現代編 Ep.05『ゆめのでぐち』
不良のたまり場がゲーセンだというのも、一昔前の話。
今は健全なゲーマー達が切磋琢磨しているし、
昔のゲームセンターのように薄暗くもなく、
老若男女さまざまな人が楽しそうに過ごしている。
「ここに居るはず?……ここに?」
雄一が狼狽えるのも無理はない。
どう考えても“不良”と結びつかない、健全なアミューズメントだ。
(おかしい……どう考えてもおかしい。昨日までここは荒廃したゲーセンだった)
前時代的ゲームセンターだったはずだ。
(リニューアルした? 一日で?
あのタバコの匂いが染み付いた空間が、ここまで変わるか?)
ここのゲーセンは、波琉も雄一も何度か利用したことがある。
音ゲーだかリズムゲーだかの筐体がここにしかなくて、渋々来た記憶がある。
それに昨日、この付近であの前時代ヤンキーに絡まれている。
「あー、そうだった……去年リニューアルしたんだよな、このゲーセン」
まるで今植え付けられた記憶のように、雄一が得心する。
(あれ……そう言われてみれば……そんな気がする……昨日は違うゲーセンだった?)
酩酊にも似た不可思議な状態に、波琉は抵抗できずに受け入れている。
「Si je ne vous dérange pas, pourrais-je vous dire un mot ?」
突然、何語か分からない外国語で話しかけられ、波琉はハッと我に返った。
「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」
咄嗟に出たのは、中学生以下の英会話。
自分でも少し恥ずかしくなる。
「スミマセン、ワタシ、ニホンゴスコシ」
振り向いた先にいたのは、背の高い三つ折れ帽の紳士だった。
目の色は吸い込まれるようなブルー。
髪は白みがかった金髪。
まるで絵本から抜け出したような、古風な紳士の雰囲気をまとっている。
「えと……」
「イマ、ちょとジカン、イイデスか? ジハンキ、むずかし」
どうやら自販機で飲み物を買いたいが、操作に困っているらしい。
「あぁ……ここにお金……えっと、マネーをインして……」
波琉は身振り手振りで必死に説明する。
「Votre malaise est on ne peut plus fondé. Je vous en prie, éveillez-vous et contemplez enfin la réalité en face.」
「は?」
紳士がパチンと指を鳴らした。
その瞬間、世界がぐにゃりと歪むような違和感が波琉を襲った。
「Votre malaise est on ne peut plus fondé. Je vous en prie, éveillez-vous et contemplez enfin la réalité en face.」
「は?」
紳士がパチンと指を鳴らす。
途端に、世界がぐにゃりと歪むような違和感を覚えた。
「おい、波琉? どうした?……って、顔真っ青だぞ」
ふと意識を向けると、そこはさっきまでの綺麗なアミューズメントではなく、
前時代的なゲームセンターだった。
薄暗く、退廃的な雰囲気が漂っている。
「え、あ? あれ? さっきの外人は……?」
「ガイジン? なんのことだ?」
波琉と雄一が妙なやり取りをしている様子を、
愛は深刻そうな顔で見つめていた。
「あ! そ、そうだった!!」
愛は何かを思い出したように、ぽんと手を叩く。
「今日荷物が届くんだった! 早く帰らなきゃ!
いやー、すっかり忘れてた!」
ごめんね〜と手を合わせ、愛は足早に立ち去る。
「なんか気が抜けたな」
「“話し合い”に行くって雰囲気でもなくなったな」
二人は顔を見合わせ、肩を竦める。
「とりあえず、健司の様子見に行くか……」
ポリポリと毒気を抜かれた波琉が提案し、
「そうだな」と雄一も首肯する。
(しかし……なんだったんだ、あの外人……どっかで見たことある気がするんだよな)
と言っても、外国人の顔なんてどれも同じに見えるしな……と波琉は考えを打ち切り、
雄一と共にゲーセンを後にするのであった。
*******
そこは狭間。
世界中のありとあらゆる場所に存在すると言われている、
人も、動物も、電波も届かない空白地帯。
時間で移行する狭間もあれば、固定化されている狭間もある。
波琉たちの住む場所の狭間は、時間で移行するタイプの狭間であった。
「伯爵……いったいどういうつもりですか?」
その狭間に、一人の少女が踏み込んでくる。
人も動物も電波さえ届かないが――この少女だけは届いてしまう。
「どういうつもりでもないさ。
神世の方々は急ぎすぎていけない。
もう少しスマートに事を運んで欲しいものだよ」
「観測者に接触するなんて……傍観者の異名が泣きますよ。
それに、観測者を導き正しい道に進ませるのはアイギリス様に、
私が受けた使命です。邪魔をしないでください」
慇懃無礼な伯爵の態度に、愛の語気も強くなる。
学校では絶対に見せない、強かな女豹のような目つきである。
「導き正しい道……ねぇ」
さも愉快そうに、くつくつと嗤う伯爵。
「何がおかしい……?」
「いやいや……あそこまで干渉しておいて“正しい道に導く”とは滑稽だなと思ってね。
導く者というよりも、あれじゃあまるで……そうだな、監視者と言ったところだ。
こっちが正しいからこっちに行けと監視されて……どうやって観測するというのだね?」
その言い草が、さらに愛の感情を逆撫でする。
「現在の観測者の精神は崩壊の一歩手前だ!
あの状況ではああするのが――」
「何故」
愛の言葉を最後まで聞かず、伯爵は遮った。
「何故、かの者を最後まで信じないのだね?」
「――っ!」
「何故、かの者が心折れ、心挫け、精神を崩壊させると言い切れる?
立ち上がるかもしれないだろう? 打ち克つかもしれないじゃないか」
伯爵もまた、強い信念を感じさせる言葉を紡ぐ。
「いいかい、お嬢さん。人間を甘く見ちゃいけないよ。
私は幾度も見てきた。幾度も体験してきた。
あの戦いも、
あの戦いも、
あの戦いだってそうだ。
人間は困難に打ち克ち、歩を進めたではないか」
恍惚とした表情さえ浮かべ、伯爵は大仰に手を広げる。
「――怪物め」
ハッハッハッハと高笑いで返す伯爵。
「さぁ、楽しませてくれたまえ観測者。
それに監視者。
私は傍観者として見させてもらうよ――Au revoir」
「待てっ! まだ話は――」
気配が一切掻き消える。
さっきまでそこにあった濃厚な気配は、まるで泡沫のように消え去っていた。
「伯爵……サン・ジェルマンめ……」
言葉は虚空に消え去った。
*******
病院というのは、いつ来ても辛気臭くて仕方ない――と、御影雄一は嘆息する。
今朝方、祖父から健司の状況を聞いたときは、腑が煮えくり返るかと思うほどの激情があった。
だが今は、その怒りも鳴りを潜めている。
この急な沈静化には、少し疑問があった。
幼い頃から祖父に剣道……いや、もはや剣術と言った方が”しっくりくる”ものを叩き込まれてきた雄一は、感情のコントロールが異様なほど上手い。
腑が煮えくり返るほどの激情を抱いても、その感情に蓋をして、自在に開け閉めができるのだ。
しかし―― 今朝方抱いたはずの感情は、綺麗さっぱり消えている。
そんなはずはない、と思い出そうとしても、
その感情を思い出すことができない。
(精神的な修行が足りないってことなのかねぇ……)
ここで言う“精神的な修行”とは、
いつでも人を斬り殺す覚悟を持つという意味だ。
感情をコントロールしなければ、木剣や竹刀であっても人を斬り殺すことは可能。
祖父の言葉が脳裏に蘇る。
『感情を支配し、感情を掌握し、感情を調律しなければ、あっという間に剣鬼に堕ちる』
はぁ……と、再び深い溜息をつく。
(現在の立ち位置を確認……波琉と愛ちゃん。特に波琉は何かを隠しているし、何かに巻き込まれている可能性はかなり高い。
愛ちゃん……いや、竜胆愛は何か不自然な存在だ。
……そう、不自然だ。この時期の転校もそうだが、竜胆愛が来てから……波琉の様子がずっとおかしい。
いざという時には……いや、ここまで思考を巡らせるのは良くない)
「おい、雄一! ボーっとするなよ!」
横合いから波琉が雄一の肩を叩く。
「お? いやぁ〜今めっちゃ可愛い看護師さんがいてさ……」
「お前なぁ……健司の病室は?」
呆れたような波琉に、おちゃらけて返す。
「え? 今過ぎたよ」
「お前なぁ!!」
「なっはっはっはっは」
病院の廊下に雄一の笑い声が響く。
「病院ではお静かに!」
ナースステーションからの怒声に、二人は肩を竦めるのだった。
*****
最初に健司の姿を見たとき抱いたのは怒りだった。
親友をこんな姿にした輩に対する、圧倒的な殺意にも似た怒り。
しかし、次に抱いた感想は“違和感”だった。
(あれ……健司の怪我の位置、違うな)
なぜ違うと思ったのか。
なぜ違和感を覚えたのか。
なぜ“死んでいるかもしれない”と思ったのか。
(そうか、夢でケンジが死んだから……健司も死んだと思ったのか?
待てよ……雄一の時はどうだった? 夢のユウイチは右肩を貫かれて怪我をした。
翌日に会った雄一は右肩に怪我を負っていた……。
雄一は夢と同じ箇所。健司は夢と違う箇所……?
この差はなんだ?
生きているか死んでいるかの違い?
―――違う。
夢のケンジは本当に死んでいるのか?
確認……してない。
確認する前に夢から覚めた。
では撃たれただけで死んでいない? そんな馬鹿な話が……)
眉間にシワを寄せ、考え込む波琉。
その鬼気迫る様子に、雄一は茶化すこともできず見守っている。
ふと、ある仮定が波琉の頭をよぎる。
(夢の中で救った無野村は現実でも生きていて、救われている。
ならば夢の中でケンジを救えば……健司も助かる?)
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が響く。
(しかし、再び同じ夢に入る……可能なのか?
―――白い部屋! あのモニターだらけの白い部屋に行ければ……!)
バッと顔を上げる。
雄一が驚いた様子もなく声を掛ける。
「お、いつも通り」
「悪ぃ! 雄一―――」
「こっちは任せておっけぃ! いってら」
ひらひらと手を振る。
いつもの通り軽くて薄くて軟らかく、力のない態度。
だけど、こいつもいい男だ。
「戻ったら、話がある」
「俺にはねーよ、はよいけ」
「〜〜〜……助かる!」
病室から駆け出す波琉。
ややあって、廊下で看護師さんの怒声が聞こえてきた。
******
良い。
非常に良い。
今回の傍観対象はとても良い。
思い切りも良い。
精神的にも強いじゃないか……。
こうなってくると手を出したくなるものだ。
ふむ……見るだけでは足りなくなる対象など、何年ぶりだろうか。
あの将軍以来か?
いや、かの武士の方が後だったか……。
とにかく、彼は良い。
英傑の素質がある。
どれ、未来の英傑に少し力を貸そうか――。
******
《《夢は記憶の整理である。》》
そんな話をどこかで見聞きした記憶が、波琉にはある。
なので、少しでもその可能性の芽を掴もうと、過去の日記――
特に異能都市シブヤの記載がある日記を片っ端から読み返した。
自分の過去の日記を読むというのも、なかなか気恥ずかしいものはある。
けれど、健司が死ぬよりはマシだ。幾分もマシだ。
異能都市シブヤ。
怪異が跋扈し、妖怪が徘徊し、魔物が息づき、宇宙人が歩き回る街。
そこで自分は探偵だった。
拉致された宇宙人の子供を助けに行く話もあった。
人狼“ケンジ”と一緒に魔女のお茶会に参加した話もある。
ユウイチと共に、妖怪侠客と夜魔のギャングとの抗争を止めたこともある。
「違う。これじゃない。違う。本に関する話……なんかあったはずだ……根暗なんとかの……」
手に取ったのは「夢日記⑫」と書かれたノート。
小学六年の頃に見た夢の話。
シブヤの街に本が運び込まれた。
それは黒い本。
表紙も黒く、紙面も黒い。
何も書いていない。
ただ黒い本。
―――ネクロノミコン。
現存する呪物で、最も異質で、最も忌避される呪物。
叡智の書、狡知の書……。
「あった、これだ! 三渡と初めて敵対したのもこの時だ……!」
ぱらぱらと日記をめくる。
小学六年の語彙だから詳細とは言えない。
だけど思い出せる。
思い出せれば、それで充分だ。
そのノートを枕の下に置き、波琉は眠りにつくことにした。
(頼む……! 俺に……俺にケンジを救わせてくれッ!!)
カチリと時計の針が動く。
時刻は午前零時。
【神世に接続します】
どこからかそんな声が聞こえた気がして、波琉は眠りについた。




