63話 神秘の鍵アルカナ・クラウィス
「あら? ヘリオン様、この鍵は……」
件の裁判が決着して数日たったある日。
金主であるリヴィアス議員が無事に無罪を勝ち取った事で、俺たちは一応の日常を取り戻していた。
帝都から数万人の奴隷が消えたとはいえ、帝都に住まう奴隷の総数は30万人を超える。
スパルタクスの乱は、反乱軍に帝都侵入こそ許したものの、コルネリウス将軍を中心とした防衛軍の活躍により、その影響は軽微。
人々の関心はすでにヴェスビオ山の噴火、ポンペイ市の被害へと移り変わり、もっぱらの話題は市内に降り注いだ火山灰への不平不満だ。
そんな中、俺は自宅での昼食にパティアを招き、裁判で力を貸してくれたクリニアスとの出会いについて語っていた。
「俺が剣闘奴隷から市民になる際、杖を使った儀式を取り仕切ってくれたのが彼だったんだ」
思えば随分と昔の事のように思える。
ふと懐かしくなって、ゴズウェルから返還されたヘリオンの私物をテーブルに並べてみると、精緻な彫刻が施された用途不明の鍵にパティアが興味を示した。
青い宝石とシャチの意匠。
これは水を司る竜ウォーターで間違いないだろう。
ゴズウェルと行った公衆浴場にも像があったし、パティアが使用許可を取ってくれた『真実の口』もウォーター像だった。
「パティアはこの鍵の使い道を知っているのか?」
「もちろんです。ですが……」
パティアは整った顔に困惑を浮かべて、少し考えている。
彼女の悩ましげな表情とほのかな香水の匂いに気を取られて話に集中できない。
(今度の一件以来、パティアとの距離が物理的に近くなったのは気のせいじゃないよな……)
彼女がこちらに好意を寄せてくれているのは、なんとなく理解している。
その事自体は本当に嬉しい。
目が眩むほどの美人な上、姉ちゃんと違って反応が柔らかいのが特にいい。
当然だが、俺にだって性欲はあるわけで、パティアとのあれやこれやを想像しないわけではないのだが……
(いくらなんでも剣闘士と大使様じゃ、釣り合いが取れないだろうからなぁ)
正直なところ、性欲を向ける相手としてパティアは気品が高すぎた。
近づこうにも腰が引けてしまうのだ。
そして肉体が借り物だという意識も、匠が恋愛を躊躇するのに十分な要因だった。
「ヘリオン様? どうかなさいましたか?」
心配するように顔を覗き込むパティア。
我に返れば、吐息がかかるほどの二人の距離にドギマギしてしまう。
オドリーが席を離れている時で本当によかった。
これは、教育に良くない。
「あぁ、いや、なんでもない」
半裸にしたパティアの身体を夢中でまさぐるヘリオンを想像し、果たして自分が嬉しいのか怒り狂うのか悩んでいたなんて言えるわけがなかった。
「よかった。では説明に戻りますね。この鍵は、竜の巫女から認められた者だけに与えられる物で『神秘の鍵』(アルカナ・クラウィス)と言います。
神秘の鍵は奇跡、つまり魔法を顕現させるのに必要な『信仰の水瓶』にかけられた錠を開く鍵なのです」
スクロールで魔法を使った時に同じような経験がありませんか? と言われてピンときた。
「確かに経験がある。あれは信仰の水瓶というのか……」
リヴィアスはスクロールの事を『錠前を一度だけ開けてもらう要望書のような物』と言っていたが、神秘の鍵があれば要望無しに自分の意思で解錠が可能になるというわけだ。
「リヴィアスやアウロが魔法を使う時に左手が光っていたのはこれか!」
てっきり指輪だと思い込んでいたが、貴族達はこの鍵を握り込んで魔法を使っていたようだ。
「その通りです」
ウンウンと無邪気に頷いてくれるパティアが愛らしくて仕方がない。どうにも意識がそちらに向いてしまう。
「ですが少し不思議なのです。ヘリオン様は試合中に雷や風を呼び寄せました。
それは間違いなく、サンダー様のご加護に基づいた奇跡。
では、なぜウォーター様のアルカナ・クラウィスをお持ちなのでしょう……
私が知る限り、パルテナスにおいてもクロネリア帝国においても、複数の加護を得た者はたった一人しか知りません。
帝国に魔法をもたらしたと言われる『始まりの巫女シビュレーの巫女姫様』だけなのですけれど……」
神や魔法に詳しいパルテナス大使としてのプライドだろうか、パティアは理解できないとばかりに頭を悩ませた後、諦めるように呟きを漏らす。
「やはり、ヘリオン様には特別な竜のご加護が備わっているのかもしれませんね」
彼女は眩しいものでも見るように目を細め、鍵を握った俺の左手に優しく触れた。
おそらくだが……ウォーターの加護を得ているのがヘリオンで、鍵はないもののサンダーの加護を受けているのが俺なのだろう。
こればかりはパティアにも言える内容ではない。
いつか彼女にも伝える日が来るのだろうか……などと考えていたのだが……ちょっと待て。
ヘリオンは水の魔法が使えたのか?!
アルティウムと戦った時でさえ、魔法についてひと言も聞かなかったぞ?
俺は慌てて、心の中でヘリオンに問いかける。
(おい! ヘリオンはもしかして水の魔法が使えるのか?)
しばしの沈黙。
都合が悪い時に反応が薄いのはいつもの事。
だが、これは今後に関わる重大な案件だ。
俺はヘリオンを叩き起こすつもりで、怒鳴りつけるように何度も呼びかけた。
(ヘリオン! 起きろ! 起きろー!)
(……騒がしい。声をもう少し落としてくれ。ちゃんと聞こえている)
やれやれという態度で迷惑そうに言葉を返すヘリオンの反応で俺は確信する。
(おいヘリオン。お前、水の魔法が使えるんだな?
なんで今まで教えなかったんだ!
アルティウムとの試合で使っていれば、もっと有利に戦えただろう!)
(聞かれなかったからな。それに、私が神秘の鍵を持っている事は匠も承知していたはずだ。
魔法無しでどこまでやれるか試そうとする真の武人だと、私は関心したものだぞ)
悪びれないヘリオンの態度に毒気を抜かれてしまった。
真の武人て……俺がなんとか生き延びようと必死で考えながら戦っていたというのに、この相棒ときたら縛りプレイを楽しんでいたとは……この戦闘狂め!
(⋯⋯わかったよ。なら方針を変えよう。今後は魔法でも何でも、使える手は全て使いたい。了承してくれるか? )
(いいだろう。つまり、私達が最強の戦士である事を世に知らしめようというわけだな。腕が鳴る!)
若干の齟齬があるような気がするが……お互いの信頼が重要だ。
今後は水の魔法が使えるようになった事を喜ぶとしよう。
「ご主人様、パティア様、食後のお茶を淹れました。デザートも……」
自らの仕事を誇るように意気揚々と給仕に精をだしていたオドリーがお茶を手にしたまま固まる。
その視線の先にあるのは、テーブルに置かれたヘリオンの手を慈しむように重ねられた、パティアのしなやかな手だった。
「お二人共! こちらのデザートは雷鳴亭のご主人が腕によりをかけて作ってくださったサビルム(チーズケーキの蜂蜜がけ)です。
お早くテーブルを開けてくださいませ。
ご主人様! あまり散らかさせては困ります!」
これでは給仕が思うように進まないと、プンプン怒るオドリーを見つめ、ヘリオンとパティアは優しい苦笑を浮かべるのだった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は5月08日(金曜)です。
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