第2話「天鈿女の舞」
アメノウズメは、桶の上で舞い始めた。
最初はゆっくりと。鈴を右手に、太鼓を左手に。チャリン、ドン。チャリン、ドン。
神々が息を呑んだ。
「あれが、天鈿女の舞か……」
「静かだな」
「いや、始まったばかりだ」
アメノウズメの腰が、微かに揺れた。赤い勾玉の首飾りが、かすかに光る。
テンポが上がる。チャリン、チャリン、ドン、ドン。
アメノウズメの白い髪が、空気の流れでなびき始める。神衣の裾が揺れ、露わな腹が汗で光った。
「おお……」
神々の誰かが漏らした。
アメノウズメは笑わない。集中している。瞳は岩戸を見据え、鈴の音が鋭くなる。
ドン、ドン、チャリン、ドン!
腰の動きが激しくなる。左右に揺れ、円を描く。神衣の布がめくれ、太ももの曲線が現れる。
「お、おおおっ!」
神々がどよめく。
アメノウズメは手を上げ、衣の帯に手をかけた。
「ウズメ、まさか……」オモイカネが呟く。
帯が解けた。
神衣が滑り落ち、アメノウズメの肌露わな姿が現れる。最小限の布が胸と腰を覆い、赤い勾玉が肌を照らす。
「おおおおっ!」
神々が叫んだ。
「なんだ、あの姿は!」
「太陽より明るいぞ!」
「うははは、すごいぞウズメ!」
神々が吹き出す。最初は我慢していたが、次第に笑い転げる。
アメノウズメは止まらない。腰を回し、腕を回し、髪を振り乱す。汗が飛び、鈴の音が空気を裂く。
「もっと笑え!あたいの踊りで世界を照らせ!」
「うははは!笑うぞ!」
「腰が、腰がすごい!」
「天照もこれを見れば!」
笑いが陽の気になり、岩戸が微かに震える。
アメノウズメは笑わない。集中している。天照を想っている。
(ボス、見てるか。あたいの最高の舞だ)
岩戸の隙間から、かすかな光が漏れた。
神々の笑いがさらに大きくなる。
「出た!光が出た!」
「天照だ!」
「ウズメ、すごいぞ!」
アメノウズメの唇が、微かに上がった。
猿田彦が矛を地面に突き立てる。ドゥン、ドゥン、ドゥン。重低音が響き、神々の笑いをリズムに乗せる。
アメノウズメは桶の上で跳躍した。髪が弧を描き、勾玉がきらめく。
「天照、出てこい!あたいの舞を見ろ!」
岩戸が震える。光が強くなる。
神々の笑いが頂点に達した。
「うはははは!」
「すごいぞウズメ!」
「これぞ天鈿女の舞!」
陽の気が高天原に満ちる。闇が晴れ、光が差す。
アメノウズメは桶の中央に立ち、両手を広げた。
「天照大神!出でませ!」
その瞬間――
黒い手が岩戸から飛び出し、アメノウズメの足首を掴んだ。
「ぐっ!」
「ウズメ!」猿田彦が叫ぶ。
黒い手がアメノウズメを引きずり込もうとする。岩戸の中から、黒い霧が溢れ出す。
「なんだあれは!」
「岩戸から何か出た!」
「ウズメが引きずり込まれる!」
神々がパニックになる。オモイカネが杖を上げる。
「静まれ!」
だが、黒い手は止まらない。アメノウズメを岩戸の中に引きずり込もうとする。
「天照、あんた何をしてる!」
アメノウズメが叫ぶ。黒い手は冷たく、生命力を吸い取るような感触だ。
「離せ!」
アメノウズメが鈴を黒い手に叩きつける。チャリン、と鋭い音が響き、黒い手がひるむ。
だが、すぐに別の黒い手が現れ、アメノウズメの腕を掴んだ。
「ぐああっ!」
「ウズメ!」
猿田彦が矛を構え、岩戸に突き立てた。
「離せ、この邪神!」
矛が黒い霧を貫く。黒い霧がうめき声を上げる。
「猿田、引け!」アメノウズメが叫ぶ。「中に入ってくる!」
「だったらお前も出ろ!」
猿田彦が力を込め、矛で岩戸をこじ開けようとする。
岩戸がきしむ。
アメノウズメは黒い手と格闘しながら、岩戸の隙間を見つめた。
闇の奥に、何かが見える。
鎖で縛られた、光る人影。
天照だ。
だが、その体には黒い竜が巻きつき、喰らい尽くそうとしている。
「ボス……」
アメノウズメの瞳が見開かれる。
天照は鎖で縛られ、黒い竜・ヨモツオオカミに喰らい尽くされそうになっていた。天照の光が、少しずつ黒い竜に吸収されていく。
「ウズメ……逃げて……」
かすかな声が、岩戸の隙間から漏れた。
「これは……私の……意志だ……」
「何言ってんだ!」アメノウズメが叫ぶ。「あたいが助けてやる!」
「無駄……だ……この竜は……黄泉の……災厄……」
黒い竜が天照に牙をむける。天照が呻く。
アメノウズメは黒い手を振り払い、岩戸の中に片足を入れた。
「ウズメ、危ない!」猿田彦が叫ぶ。
「放すな!」
アメノウズメは鈴を鳴らし、神歌を唱え始めた。
「天照大神の光よ、この闇を照らせ!」
鈴の音が岩戸の中に響き渡る。黒い竜がのたうち回る。
「ぐああああっ!」
黒い手が弱まる。アメノウズメは隙を見逃さず、岩戸の中に飛び込んだ。
「ウズメ!」
猿田彦の叫びが、岩戸の外で響く。
岩戸の中は、闇ではなく、黒い霧に満ちた空間だった。天照が鎖で縛られ、黒い竜が巻きついている。
アメノウズメは天照の前に立ち、鈴を振り上げた。
「ボス、あたいが来たぞ!」
天照が顔を上げる。その顔は蒼白で、光が弱っている。
「ウズメ……なぜ……」
「恩知らずじゃないからだよ!」
アメノウズメは太鼓を叩き、舞い始めた。
岩戸の中で、天鈿女の舞が響く。
黒い竜がアメノウズメに襲いかかる。アメノウズメは踊りながら避け、鈴の音で応戦する。
「チャリン、ドン、チャリン、ドン!」
「ぐああっ!」
黒い竜がのたうち、霧が晴れる。
だが、竜は再生する。霧が再び竜の体を取り巻き、傷が癒えていく。
「くっ、再生するか……」
アメノウズメが歯噛みする。
その時、岩戸の外から、重低音が響いた。
ドゥン、ドゥン、ドゥン。
猿田彦が矛で岩戸を叩いている。リズムを作っている。
アメノウズメはニヤリと笑った。
「ありがとう猿田!」
アメノウズメはそのリズムに乗り、さらに激しく舞う。
「天照、あたいに合わせて光れ!」
天照の体が微かに光る。
黒い竜が咆哮する。
「ぐあああああ!太陽の光を、我によこせ!」
「んなもんやるか!」
アメノウズメは竜の頭に跳びかかり、鈴を額に押し当てた。
「天鈿女の舞・祓い!」
鈴の音が爆発し、黒い竜がのたうち回る。
「ぐあああっ!」
竜の体が崩れ、霧になっていく。
アメノウズメは天照の鎖に手をかけた。
「ボス、外すぞ!」
「待て……ウズメ……」
「待てるか!」
アメノウズメが鎖を引っ張る。鎖は熱く、生命力を吸い取るような感触だ。
だが、アメノウズメは止まらない。
「あたいは、恩知らずじゃない!」
鎖が外れる。天照の体が自由になり、光を取り戻し始める。
黒い竜の霧が、岩戸の奥に逃げていく。
アメノウズメは天照を抱きかかえ、岩戸の外へ向かった。
「猿田!手貸せ!」
岩戸の隙間から、猿田彦の腕が現れる。アメノウズメは天照を預け、自分も外へ出た。
神々がどよめく。
「天照様だ!」
「ウズメが救い出した!」
「すごいぞ!」
オモイカネが駆け寄り、天照の状態を確認する。
「おお、光が戻っている……」
天照がゆっくりと目を開ける。
「ウズメ……なぜ、そんなことを……」
「当たり前だろ」アメノウズメは天照の頬を指でつついた。「あたいのボスを、誰が喰らうってんだ」
天照の瞳に、涙が浮かぶ。
「……ありがとう」
アメノウズメはニヤリと笑い、立ち上がった。
だが、その腕には、黒い紋様が走っていた。
「ウズメ、その腕は」猿田彦が指摘する。
アメノウズメは腕を見る。黒い紋様が、肘まで広がっている。
「あー、これか。黒い手に掴まれた時についたな」
「危険ではないか」オモイカネが杖でアメノウズメの腕を調べる。「……呪印だ。ヨモツオオカミの瘴気が残っている」
「ヨモツオオカミ?」
「黄泉の災厄神だ。天照は自らを餌にして、あの竜の中に封印していた」
神々がざわめく。
アメノウズメは腕を握りしめた。
「つまり、ボスを救ったけど、まだ完全には終わってないってことか」
オモイカネは深く息を吐いた。
「そうだ。ヨモツオオカミを完全に倒すには、三つの『神宝』が必要だ」
「神宝?」
「一つ目は、出雲・須佐之男が持つ『八岐の剣』。二つ目は、海原・綿津見が持つ『潮満珠』。三つ目は、黄泉・イザナミが持つ『黄泉鏡』」
アメノウズメは瞳を輝かせた。
「じゃ、取りに行くか」
「ウズメ」天照がアメノウズメの袖を掴む。「危険だ。やめろ」
「ボスがあたいを救ったんだ。あたいがボスを救うのは当たり前だろ」
アメノウズメは天照の手を優しく振りほどき、猿田彦を見た。
「猿田、行くぞ」
猿田彦はため息をつき、矛を担いだ。
「……お前、また無茶を」
「うるせーな。ついてこい」
アメノウズメは鈴を鳴らし、天の浮橋の方へ歩き出した。
背後で、神々がどよめく。
「アメノウズメ様、どこへ!」
「冒険だ!三つの神宝を取りに!」
オモイカネが杖を突き、アメノウズメを呼び止めた。
「待て。猿田彦、お前も同行せよ。天の八衢を知る者はお前だけだ」
猿田彦は黙って頷いた。
アメノウズメは振り返り、天照に笑った。
「ボス、ちょっと待ってろ。あたいが必ず、完全に救ってやる」
天照は頷くことしかできない。
アメノウズメと猿田彦は、天の浮橋を降り始めた。
葦原中国へ。
冒険の始まりだ。




