第3話「出雲・八岐大蛇の跡」
天の浮橋を降りきり、アメノウズメと猿田彦は葦原中国の地を踏んだ。
「着いたな」
アメノウズメは鈴をカラリと鳴らし、周囲を見渡した。
ここは出雲の国。かつて須佐之男が八岐大蛇を退治した場所だ。だが、今の出雲は、どこか陰鬱な空気に包まれていた。
空は灰色に曇り、風は冷たく、草木の色もくすんでいる。
「なんか、嫌な感じだな」
アメノウズメが呟くと、猿田彦が矛を地面に突き立てた。
「瘴気だ。黄泉の気配がする」
「ヨモツオオカミの手下か」
「おそらくな」
二人は村の方へ歩き出した。村からは、かすかな泣き声が聞こえてくる。
村の入り口に着くと、数人の村民が怯えた顔で集まっていた。
「お、お前たちは……神様か?」
一人の老人が、アメノウズメと猿田彦を見て尋ねた。
「そうだ」アメノウズメは胸を張った。「高天原から来た。アメノウズメと猿田彦だ」
「高天原様……」村民たちがひれ伏す。
「起きろ起きろ。で、どうした?なんか大変なことになってるみたいだが」
老人が震える声で話し始めた。
「七日ほど前から、村の北にある八岐大蛇の残骸から、黒い霧が出ているのです。その霧に触れた者は、次々と倒れ……」
「八岐大蛇の残骸?」アメノウズメが眉をひそめた。「須佐之男が退治したやつだろ」
「はい。その残骸が、突然黒く染まり、霧を吹き出し始めまして……」
「須佐之男は?」
「須佐之男様は……行方不明です。酒壺だけが残っておりまして……」
アメノウズメと猿田彦が顔を見合わせた。
「まずいな」猿田彦が低く呟く。
「須佐之男がいないと、剣が手に入らない」
アメノウズメは村民を見た。
「その黒い霧、どこから出てる?案内しろ」
「は、はい。ですが、危険です……」
「大丈夫だ。あたいがいる」
アメノウズメはニヤリと笑い、村民の後ろに続いた。
村の北へ進むこと半刻。山間の谷間に、巨大な蛇の死骸が横たわっていた。
八岐大蛇。
八つの頭と八つの尾を持つ巨大な蛇。かつて須佐之男に退治され、その尾から天叢雲剣が見つかったという伝説の怪物だ。
だが、今の八岐大蛇の死骸は、黒く腐敗し、そこから黒い霧がもうもうと立ち上っていた。
「うわ、酷いな」
アメノウズメが鼻をつまむ。
「この霧に触れると、どうなる?」
「体が黒く染まり、動かなくなるのです。そして……」老人が声を詰まらせた。「そして、怪物になってしまう者も……」
「怪物?」
その時、黒い霧がうねった。
「ぐあああっ!」
霧の中から、何か飛び出してきた。
黒く腐敗した蛇の姿。八岐大蛇の残骸から、黒い霧が集合し、蛇の形を作っている。
「ツチグモか……」猿田彦が低く呟く。
「知ってるのか?」
「黄泉の手下だ。瘴気で実体を作る」
黒い蛇がアメノウズメたちに襲いかかる。
「避けれ!」
猿田彦が矛で払い、アメノウズメは跳躍して避ける。
「くそ、再生するか!」
黒い蛇は矛で貫かれても、霧になって再び集合する。
「物理攻撃は効かねえのか」
アメノウズメは鈴を振り、太鼓を叩いた。
「なら、あたいの舞で祓う!」
チャリン、ドン、チャリン、ドン!
鈴の音が黒い霧に触れ、霧が晴れていく。
「効いた!」
アメノウズメはさらに激しく舞う。腰を揺らし、髪をなびかせ、鈴の音を響かせる。
「天鈿女の舞・祓い!」
黒い蛇がのたうち回る。
「ぐあああっ!」
霧がさらに晴れ、蛇の体が小さくなっていく。
だが、霧は完全には消えない。八岐大蛇の死骸から、次々と黒い霧が湧き出してくる。
「くっ、源流があるのか」
アメノウズメは八岐大蛇の死骸を見つめた。
死骸の中央、かつて天叢雲剣が見つかったという尾の部分が、特に濃く黒く染まっている。
「あそこか!」
アメノウズメは死骸へ跳びかかった。
「ウズメ、危ない!」
猿田彦の叫びを無視し、アメノウズメは黒く染まった尾に鈴を押し当てた。
「天照大神の光よ、この闇を照らせ!」
鈴の音が爆発し、黒い霧が悲鳴を上げる。
「ぐあああああ!」
霧が四方八方に飛び散る。アメノウズメは舞いながら、霧を祓っていく。
一分、二分。
ようやく、黒い霧が完全に消え去った。
「はぁ……はぁ……」
アメノウズメが息を切らす。腕の黒い紋様が、微かに疼いた。
「ウズメ、大丈夫か」
「ああ、大丈夫。それより……」
アメノウズメは八岐大蛇の死骸を見下ろした。
「須佐之男、どこ行ったんだ?」
その時、風が吹き、酒の香りが漂ってきた。
「この香り……」猿田彦が鼻をひくらかした。「須佐之男の酒だ」
「どっちだ?」
「北東だ」
二人は香りの方へ走り出した。
村からさらに北東へ進むこと一刻。小さな祠の前に、一人の男が倒れていた。
長髪を乱し、酒壺を抱え、完全に酔いつぶれている。
「須佐之男だ」
アメノウズメが近づき、男の頬をポンポンと叩いた。
「おい、起きろ。須佐之男!」
男がうめき声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
「ん……誰だ……」
「あたいだ、アメノウズメ。高天原から来た」
須佐之男はぼんやりとアメノウズメを見つめ、そしてニヤリと笑った。
「おお、ウズメか。どうした、高天原から」
「天照がやばい。助けてほしい」
「天照が?」須佐之男が起き上がり、酒壺を置いた。「どうした」
「ヨモツオオカミに取り込まれた。お前の剣が必要だ」
須佐之男の顔から笑いが消えた。
「剣か……」
「あるんだろ?八岐の剣」
須佐之男は黙り込み、そして深く息を吐いた。
「……失くした」
「は?」アメノウズメと猿田彦が同時に声を上げた。
「失くしたって、どうやって!」
「酒に溺れてな……気がついたら、剣がいなくなった」
須佐之男は自嘲気味に笑った。
「俺はダメだ。天叢雲剣を手にしながら、酒に溺れて、剣を失い……」
アメノウズメは須佐之男をじっと見つめ、そしてニヤリと笑った。
「じゃ、踊りで笑わせるしかねえな」
「は?」
「お前、昔言ったろ。『俺を笑わせられる奴に、剣をやる』って」
須佐之男は瞬きをした。
「……言ったな」
「じゃ、あたいの舞を見ろ。笑えなかったら、あたいが剣を探し出す。笑えたら、教えろ。どこにやったか」
須佐之男は呆気にとられた顔で、そしてゆっくりと笑った。
「面白い。やってみろ、ウズメ」
アメノウズメはニヤリと笑い、鈴を振り上げた。
「よっしゃ、見せろ。あたいの最高の舞を!」
その時、アメノウズメの腕の黒い紋様が、微かに光った。




