プロローグ
年端もいかない子供達が暗く冷たい部屋に閉じ込められて泣いている。
その部屋には明かり取りの一つも無いようで、古びた扉の隙間から時折差し込む光だけが唯一の光源らしかった。
埃っぽく、カビ臭い空気が肺に沁みていくのが不快で仕方ない。
察するにここは地下室のようだ。
使われなくなった商会か何かの倉庫だろうか?
この場所について考えを巡らせようとするが、暗闇から聞こえてくる子供達の嗚咽や泣き声が、どうしても彼の耳から離れない。
「おうちに帰りたいよぅ⋯⋯」
「お腹すいたぁ⋯⋯ママの作ったマリトッツォが食べたいなぁ」
「青空教室でお昼寝しちゃっただけなのに……なんで私、こんなところにいるの?」
「ねぇ⋯⋯私達、どうなっちゃうの?」
マリトッツォか⋯⋯オリーブオイル入りの生地に蜂蜜を漬け、レーズンやイチジクのドライフルーツを挟んだクロネリア市内でも人気のスイーツだ。
つまり、この子は地方在住者ではなく、市内の子供という事になる。
青空教室というのは、市内の広場で家庭教師が日常的に行っている授業形式だ。
これは、家庭教師を付けて教育を受けるだけの財力を持っている証左。
子供達の会話から断片的な情報をかき集め、誘拐された地域や『この場所』が何処かを少しずつ絞り込もうと試みる。
そうこうしていると、不意に強い光が差し込んだ。
固く閉ざされていた古びた扉が、ギィ⋯⋯と不吉な音を立てて開かれた。
扉を開けたそれは逆光で姿がよく見えないが、シルエットからしてどうやら人ではないらしい―――
それは狼を二回りも大きくしたような四つ足の獣。
光の加減に慣れてくると、その異様に目が釘付けとなった。
金色の毛並みには、所々に黒く固まった血がこびりついていて、その獣の残虐性を如実に言い表しており、顎まで裂けた大きな口からは、ひっきりなしに涎が溢れ、血なまぐさい呼気をまき散らしながら「ギャウ、ギャウ」と唸って、頻繁に舌なめずりを繰り返す。
獲物を前にした巨大な人食い狐は、目を嬉しそうに三日月の如く細め、声も出せずに震える子供達をじっくりと時間をかけて品定めした。
フーッ、フーッという興奮した獣の荒い息遣い。
カチカチカチカチ……カタカタカタカタ……
震える子供達の歯の音と震えだけがこの部屋を満たす。
やがて辛抱たまらなくなった人食い狐は、育ちの良さそうな娘の首元に容赦なく噛みつき、勢い余ってそのまま食いちぎってしまった。
「ヒイィッ!」
誰の叫びだったろう。
少なくとも最初の獲物にされた可哀想な娘でないのだけは確かだ。
彼女はもう叫ぶ事さえできないのだから―――
グチャグチャグチャと柔らかい肉を咀嚼し、ゴリゴリゴリと奇怪な音を鳴らして骨ごと喰らい尽くす。
ピチャピチャ⋯⋯ゴクン。
床を赤く染めた血の跡まで丁寧に舐め取ると、狐は満足そうに喉を鳴らした。
部屋の隅で腰を抜かしている子供達を眺めれば、満ち足りたはずの腹が渇望を訴えている。
どうやらこの腹はデザートまでご所望らしい⋯⋯
次に狐が目をつけたのは骨の硬そうな長身の男の子だ。
キラキラした瞳が宝石のようで美しく、成長途中の脛の骨が歯の掃除にうってつけだと思ったのだろう。
宝石の光を湛えた瞳に獣の影が覆いかぶさる。
男の子はとうの昔に現実を受け入れられなくなっており、放心状態だった。
彼の視界が真っ赤に染まり、骨が砕かれる音を最後に、プッツリと意識が途絶えた―――
§§§
クロネリア市内を南北に走り、東西を分ける清流『テヴェレ川』。この川を境にして西側が富裕地域とされている。
テヴェレ川には全長270メートルほどの中州がある。
そこは『ティベリナ島』と呼ばれる国有地で、聖域として神聖視されていた。
ティベリナ島が聖域とされるのは帝国有数の複合治療施設『アスクレペイオン』があるからだ。
大理石造りのこの治療院は、クロネリア帝国の神学と科学の粋を集め、あらゆる病の治療と研究、教育を担っている。
神と竜に祈りを捧げる神殿、身を清める公衆浴場から、入院患者の為の医療棟、教育のための学校施設まで、医療に関する施設や機能がおよそ考えうる限り備えられていた。
治療方法も多岐に渡り、夢の中で治療を施す夢治療、麻薬を利用した睡眠治療、果ては腫瘍摘出などの外科的治療に至るまで、あらゆる治療を執り行っている。
そんなアスクレペイオンの入院患者用住居棟の最奥で、彼は目を覚ました。
伝説の英雄ゴズウェルに見出された二人目の『イデアの勇者』
ブルトゥス訓練所の上位闘士であり、元老院議員タルカス・リヴィアス・トピカからの支援を受け、時と空間を司る竜レガシーの加護を持つその男の名を『ポンス・ホラティウス』といった。
歳は二十代中頃、中肉中背、クロネリア市民に多い栗色の髪と黒の瞳。整ってはいるが地味な顔立ち。
平凡な容姿を持つホラティウスではあるが、彼に課せられた運命は平凡とは言い難い。
時の竜レガシーに導かれたホラティウスは、帝国に混乱を招く七つ首の竜ケイオスの怒りを鎮める為に天空の竜サンダーと共に死闘を繰り広げた。
その結果、四肢は砕かれ、腐り、利き腕である右腕を失った上、数カ月間に渡って生と死の境を彷徨い、現在はクラウディ公の手配によりアスクレペイオンで長期療養生活を余儀なくされている。
夢から目覚めたホラティウスは滝のように汗を流し、目を充血させて嗚咽をこらえる。
「子供達よ、すまない⋯⋯本当にすまない⋯⋯」
レガシーの加護を受けてからというもの、ホラティウスには夢見の力が備わった。
その力は竜の巫女にも匹敵する程強力で、場所を選ばず、時間も関係がない。
それは近くか遠くか分からず、過去か未来かも定かではないが、確実に起こる出来事を予見する力だ。
右腕を失い、満足に歩く事が出来なくなって以降、感覚だけが鋭くなったせいか、その力はさらに増している。
危機を感知しておきながら何もできない不自由なこの身体が厭わしい。
ホラティウスは頬を伝う涙を拭う事すら叶わない我が身を呪い、口を開いた。
「テウメッサの狐め⋯⋯こ、この夢見を、伝えなくては―――」
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は5月18日(月曜)です。
お読みいただき、ありがとうございます。
気に入って頂けましたら評価★★★★★ブクマをお願いいたします。ランキングと作者のモチベーションが上昇いたします。
引き続き、『武器物語』をよろしくお願いいたします。




