虎美は小さなボウルの中のマヨネーズをサラダの上に落とし、上品かつ手際よく食べ進め、サラダを完食すると、パンケーキ3つも残さず胃に収めた。
「ごちそーさま」
それを見た向日葵たち3人はもちろん、店内の客全員が拍手喝采を贈った。
そして会計を済ませ、賞品の無料クーポンを受け取った虎美は、口笛を吹きながら店を出た。
その少し後に、3人のもとにもようやく自分のパンケーキが届いた。もちろん向日葵は自分のパンケーキの写真を撮った。3人ともパンケーキを平らげ、お代を払って店を後にした。
「さて、次どこ行く?」
「この建物には他にどんな施設があるのでしょう?」
「プリクラあるよ」
「ぷり……くら……とは?」
「ええぇ!?向日葵、プリクラも知らない!?さすがに世間知らずすぎない!?」
「そ、そこまでわたくしは遅れてますの……?」
「よし、こうなったら行こう!プリクラやろう!」
桜が向日葵と紅葉の手を引きズンズン歩く。
「あわわわわ、ちょ、ちょっと急ぎすぎ〜!」




