09話 ウォーターの神託
都市国家連合パルテナスにおいては海と津波、共和制期のクロネリアでは泉と川。現在のクロネリア帝国では水と氷雪を司る竜として祀られている古竜ウォーター。
“氷雪”を司るようになったのは、帝国が半妖精であるエルフ族を求め、北部ブリタニア海峡を挟んだ島国ブリタンニア諸島に侵攻してからの事である。
彼女の姿は海の王者“鯱”に酷似しており、テヴェレ川が氾濫すればそれを抑え、人が溺れていれば川岸まで連れていくという、人に寄り添うのを良しとする優しき性質を持っていた。
ヘリオンが訓練を受ける『ポルトゥヌス神殿』の“離れ”には彼女が自由に行き来できるよう、毎朝欠かさず神官の手によってテヴェレ川の清らかな水が水瓶に湛えられている。
ちゃぷ……
「どれ、久しぶりだの……我の勇者たるヘリオンが魔法を請願してくるとはな。鍵の在処でも失念しておったかや?」
水瓶の縁から頭をだし、景気づけにキュイと一鳴きして、水と同化した手のひらサイズのウォーターはヘリオン達を覗き込む。
そこで目にしたのはゴズウェルの指導に従い、必死になって投斧に氷を纏わせようと苦戦するヘリオンの姿。
「あれあれ、ほとほと死人の如き脆弱さ。これでは“イデアの勇者”などとは言えまいよ。ノルドの英雄が難儀な……ネプテューヌもさぞ、嘆いていよう」
今代のウォーターの巫女『ネプテューヌ』とヘリオンは兄妹であり、ヘリオンが消息を絶ってからというものネプテューヌは慕っていた兄を失い、嘆き悲しんでいる。
これは人の都合を解さないウォーターにとっても憂い事であった。
「ともあれヘリオンが無事というのは僥倖……なれど、魂が二つに分かたれておるなぁ」
パシャッと水面を揺らして水中に潜るとウォーターはクルクルと回り、ゆっくりと水瓶を遊泳する。
考え事をしている時の彼女の癖だ。
程なくして満足したのか、キュイと一鳴きして再び顔を覗かせる。
「片割れのpneuma(霊、魂)はサンダーの唾付きか……あやつも早う次代のユピテルを見つけてやればよいものを……なれば大神の神力を持って、やわやわと助くて給う」
手のひらサイズのウォーターはぶつぶつと好き放題に呟き、水瓶からパシャッと飛び出していった。
ぼたぼたぼた……ぽたた………ぽたっ……
「ものは使いようと言うが、もう少しreligioを高められんか」
ゴズウェルの指導により魔力が低いなりの戦い方を模索していたヘリオンだったが、結果は散々なものだった。
最初のうちは刃を覆うように氷が生まれ、一回り程大きくする事ができたが数回もこなすと、凍結させる事も叶わず水浸しにするだけという有り様。
これではさすがに話にならないとゴズウェルが嘆息をついた時の事。
いかにも威厳たっぷりに“鯱”を形作る巨大な水の塊が、眼前の宙に浮いていた。
「もはや我との契りも覚えておらなんだか……ヘリオン。いや、ヘリオンの名残と思しや」
「んなっ! まさか……ウォーターが直接に顕現しようとは……」
突然の水竜の登場に目を丸くして言葉もないヘリオンとゴズウェル。
「移されし魂……ほう、そなたも銘を持つか……『匠』我の勇者ヘリオンを救いたもう礼をせねばなるまいよ」
「竜……いや、貴方は俺を認識できるのか……」
「ヘリオン?!」
ゴズウェルが俺の返答に驚愕の顔を浮かべているが説明は後だ。
「我が姉バースの所業なれば、そも驚く事ではあるまいよ。器を入れ替えたるは見事なれど、些か魂が絡まり反発しておるな」
生と死を司る竜バースといえば、俺をヘリオンの身体に移した張本人だ。
あの、わがまま勝手な兎が俺とヘリオンを雑にくっつけたのが、魔法をうまく使えない理由だったらしい。
モフモフな兎の姿でなかったら、きっと許せなかったに違いない……
「清水の清し癒しと、流水の如くにしたたむは我の得たるところ。万事ゆだねよ」
ウォーターが厳かに神託を告げると、水でできた巨大な身体がさらに大きくなって俺を呑み込んだ。
なにせ形が鯱だ。
最初は驚いて反射的に目をつむってしまったが、こわごわと目を開けて見れば、そこは美しい青の世界。フワフワと身体が浮いて心地が良い。
(ヘリオンと俺の魂が絡まっていると言っていたな……それを解くと、どうなるんだろう……)
喋る水に呑み込まれ、溺れているような状態だというのに不思議な安心感に包まれて、とにかく眠くて仕方がなかった。
(これは神様の胎内にいるという事になるのか?)
なんて心地がいいんだ……
まるで、流れるプールで漂う休日みたいだ。
おぉ、水流が少し強くなってきた。
今度はジャグジー、これも気持が良い……
え?
ちょっ……ま!
あばばばばばばばばば…………
ウォーターの胎内で気持ちよく“たゆたう”匠を突然の大嵐が襲う!
待っ!
がぼがぼがぼ……
猛烈な横回転をさせられたと思ったら、突然の反対まわり。
ようやく終わったと安堵したら今度は縦回転。
それだけでは終わらず、最終的には上下左右に、ひたすらシェイクされる羽目になった。
まさか物理で“ほぐされる”とは思わなかった……
びしょびしょで床に放り出され、気分はすっかり脱水された洗濯ものだ。
(鯱は賢いって思ってたけど……信用しきった俺が馬鹿だった……おえぇっ)
「これ匠や、あまり不遜な事を考えるでない」
ウォーターはキューンと鳴いて抗議するが、匠はすっかり満身創痍である。
匠を吐き出して手のひらサイズに戻ったウォーターは、倒れている匠とそれを介抱するゴズウェルに向かい、厳かに神託を告げた。
「我が神力を持ちて、匠とヘリオンの魂を添わせたる。これにてヘリオンの魔力も幾分は使いやすかろう……
御事がヘリオンを大切に扱った事、かたじけなしや。二人共々、健勝でな」
ウォーターが気分良く言いたいことを言い終えると、鯱を成していた水は力を失い、パシャッと床に放り出された。
残されてぐったりとしたヘリオンに、同情めいた視線を向けるゴズウェル。
「ヘリオン……いや、匠か。とにかく二人共、ご苦労さん」
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は6月08日(月曜)です。
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