13話 誘拐犯
「私、プラケンタ食べてみたいっ」
知り合ったばかりのお友達であるオドリーちゃんは、口から溢れ出そうになる涎を懸命に押し留めて、目をキラキラと輝かせている。
(オドリーちゃんてば、こんなに可愛いのに精神年齢が五歳児並だわ! ちょっと心配ね)
広場で行われていた青空教室が終わるや否や、神学教師のルドヴィカは真っ直ぐこちらに向かい、私たちに声をかけてきたのだ。
それはもう、まるでネズミを見つけた猫みたいに……
「優秀な子供には特別なご褒美があるの。私の自宅に来れば食べられるわ。二人は“プラケンタ”を食べたことがあるかしら?」
帝都は確かに平和だ。けれど、小さな子供にとって安全とは言い難いのも事実。
特に最近は子供の誘拐が頻発しており、広場では日が暮れる前に母親たちが慌てて子供を連れ帰るほどだ。
もしかしたら……その一味の一人を見つけてしまったのかもしれない。
プラケンタといえば、パルテナスの大政治家カトーが好んだという伝統的な高級スイーツ。お祖父様もよく好んでいたのよね。
小麦粉とセモリナ粉の生地を何層にも重ねて、リコッタチーズと蜂蜜のクリームをたっぷり挟んで……。
確かに至高の味よ。けれど、スイーツ如きで私たちレベルの美少女を拐かそうだなんて、そうはいかないわ! ね、オドリーちゃん!
「せんせー。私、プラケンタ食べてみたいっ」
(オドリーちゃん?!)
「フフッ、貴方はとても良い子ね。ご褒美だけでなく、先生が特別な授業をしてあげましょう」
「エヘヘ、褒められちゃった」
隣でニコニコと純真無垢な笑顔を見せる初めての“お友達”を見て、私は決心した。
―――この笑顔、私が守ってみせる。
「ルドヴィカ先生、お誘いは嬉しいのですが、保護者の許可をもらいませんと……ね、オドリーちゃん?」
私が遮るように口を挟むと、ルドヴィカは氷のように冷めた表情を私にだけ一瞬向け、すぐに話を被せてきた。
「そう、残念だわ。それじゃあオドリーさん、行きましょうか」
こんの誘拐女っ!
私から初めてのお友達を引き離そうとする目の前の女に激昂しかけた、その時だった。
怒りで固く握りしめた私の拳を、小さくて温かくて、ふにふにとした柔らかな何かがそっと包み込んだ。
(これって……オドリーちゃんの手だ! なんだかとても温かくて、凄くホッとする)
―――お友達の手って、こんなに優しいんだ。
初めてのお友達だもの。絶対に守ってあげる。そのためには、こんな誘拐女からは離れないといけないわ。
でも、どうやって断ろう……そんな事を考えていたら、オドリーちゃんがキラキラした瞳で私を覗き込んできた。
「ミアちゃんはお友達だもん。一緒に行こう?」
上目遣いでそんなことを言われたら、私の決意なんて一瞬で溶けてしまいそうになる。
いけない、流されては……
その時、私たちの後ろでポカンと口を開けていたオドリーちゃんの護衛――ティミドゥスが、ようやく我に返ったように声を上げた。
「ま、待ってください! オドリーさん、ダメですよ!」
彼は半泣きになりながら、私たちの間に割り込んできた。
「ご主人様との約束なんです! 『お使いは日没までに済ませて、絶対に定時までに帰る』って! これを破ったら、俺、どんな特訓をさせ られるか……!」
(定時……? よく分からないけれど、帰る口実には最高だわ!)
私はオドリーちゃんの柔らかい手をギュッと握りしめ、ルドヴィカへ勝ち誇ったような笑みを向けた。
「ルドヴィカ先生、残念ですが今日は失礼させていただきますわ。オドリーちゃんのところのご主人様は、時間にとても厳しい方なんですって。殿方の言いつけを破るわけにはいきませんもの」
ルドヴィカの眉がピクリと動いた。獲物を逃すまいとする肉食獣の苛立ちが、その聖母のような微笑みの裏側に一瞬だけ透けて見える。
「あら⋯⋯プラケンタが冷めないうちに召し上がってほしかったのだけれど。次はいつ、お会いできるかしら?」
「さあ? 私たちの予定は、私たちの保護者次第ですわ」
私は空いた左手で優雅にウィビスを呼び寄せた。私の意図を察したウィビスが、鋭い眼光でルドヴィカを牽制しながら私の背後に立つ。
これでいい。一度体制を立て直さなければ。
「オドリーちゃん、帰りましょう。プラケンタはまた今度、もっと安全で美味しい場所で私が食べさせてあげるわ。お友達だもの、約束よ!」
「ええっ、そうなの? ……ミアちゃんが言うなら、我慢する」
残念そうに肩を落とすオドリーちゃんだったけれど、私の手を握り返してくれる力は強かった。
「……そうですか。それでは、また次の機会に。オドリーさん、そして――高貴なお嬢様」
ルドヴィカは慇懃に、深く頭を下げた。その瞳の奥には、逃げ出した獲物を必ず仕留めるという執念が淀んでいる。
私たちは広場を後にした。
ティミドゥスは「助かった……命拾いした……」とブツブツ呟いているけれど、本当の戦いはこれからだってことを、この頼りない護衛は分かっているのかしら。
握りしめたオドリーちゃんの手のぬくもり。
この温かさを守るためなら、私はどんな魔女にだって立ち向かってやるわ。
「ねえ、ミアちゃん! 明日もまた、ここで遊べる?」
「え、ええ……。当たり前じゃない、お友達だもの!」
夕日に照らされたオドリーちゃんの笑顔は、どんな高級スイーツよりも甘くて、私の心を虜にするには十分すぎたのだった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は6月17日(水曜)です。
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