01話 昇格
スパルタクスの乱から約半年。
リヴィアスは元老院に復帰し、護衛官であるクアレスも本人の希望通り、リヴィアスの部下として立ち働いている。
件の裁判の結果、一連の事件の首謀者としてアウロ議員は元老院議員資格を剥奪。
彼の所有するウェスパシア訓練所は帝都における暴動の原因となったものの、市内有数の訓練所である事を鑑み、シディウス伯後援の下で新たな興行師を立てて経営方針を刷新。
反乱の被害を危惧して閉鎖していたブルトゥス訓練所も無事に再会し、以前の活気を取り戻しつつあった。
興行師ブルトゥス・ダモンによる大胆かつ少々暑苦しい人情味のある経営態度と、若旦那トリトスの正確な資金管理。
新たな経営陣としてダモンに拾われたウェスパシア・ロマレースもトリトスの足りない視点を埋める働きを見せ、うまく馴染んだようだ。
ブルトゥス訓練所の地力を支える男達、鬼とあだ名される訓練士長ザビアの徹底した訓練と、優秀な武具を安定供給するドワーフ族の鍛冶師長キュクロも健在である。
ブルトゥス訓練所はかつてないほど盤石な体制を整えていた。
その日、ブルトゥス訓練所席次三位の下位闘士ヘリオンは、日課となっている後輩への戦闘指導とザビア訓練士長によるマンツーマン訓練をこなし、帰宅の用意をしているところで顔見知りの訓練士から声をかけられた。
「ヘリオン、ダモン様が執務室でお呼びだ」
「わかりました。すぐに向かいます」
ブルトゥス訓練所が再開されてひと月ほど経つが、ここに至るまでヘリオンの試合は一度も組まれていない。
剣闘士の給与は試合をしてなんぼの歩合制である。
彼のパトロヌスであるリヴィアス元老院議員から生活に困らないだけの支援を受けているが、安定志向のヘリオン(の中身である匠)は日々確実に目減りしていく貯金額に戦々恐々としていた。
(ダモンさんには何度も試合がしたいと訴えていたからなぁ。ようやく試合が決まったかな)
まるでフライングディスクが投げられるのを待つ子犬の如くに、意気揚々と執務室に向かうヘリオン。
彼にもし尻尾があったなら千切れんばかりにブンブンと振られていたはずだ。
「試合ですか? その予定は当分有りませんよ」
ダモンを待つ傍らでヘリオンの期待を即座に打ち砕いたのは、一足先に執務室へ来ていた若旦那のトリトスである。
がっくりと肩を落としたヘリオンに、トリトスは容赦なく追撃する。
「ヘリオンさんの五連戦は未だに語り草となっていますからね。
四人掛かりを圧倒し、巨大な魔獣を黒焦げにしてしまったわけですから……もはや市内でヘリオンさんとの試合を了承できる下位剣闘士はいないでしょう」
再開したブルトゥス訓練所では、すでに何組もの試合が行われている。
スパルタクスの乱に続き、ヴェスビオ山噴火の被害が発生した事で娯楽の類は自粛されていたが、皇帝アウグス直々に『停滞している帝都の経済を活性化させる方策の一環』として剣闘試合を再開させる旨の命令書が大々的に発布された。
度重なる災難に鬱々と過ごしていた市民の反動は凄まじく、帝都における剣闘試合はかつての隆盛を取り戻しており、興行師達の間では契約書と金が飛ぶように行き交っている。
――だが、それでもヘリオンに試合は無い。
なぜなら、試合に関する契約書の文言にはその全てに『下位剣闘士ヘリオンを除く』『剣闘士ヘリオンは除外する』『剣闘士ヘリオンの参加を禁じる』等の文言が必ず添えられていたからだ。
トリトスにやり込められて深いため息をついていると、執務室のドアが勢いよく開けられた。
「おい! 景気の悪いため息なんぞ漏らしとる場合か! いい話を持ってきてやったぞ!」
部屋の主である興行師ダモンは上機嫌で、ドッカと中央の執務机に陣取った。
「父さん、随分とご機嫌なようですね」
「おう! ヘリオン、お前にいい話を持ってきてやったぞ! トリトスにも関係あるからな。心して聞いてくれ」
父親であるダモンの一声に、若旦那のトリトスはにわかに警戒を強める。
この奔放な父親は、自分には到底用意する事のできない大きな仕事をどこからとも無く取ってくる才能を持っている。
それはいいのだが詰めが甘く、お人好しなところが問題だ。
さらに言えば、奔放で豪快なダモンと、のんきで非常識な実力を持つヘリオンを混ぜてはいけない。
混ぜると危険度が跳ね上がるのだ。
一段声を低くして慎重に詳細を尋ねるトリトス。
「父さん、今度は一体どんな話を拾ってきたんです?」
目を鋭くして身構えるトリトスの態度などどこ吹く風でダモンは満面の笑みを作り、つばを飛ばして報告を始める。
「驚くなよヘリオン! お前さんの上位闘士昇格が決まったぞ!」
これには冷静なトリトスも喜びを隠せなかった。
「ついに、うちから上位闘士が……」
当のヘリオンは状況を理解できていないのか、美しい青い瞳を瞬かせた。
二人の反応をよそにダモンは数枚の羊皮紙を執務机の上に置き、まくし立てるように話を続ける。
「これは帝都における剣闘士の最高責任者アグナ・フィルメヨール・クラウディ公直筆の上位闘士昇格認定書だ。リヴィアス議員からの推薦状も添えられておる」
「リヴィアスが……」
上位闘士というものが何をするのかよくわからない匠だったが、昇格に関してリヴィアスが関わってくれた事に、心の中で感謝した。
「そしてこれが、上位闘士昇格式への招待状だ! なんとこちらはアウグス帝直筆よ! 驚いたか!」
ワッハッハと豪快に大笑するダモンは本当に嬉しそうだ。
「ヘリオンさん、新たな契約を結ばなければなりませんね。
上位闘士ともなれば、本当の意味での看板闘士です。訓練所にたいする発言力も非常に大きくなりますし、動く金額は十倍以上になります。
専用の衣装に専用の馬車、ヘリオンさんが希望されるなら専用の部屋や訓練場も用意しなくてはいけません。ついに大闘技場ですか…腕が鳴りますね」
冷静を装っているが、トリトスもだいぶ興奮しているらしい。こんなによく喋るトリトスは見たことがない。
「すみません、上位闘士になったら試合はできそうですか?」
盛り上がる二人のテンションについていけず、匠は恐る恐る現在の希望を聞いてみた。
「「もちろん!」」
二人の声が重なった。
昇格する当の本人を置いてけぼりにして、しばらくはこのテンションが続くと思うと、匠は自然と苦笑いがこぼれた。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は5月20日(水曜)です。
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