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【祝21万PV】転生式異世界武器物語 〜剣闘士に転生して武器に詳しくなるメソッド〜[月水金17:30更新・第二部完結済]  作者: 尾白景
裁判と戦争編

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第二部エピローグ 星を測る者たち

 帝都の夜は、想像していたような静寂とは無縁のものだ。

 けれど、闘技場や暴動の中で耳にした、陰惨な鎖の音や、明日をも知れぬ者たちの怒号はここにはない。


 あるのは、帝都でもそれなりの家賃がする集合住宅インスラ二階の、しっかりとした石壁と木の床が放つ、安らぎの気配だけだ。


 川背匠ことヘリオンは、テーブルに置かれた飲みかけのドルツォ(大麦のコーヒー)を一飲みにする。

 空になった陶器の杯(ポカルム)をテーブルに戻すと、ことり、と乾いた音が部屋に響いた。

 窓の外からは、夜風が運んでくる大通りの微かな喧騒と、どこかの酒場で歌う酔っ払いの陽気な声が聞こえてくる。


 俺はふぅっと息を吐き、椅子に深く腰掛けた。

 この部屋には、なんと水道が通っている。蛇口を捻れば水が出る。現代日本なら当たり前のことだが、この世界において、それが叶う物件がいかに贅沢か、今の俺には骨身に沁みて分かる。


 この暮らしを維持するのは決して簡単ではないが、それに見合うだけの「文化的な生活」がここにはあった。



「……んぅ……ごしゅじんさまぁ……」


 ふと、部屋の奥から甘い寝言が聞こえた。

 視線をやると、ベッド(キュビキュルム)の上でオドリーが幸せそうに寝返りをうっている。


 彼女のベッドは、寝具店から取り寄せた羊毛入りのものだ。

 この時代、この世界の基準では、かなり上等な『ふかふか』だが、それでも俺の基準からすれば、キャンプ用の寝袋に毛が生えたようなもの。


 ……だが、それでもオドリーが幸せそうに眠っているのは、ここが『安全な場所』で、彼女の『居場所』だからだろう。その寝顔に悲壮感は欠片もない。

 上質なリネンのシーツに包まり、コロコロと笑う愛くるしい顔を枕に埋めて眠る姿は、幸福な幼い少女のそれだ。


 彼女の寝息は規則正しく、聞いているだけで俺の心拍数まで落ち着かせてくれるような、不思議な癒やしの力があった。


 オドリーの、感情豊かでいつでも一生懸命なその姿を思い出すと、胸の奥が温かいもので満たされる。

 俺が身体を張り、命を削って稼いだ金が、かつては垢まみれの逃亡奴隷だった少女の平穏と安眠に変わっている。


 そう思うだけで、心の渇きが収まっていく。


 俺は音を立てないように立ち上がり、玄関の方へと向かった。

 厚い木の扉を少しだけ開け、外の様子を窺う。



「……スーッ、スーッ……」


 廊下の冷たい石畳の上で若い男が一人、器用に槍を杖代わりにして座り込み、船を漕いでいた。

 ティミドゥスだ。

 彼もまた、俺が身元を引き受けた家族の一員である。


「おい、ティミドゥス。中で寝ろと言っただろう」


 小声で声をかけるが、彼は眠ったまま眉間に皺を寄せ、頑固そうに首を振った(寝ているのに)。

 彼は「我が家の門番」という職務に、異常なまでの誇りを持っている。


 俺としては、門番をティミドゥス一人に任せているこちらの落ち度であり、彼にまともな福利厚生を与えてやれない事への申し訳なさがあるというのに⋯⋯


 インスラの二階であるこの家に訪れる者などそうそういないので、夜は部屋の中で一緒に寝ればいいと言ったのだが、彼は「主人の寝所と門番の詰め所は別であるべきです」と譲らないのだ。


 ピカピカの槍を、いかにも大事そうに抱きしめて眠るその背中はどこか滑稽で、けれど頼もしい。

 若者らしい愚直さが、夜の冷気の中でも彼を暖めているのかもしれない。


 俺は苦笑しながら、そっと扉を閉めた。

 部屋に戻り、ベッドに腰をかけると、今度は。

 こちらの壁の向こうは、お隣さんだ。



 ドガァ……ゴゴゴ……。


 壁越しでもはっきりと分かる、地響きのような重低音。

 巨漢カルギスの豪快なイビキだ。闘技場での雄叫びにも似たその音は、彼が今日も無事に生きて帰ってきた証でもある。


  ……カサリ、と衣擦れの音が聞こえた。

 続いて、布が擦れる微かな音と、寝台が小さく軋む音。

 おそらく側仕えのマンティさんが、蹴飛ばされた毛布を丁寧にかけ直し、体の大きな主人の寝返りを打たせてやったのだろう。

 やがて、轟音のようだったイビキが、少しだけ穏やかな寝息へと変わる。文句ひとつ言わず、ただ静かに家族の安眠を守る気配。


 彼女はカルギス一家の才女であり、家内奴隷として彼らを支えている。時には俺の家の家事も手伝ってくれる、頭の上がらないお姉さんだ。


「……んん、父ちゃん……強い……」


 さらに微かに、病弱なニウスの寝言も聞こえる。

 彼らは家族だ。血の繋がりがあるかは知らないが、魂で結ばれた、確かな家族の営みが壁一枚向こうにある。


 騒々しくも、温かい。

 怒りの声も、血の匂いも無縁だ。

 ここにあるのは、俺が泥にまみれ、血を流して勝ち取った「日常」。



 俺は鎧戸を押し開け、バルコニーへと出た。

 夜風が、熱を帯びた体を優しく撫でる。

 手すりに肘をつき、広がる帝都の夜景を見下ろす。街の灯りはまばらだが、空には月が輝いている。


 蒼白く輝く大きな満月。

 現代の日本とは違う、澄んだ異世界の空。

 視線は自然と、北の空へと向いた。

 反乱軍が向かった、アルプスの方角だ。


 ――スパルタクス。


 姉ちゃんが「推し」として崇拝し、俺もまた歴史の教科書でその名を知っていた、伝説の反逆者。

 つい先日、俺は彼と別れた。



『スパルタクス、君の無事を願うよ』


 俺は彼に、そう言った。

 喉まで出かかった言葉はいくつもあった。「行くな」とも、「勝てる」とも言いたかった。

 だが、言えなかった。

 俺は知っているからだ。史実における彼の末路を。


 彼がこれから成し遂げる数々の勝利と、その果てに待っている壮絶な最期を。


 未来を知る者として、無責任な希望を口にすることは、彼への冒涜になるような気がしたのだ。

 彼は、俺の言葉を聞いて、ふっと表情を緩めた。

 戦鬼のような殺気が消え、一瞬だけ、ただの「友人」としての顔を見せた。


『ああ、俺もタクミの家族と友人の無事を祈っている』


 言葉少なに言祝ぐと、彼は踵を返した。

 その背中は、歴史書で読んだどの記述よりも大きく、雄弁だった。

 そして振り返った時の彼の顔は、もう俺の知る一人の剣闘士のものではなかった。

 何万人という人間を背負い、導き、その命を預かる「指導者」の顔。

 歴史という巨大な奔流に身を投じる覚悟を決めた、英雄の顔だった。


(……祈ってくれたんだな、あいつ)


 俺は背後の部屋を振り返った。

 ふにゃふにゃと寝言を言うオドリー。

 玄関先で意地を張って寝ているティミドゥス。

 壁の向こうの喧しいカルギス一家。


 これから死地へ向かう英雄が、最後に気にかけてくれたのは、俺の世界の「平和」だった。

 彼は全てを捨てて自由のために戦う道を選んだ。

 俺は、この帝都の片隅で大切な人たちの日常を守るために生きる道を選んだ。


 道は分かれた。

 だが、あの一瞬、俺たちの魂は確かに交錯したのだ。


 俺は再び夜空を見上げ、右手を掲げた。

 親指と小指を広げ、星の尺度を測る。

 かつて、姉ちゃんが教えてくれた星読みの作法。


(……北極星に相当する『導きの星』は、あそこだ。地平線からの角度はおよそ35度)


 姉ちゃんが叩き込んでくれた知識は、この世界でも通用する。

 俺はその知識を使って、自分の立ち位置を確認する。英雄スパルタクスとも違う、ヘリオンという一人の人間としての座標を。


「……姉ちゃん。俺、何もできなかったよ。史実通り、彼は行ってしまった」


 虚空を掴むように手を握りしめる。

 止められなかった悔しさが、胸の奥でチリチリと燃える。けれど、それと同じくらい、誇らしさもあった。あんたが好きだった英雄は、本よりも、伝説よりも、ずっといい男だったよ。


「……あいつは俺の『守るべきもの』を認めてくれた。だから俺は、死ぬ気で生き残る」


 俺は夜空に向かって誓った。


 いつか、姉ちゃんときなこに、こっちでの家族の土産話をしてやるまでは絶対に死なない。

 俺は俺の戦場で、このささやかな日常を守り抜いてみせる。


 §§§


 チクタク、チクタク……。


 壁掛け時計の秒針の音が、やけに大きく響く。

 日本の、とある地方都市。川背家のリビング。

 夜の帳が下りた室内で、川背真綾は、背筋を伸ばし、神官が儀式を行うような厳かな所作で夕食の箸を動かしていた。


 メニューは匠が好きだった生姜焼き。

 視線をふと上げると、壁のカレンダーが目に入る。今日の日付には、赤い丸がつけられていた。


『匠、誕生日』


 あの日、匠がトラック事故で行方不明になってから、数年の月日が流れた。

 世間的には「死亡」として処理されたが、真綾の理性は別の結論を導き出していた。


 ――匠は、生きている。この物理世界のどこにもいないだけで。


 根拠はなかった。いや、あるとすれば、それは「姉の勘」という、どんな科学的データよりも信頼できる直感だけであった。


「……ブフッ……」


 足元のホットカーペットの上から、くぐもった、不満げな鼻鳴らしが聞こえた。


 ミニチュアダックスの『きなこ』だ。

 かつて艶やかだった茶色の毛並みはすっかり白くなり、瞳は白濁し、足腰は弱りきっている。ダックス特有の活発さは影を潜め、一日のほとんどを眠って過ごす、晩年の姿だった。


 今日は特に、気圧のせいか古傷が痛むらしく、朝からあまり動こうとしない。

 だが、きなこはおもむろに身じろぎすると、よろめきながら体を起こした。


 トコトコと……いや、重たい足を引きずるようにして、匠の部屋のドアの前まで歩いていく。


 かつてのように、後ろ足で立ち上がり、カリカリと扉を掘る力はない。

 ただ、ドアの隙間に湿った鼻先を押し付け、そこに微かに残る主人の残り香を「フンフン、フンフン」と必死に嗅いでいる。


「……クゥ〜ン、クゥ〜ン……」


 その鳴き声は、切なく、高い。

 甘えているようにも、呼んでいるようにも聞こえる。自分の命の灯火が消える前に、もう一度だけでいいから会いたい。


 そんな老犬の魂の叫びが、静かなリビングに響いた。真綾は箸を置き、わざとらしく冷淡なトーンで言い放った。


「きなこ。無作法よ。平民の匠がいないからって、我が家の最長老であるあんたまで規律を乱してどうするの」


 そう言いながら、真綾はスッと立ち上がり、きなこの元へ歩み寄った。

 抱き上げると、驚くほど軽い。骨と皮ばかりになってしまった小さな体温を、壊れ物を扱うように優しく腕の中に収める。

 きなこは安心したように、真綾の腕の中で「ハフッ、ハフッ」と小さく息を吐いた。


「……バカね。あいつは今、すごく遠い場所で……歴史の教科書みたいに重い現実と向き合っているのよ」



 真綾の言葉に呼応するように、ベランダの方から羽音が聞こえた。カーテンの隙間から、雪のように白い影が滑り込んでくる。


 一羽のフクロウだ。


 年に一度、あの日から必ずこの時期に現れる、奇妙な訪問者。

 金色の瞳が真綾を射抜く。その瞬間、彼女の脳裏に、フクロウの残照が、風のような声となって響いた。


『……やぁ、姉君。一年ぶりだね』


 真綾は驚かなかった。ただ、抱いたきなこを少し強く抱きしめ直す。


「……遅いわよ。今年も弟の安否確認、ちゃんと済ませてきたんでしょうね?」


『もちろんさ。彼は今、大きな別れを経験したところだ』


 フクロウは小首を傾げ、真綾を見つめた。


『彼は、君が愛した英雄と邂逅し、言葉を交わしたよ。偉人からの誘いを受けながらも彼は「彼自身の守るべきもの」のために、その場に留まることを選んだ』


 真綾は一瞬、目を見開いた。

 心臓が早鐘を打つ。


 スパルタクス。弟が会ったのは、間違いなく彼だ。歴史オタクである真綾にとって、それは夢のような話であり、同時に残酷な事実でもあった。


 スパルタクスの反乱は失敗する。彼は死に、その名は反逆者として歴史に刻まれる。

 弟は、それを知っていて、彼を見送ったのだ。

 無力感に打ちひしがれながら、それでも「生きる」ことを選んで。


 真綾の瞳が潤み、視界が滲む。

 だが、彼女は涙を流さなかった。

 ここで泣いてしまえば、弟の覚悟を否定することになる気がしたからだ。


「……フンッ。当たり前でしょ。誰が育てたと思ってるのよ」


 真綾は梟に向かって、震える声で、けれど誇り高く言い放った。首筋まで赤く染まっているのを隠すように、少し顔を背ける。


「あのバカ弟……歴史を変える英雄にはなれなくても、自分の大事なものくらいは計算通りに守りなさいよ」


『ふふ、君のそういうところ、彼はよく似ているよ』


 梟は満足げにホーと鳴くと、翼を広げた。

 長居は無用とばかりに、夜空へと飛び立っていく。



 真綾はベランダに出て、見慣れた月を見上げた。冷たい夜気が、火照った頬を冷やしていく。


(……あの子ったら)


 真綾はベランダの手すりに寄りかかり、遠ざかる白いフクロウの影を目で追った。

 その白さは、あの日、警察の調書や目撃証言にあった奇妙な記述を思い出させる。


『事故直前、道路に白いウサギのような小動物がいた』


 普通なら、トラックで小動物を避けてハンドルを切るなんて自殺行為だ。けれど、匠はハンドルを切った。迷いなく、ガードレールへ突っ込んだ。


(……あんたは、咄嗟に重ねちゃったのよね。目の前のウサギと、家のホットカーペットで寝ている、この『短足の老犬』を)


 真綾は部屋の中へと戻り、窓を閉めた。

 足元のきなこを抱き上げる。


 かつては元気だったが、今はすっかり軽くなってしまった。動物好きで、この小さな家族を溺愛していた匠。

 だからこそ、目の前の小さな命を轢き殺す感触に耐えられなかったのだ。たとえそれが、自分の命と引き換えになったとしても。


(あんたを異世界あっちに追いやったのは、あんた自身の優しさ……そして、その優しさを育てたのは、間違いなくこの子との時間よ)


 真綾は腕の中で眠るきなこの背中を、愛おしそうに撫でた。きなこは夢を見ているのか、寝息を立てながら、時折ピクピクと足を動かしている。


「いい、匠。あんたがあっちでウサギ一匹のために命を投げ出したっていうなら……私は、あんたが愛したこの老犬あいぼうの最期まで、責任を持って付き合ってやるわ」


 それが、あの子が残していった「優しさ」への、姉としての落とし前だ。


「……だから、計算を間違えるんじゃないわよ。私の教えた通りにやれば、どんな異世界でも必ず『生きる道』は導き出せるんだから」


 二度と会えないかもしれない。

 けれど、彼らの頭上に広がる「星空」だけが、今この瞬間、確かに繋がっていた。


 どこか遠い異世界で、弟もまた同じ星を見上げている。その確信だけが、今の真綾にとって唯一の真実だった。


「……誕生日おめでとう、匠」


 夜風に溶けるような囁きは、きっと星を伝って彼に届くはずだ。真綾はきなこの温もりを胸に、いつまでも夜空を見上げていた。



 第二部了

『転生式異世界武器物語』をここまでお読みいただきまして本当にありがとうございます。


今話にて“第二部:裁判と戦争編”は終了となります。いかがでしたでしょうか、楽しんでいただけましたなら幸いです。


“第三部:上位闘士編”は5月13日(水曜)17:30より投稿を開始いたします。


ブックマーク、★★★★★評価、レビュー等いただけますとありがたいです。

引き続き『転生式異世界武器物語』をよろしくお願いいたします。

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