64話 パンとサーカス
「陛下、ポンペイ市の被害ですが、火砕流と噴石により市内は寸断。建築物も大半が倒壊し、復興は困難との報告を受けており、避難民につきましては……」
行政地区『フォルム・ロマヌス』その南側は丘陵地になっておりパラティヌスの丘と呼ばれて神聖視されている。
その頂きにそびえる官邸『ドミティアヌス宮殿』の執務室で、現クロネリア帝国皇帝インペラル・ディディ・フィルメヨール・アウグス・クロネリア。通称アウグス帝は怒りに顔を朱に染め、各方面の文官達を集めて報告を受けていた。
「そなた、余が報告を命じたのは市民の避難状況であったか?」
「も、申し訳ありません! では改めまして、クラッスス将軍旗下の鎮圧軍ですが、レアティナ平原での快勝から追撃の為に南下。
ポンペイ市に陣取った反乱軍を取り囲み、降伏勧告を行っていた由」
アウグス帝から凍るような視線を向けられ、慌てた文官は早口で鎮圧軍の動向を伝える。
「同時期にヴェスビオ山が噴火し、鎮圧軍及び反乱軍は共に噴石の直撃を受け、大部分が壊滅。
遠見の者が連絡を試みましたが現場の危険性から、将軍は死亡したとの判断が成された模様にございます」
報告を終えた事で一息ついた文官とは対照的に、アウグス帝は憤懣やる方ないという態度で毒を吐いた。
「余はすでに戦争の終結宣言を出したのだぞ。鎮圧軍の総司令官であるクラッススに死亡されては、凱旋演説で誰が余の眼前で頭を垂れるのだ?
これでは片手落ちというものではないか! 余の対面に関わる重大事ぞ!」
「恐れながら陛下、帝都防衛を務めたコルネリウス将軍をお呼びするのはいかがでしょう」
皇帝の前に姿勢を正して立ち並ぶ文官の一人が、スパルタクスの乱におけるもう一人の司令官の名を口にする。
コルネリウス将軍は統帥権である『インペリウム』こそ与えられていなかったがクラッスス将軍に次ぐ上位者。
戦後の論功行賞で皇帝直々に褒美を賜るに相応しい者といえば、彼をおいて他にはいなかった。
だがアウグス帝にしてみると、伯父であるクラウディ公が開戦時に手配した編成に、横槍を入れてねじ込んだクラッススが生死不明の憂き目に合い、自らが総司令から防衛軍司令に落としたコルネリウスを臣民の前で労うというのは、かなり抵抗があった。
帝国軍50軍団30万人、帝国100万市民の頂点に立つ皇帝ともなれば、その程度の腹芸はできて然るべきであったが、残念な事にアウグス帝はそれだけの機微も胆力も持ち合わせてはいない。
「あまねく地上海を統べる最上位の皇帝たる余が、何故かように生意気な男を讃えねばならん!
これではクラウディが正しかったと喧伝するようなものではないか!」
意見を出した文官を睨みつけ、唾を飛ばして怒声をあげるアウグス帝。
父譲りの秀麗で理知的な顔立ちとは裏腹な、癇癪持ちの主人に因縁をつけられてはたまらないと、一同は表情を消して押し黙るしかなかった。
「トルネウス様の御世であれば……」
沈鬱な空気の中にボソリと呟かれた言葉。
それはため息と共に無意識から出たものであっただろう。
聞き取ろうにも難儀するほどの声量だったが、賢帝と称され、常に己の治世と比較される父の名をアウグスが聞き逃す事はない。
「今……父上の名を出したのは誰か」
怒りを通り越し、ひどく落ち着いた様子で問いただすアウグス帝を前に、皆が息を呑んで互いの顔を伺う。
皇帝の後ろに控えた二人の護衛官が、音もなく剣の柄に手をかける。
護衛官に威圧され、せわしなく行き来する文官達の顔と目線がたどり着いたのは、立ち並ぶ中で一際年嵩の老爺であった。
やむなしという態度で老爺が一歩前にでて口上を述べる。
「陛下、私でございます」
「ほう……そなた、余の前で父上の名を出す事はまかりならんと命じたのを忘れたのか?」
「いえ。私は陛下の忠実な部下と心得ておりますれば陛下の関心を惹き、何卒この爺の苦言をお聴き届け頂きたいと思い、口にいたした次第でございます」
「ふむ。余の命を差し置いての苦言ならば、その後どうなるかは理解しておろうな」
呟きを漏らしたのは彼ではなかったが、老爺は先帝の時代から仕え、後継者であるアウグス帝の未熟さを憂う数少ない忠臣であった。
才能ある若い文官の身代わりとなり、わがまま放題な君主を諌める捨て駒になろうと老爺は決意する。
「老い先短い爺の命など先が知れておりますれば、陛下の歩まれる道を照らす明かりの如き、小言の一つも残せれば悔いなどありますまい」
「よく言った。ならば余も心して拝聴しようではないか」
「ありがたき幸せ。では一つ……」
老爺はこれまでにもアウグス帝に諫言した事で誅される者を幾人も見送ってきた。
今更何を話したところで我が身が助かる道などありはしない。
「陛下の帝位は、先君トルネウス帝がマクシミア皇女殿下の助命嘆願と引き換えにお与えになったもの。
残念ながら未だ、家臣も臣民も心から陛下に心酔するには至りませぬ」
「ほう……そなた、命をかけてまで余を侮るか……」
「さに非ず」
「陛下が皆の尊敬を集め、心服を望むならば……どうか、どうか、賢帝と讃えられた先君トルネウス帝の治世をクラウディ公より学び、踏襲なされませ!」
老爺は目に涙を浮かべて若い君主を諌めようと必死に言い募る。
それは正に、帝国に命を捧げた忠臣による唯一度きりの諫言であった。
「言いたい事はそれだけか? 父上だけでは飽き足らず、余をクラウディの下と見るか……
父上はすでに退位し隠居の身。
時期皇帝に相応しいと囁かれていたクラウディ伯父も今や、紛うことなく余の部下である。
それつまりは政治闘争における勝者、皇帝の座に就いた余こそが正しく帝国を導けるというもの!」
「それは結果論というものではありませんか……」
顔に苦汁を滲ませて老爺は首を横に振るが、激昂したアウグス帝は護衛官を急き立てた。
「黙れ! そなたの言は確かに聞き届けた。アムルス、この者を引っ立て首をはねよ!」
「はっ!」
命を受けた護衛官は無表情のまま、懇願する老爺を引きずるようにして連れ出す。
しんと静まり返った空気に満足したアウグス帝は支配者らしい余裕を取り戻し、怯えを見せる文官達に悠然と語りかけた。
「余は勝者にして頂点に君臨する支配者たる。だが愚か故に群衆は余の英邁さを解さぬ。
余が知らしめるべき功績とは戦果であり、欲するは強者への羨望である。
民を無用に甘やかし、賢帝などとおだてられる事を余は望まぬ。そなた達、それを踏まえて発言せよ。よいな?」
「はっ!」
「されば陛下、内乱に噴火と民草は意気消沈しております。ここは戦争を理由に中止されていた剣闘試合を再開して民衆にパンを配り、陛下の御威光を受けた闘士をお披露目されるのはいかがでしょう」
「う、うむ。なればアース様への鎮魂試合ともなろう。陛下の武威を見せつける派手な試合とせねばな」
文官のだした意見はあからさまな皇帝へのご機嫌取りであったが、どうやらその効果は抜群であったらしい。
アウグス帝は今回の報告で、初めて満足げな笑みを作った。
「派手な試合か。余の治世にケチをつけたアースへの生贄というのは、いささか不愉快ではあるが悪くないぞ。フフフ……」
民衆というものは食事や職にあぶれず、娯楽を楽しめるほど文化レベルが成熟すると政治に対して無関心になる。
それは現代日本に限った事ではなく、ましてや近隣各国を従えた超大国であるクロネリア帝国も例外ではない。
民衆にとって直接的で分かりやすい食事と娯楽を饗する裏で、貴族や政治家が己の都合ばかりを考えた政策を推し進める社会を憂いた詩人が『パンとサーカス』などと揶揄したように、アウグス帝の治める帝国は飽和へと向かっていく。
父である先帝トルネウス、伯父クラウディ公の名声を妬むアウグス帝は民衆の支持を得るため、より大規模で派手な剣闘試合を計画する。
狂気をはらむ皇帝の視線は、クラウディ公派縁の剣闘士ヘリオンの姿をはっきりと捉えていた。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回、5月11日(月曜)は第二部最終回となります。
ぜひ最後までお付き合いくださいませ。
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引き続き、『武器物語』をよろしくお願いいたします。




