23話 禁忌の更新
闘技場を支配する地鳴りのような熱狂。
驚愕と歓声が入り交じり、観客達はヘリオンを讃えていた。
「Vivat!(万歳!)」「Vivat!(万歳!)」
砂塵が舞う中央、黄金の雄牛――アステリオスが、その巨躯を砂の上に横たえていたからだ。
ヘリオンが携えるのは、刃の無い大鎌の柄。
だが、その先端にはウォーターの加護とゴズウェルとの修行によって練り上げられた「透明な刃」が凝縮されている。
§§§
(いい、匠? あなたに本物の『魔法』を教えてあげる。その名前はね、『てこの原理』よ!
支点から力点が遠ければ遠いほど、小さな力で巨大な質量を持ち上げることができる……これこそが数千年前の古代から伝わる人類最強の叡智。
あの大鎌の長い柄を見てごらんなさい。
武器としては、まあ、いまいちかもしれないけれど、物理学的なアプローチで見れば、最高に効率的な『レバー』に見えるわね)
脳裏に響くのは、前世で姉ちゃんがポテチを片手に、熱っぽく語っていた「古代文明が教えてくれる人類最強の武器『物理』」だ。
あの時は「また姉ちゃんの奇行が始まった」なんて呆れていたけれど、今、その知識が俺を守ってくれている。
「……行くぞ、ヘリオン。姉ちゃんの知識は、裏切らない」
(応!)
俺は左手の指先を、篭手の内側に隠した『神秘の鍵』へと潜り込ませた。
水と氷雪を司る竜、ウォーターの加護。
ヘリオンが元来持っていた水の適性と、ゴズウェルとの血の滲むような訓練。それらを、今この一点に収束させる。
「――thurisaz!」
第一の言葉で精神の「マグカップ」を作る。
小さくてもいい。
重要なのは、使い方だ。
左手に握った大鎌の刃に、薄い水の膜が纏わりついていく。
「――glacies」
封印の錠を破り、自然の摂理をねじ曲げる。
氷を意味するその言葉に、俺は別のイメージを上書きする。
凍らせるのではない。
光の屈折率を周囲の空気と同じにさせる――SF名物、『光学迷彩』というやつだ。
キィィィィン……という、鼓膜を刺すような高周波が響く。
次の瞬間、大鎌の巨大な三日月状の刃が、まるで蜃気楼のように視界から消えた。
誰の目にも見えない、空気に溶け込む刃の完成だ。
「……何をした」
砂の中から、地獄の底から響くような声と共にアステリオスが立ち上がった。
依然として、黄金の兜で素顔を隠しているが、立ち昇る威圧感は先ほどまでとは比較にならない。
だが、アステリオスの視線は、俺が構える「ただの長い棒」に注がれている。
刃の無い柄だけを構える俺の姿は、絶好の隙に見えているはずだ。
「ガアッ!!」
アステリオスが爆発的な踏み込みで突っ込んでくる。
双刃の短剣“ハラディ”が、再び予測不能な軌道で迫る。
だが、もうその攻撃は届かない。
「間合いを、読み違えたな」
俺は一歩も引かず、ただの「柄」を横に一閃させた。
アステリオスは鼻で笑うように、短剣でその棒を叩き折ろうとする。
――ギィィィン!
「があっ……!?」
何もない空間で、ハラディが激しく弾かれた。
火花が空中に散り、アステリオスの防御を強引にこじ開ける。
素早く刃を切り返して、脇腹を裂く!
ズシャァァァッ!
肉を断ち、骨を削る感触。
アステリオスの腹から鮮血が噴き出す。
「グ、ガアアアアッ!?」
絶叫。巨体のアステリオスが、たたらを踏んで大きく後退した。致命傷のはずだ。今の重い一撃は、間違いなく内臓まで達している。
俺はその勢いを殺さず、体を回転させ、鎌を上から振り下ろし、アステリオスの右腕を叩き切る。
俺と完璧に同調したヘリオンは、見えない大鎌でさえ寸分違わず、アステリオスの小手を避けて露出部分を断ち切ってみせた。
「ガアッ!⋯グオォォッ!」
見えない刃に付着した鮮血が虚空に、不吉な紅い三日月を描き出す。それは、まさに死神の姿。
観衆はその光景にゴクリと生唾を飲み込み、戦慄を覚えた事だろう。
闘技場に籠もる熱狂が、一瞬の静寂に包まれる。
だが、その静寂にあって、特別観覧席から場違いな、妙に艶めかしい呟きをヘリオンの超人的な聴覚が拾い上げた。
「――あらあら。そこまで追い詰められるなんて、意外ね。私の秘薬を飲み込みなさい⋯⋯」
アステリオスが不自然に顔を向けたその視線の先。俺もまた、先ほどの声の主を追いかける―――。
そこにいたのは、鋭い眼光でこちらを眺め、光る小瓶をもて遊ぶ長い黒髪を湛えた長身の女の姿。
女が指先で小瓶を見せつけるように揺らして合図を送るのが見えた。
その合図にアステリオスはかすかに頷き、喉元からゴクリと何かを飲み下す不穏な音をヘリオンの聴覚が捉える。
次の瞬間、その異変は起きた。
――ボコッ、ボコボコッ!
およそ生物が立てるはずのない、湿った肉の蠢く音が闘技場に響き渡る。
アステリオスの斬り裂かれた脇腹からは紫の不気味な煙が立ち昇り、傷口から赤黒い筋肉の筋が猛烈な勢いで溢れ出した。
「な……んだ、あれは……!?」
俺の目は、信じられない光景に釘付けになった。
溢れ出した肉は、まるで見えない針と糸で縫い合わされるように、瞬く間に傷口を塞いでいく。
たった今切り離された右腕を、シュルリと伸びた肉の筋が拾い上げ、とてつもない早さで繋いでしまった。
「あああああぁぁぁぁっ!!」
アステリオスの咆哮が、今度は地鳴りのような重低音となって響く。
数秒前まで血を流して死にかけていたはずなのに、何事もなかったかのように立ち上がる。
それどころか、縫い合わされた箇所の筋肉は以前よりもさらに膨張し、鋼のような光沢を帯びて変質している。
「嘘だろ……カサンドラの使った『バースの魔法』でさえあんな異常な再生しなかったぞ……」
ヘリオンが、緊張しているのがわかる。
魔法にはいくつもの法則があり、大きな奇跡には必ず術者への反動が生じるはずだ。
だが、目の前の怪物は、その「天秤」を動かしてみせた。
ステリオスはひしゃげたハラディを捨て、その巨大な拳を力任せに握り込む。
兜の奥から、人間とは思えない、獣によく似たギラついた眼光が俺を見据えている。
「匠……くるぞ。気を引き締めろ。こいつはもう、人間というよりも魔獣だ!」
ヘリオンの切迫した声が響く。
再生を超えた、異様なまでの「更新」―――俺は透明な刃を構え直したが、握る手に勝利の確信は持てなかった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は7月10日(金曜)です。
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