02話 ロマレースとブレンヌス
「そうですか……あのヘリオンがついに上位闘士とはねぇ」
「かつて剣を交えた君には、朗報とは言い難かったかな?」
「あぁ……いえ。今さら含むところなんて一つもありませんよ。俺なんかが相手をして命が助かっただけマシ。奴さんが出世してくれたら、むしろ箔が付くってなもんで」
「確かにその通りだ。私も彼に突っかかろうなんて……知らなかったとはいえ、今思えば随分と身の程知らずな事をしたものだ」
「実際、ありゃあ本物の化け物ですからね。あれくらいじゃないと上位闘士ってのは務まらないのでしょうよ」
ブレンヌスは闘技場でヘリオンと対峙した時の事を思い出したのか、おぞけるように身震いした。
「そうだな。私も、彼の恐ろしさにもう少し早く気づきたかったよ……」
二人はヘリオンを肴にして、苦い笑いを共有しあう。
ブルトゥス訓練所管理棟。
訓練を終えた剣闘士達が三々五々に解散していく一階の広場を管理棟二階の渡り廊下からぼんやりと眺めながら、彼らは世間話に興じていた。
かつてヘリオンと敵対していた興行師ロマレースと剣闘士ブレンヌス。
ウェスパシア訓練所時代は高圧的な態度をとるロマレースを嫌っていたブレンヌスだったが、再就職先で偶然の再会を果たした二人はお互いにゼロからのスタートという事もあって、良き相談相手、愚痴をこぼし合う仲間として関係を再構築していた。
仕事上の上下関係という枠を取り払ってみれば、ロマレースは真摯に他人の話を聞ける男で、案外と親切な一面を覗かせる。
ブレンヌスもぶっきらぼうな口調を乗り越えて打ち解けると勉強家で聡いだけでなく、ユーモアと高い協調性を発揮して二人は友人と呼べる関係になっていた。
「そういやぁ、衛兵達の噂話で小耳に挟んだんですがね。ウェスパシアが再開したとか……本当ですか?」
「あぁ、間違いない。私が経営に携わっていないのにウェスパシア訓練所を名乗り続けるのはどうかと思うがな」
「潰すには惜しい名前だったのでしょうよ」
「どうかな。議員や貴族にしてみれば、いち訓練所の名前に意味なんてないのかもしれない……」
帝都の端とはいえ、クロネリア市内に居を構える訓練所はそれほど多くはない。
大闘技場を中心に見据え、東のブルトゥス、南のウェスパシアといえばそれなりに有名どころと言えた。
「経営はやはり、アウロ議員が続投ですか?」
ブレンヌスの口から嫌な名前が挙がる。
アウロ議員から散々苦汁を舐めさせられてきたロマレースは、嫌悪の念を隠す事なく顔を歪めてみせた。
「いや……奴は件の裁判で罪を認め、元老院議員を辞したらしい。シディウス伯という元老院の大物が後ろ盾になって訓練所は再会されたようだ。
実際に運営する興行師は聞かない名前だったがね」
「お貴族様は犯罪を犯しても俺達とは違うって事ですかい。やりきれねぇな……」
「経緯は私も知らないが、奴は罰として右腕を切り落とされたそうだ。それで良しとしよう」
議員が実刑を受けた事実を聞いて、ブレンヌスは意外だと言わんばかりに驚きの声を漏らした。
「へぇ、議員の腕を落とすとは、法律とやらも捨てたもんじゃなかったか。今夜の酒は旨そうだ」
「そうだな。精算された我々の過去に乾杯といこう」
「当然、興行師様の奢りでしょうね?」
「何を言っているんだ? 私はしがない見習いで、君は衛兵長だ。どちらの払いになるかは明白だろう」
ツンと澄まして言いたい事を言うロマレースの顔を、軽く睨みつけてブレンヌスは面白そうに唸る。
「そうだ。カルギスの奴が、さる高貴な御方のお抱えになったとか。あいつに払わせますか」
「ほう、ならば遠慮する必要はないな。彼の明るい前途を祝うためにさっそく支度しよう」
ロマレースの軽口にブレンヌスも楽しげに調子を合わせた。
「ついでに、議員から逃げ出した賢い右腕に乾杯するってのはどうです?」
「それは名案だ。こうなったら奮発して、ロードス島産のワインを空けるとしようじゃないか」
調子よく今夜の飲み代の算段をつけた二人は、楽しげにブルトゥス訓練所を後にする。
そこには、かつてのような陰鬱な雰囲気など皆無であった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は5月22日(金曜)です。
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