第6話:心が追いつくより早く
「が、はっ……!?」
鮮血が夜霧に散る。
背中から突き出した複数の魔弾が、ゆっくりと消えていく。
代わりに、生成りの布地が急速に赤く染まっていった。
レオンの顔が一瞬だけ歪む。
何か言おうとして、唇の端から血が溢れる。
それでも、ハルニアを庇う体勢は崩さなかった。
力を失った身体が、そのままハルニアへ倒れ込む。
「レオンさんっ!!」
自分を監視する生意気な少年。
いつも勝手に距離を詰めてくる鬱陶しい少年。
なのに。
こんな終わり方は、許さない。
「――よくも」
底冷えのする声が漏れた。
漆黒の魔力が噴き上がる。
夜霧が吹き飛んだ。
そして。
ハルニアの姿が消えた。
一人、二人、三人。
ドンッ!!
ドゴォッ!!
バキィッ!!
絶叫が響く。
だが長くは続かない。
ほんの数秒後。
庭に立っているのはハルニアだけだった。
刺客たちは全員地面に転がっている。
ただ一人を除いて。
「ば、化け物……!」
首領が後ずさる。
腰が抜けていた。
その時。
コツ。コツ。
かすかな杖音が響いた。
庭の片隅。
巨大な水瓶の影から、マグ爺が現れた。
「まさか、水守りの老鬼……!」
首領の顔が絶望に歪む。
次の瞬間、奥歯を噛み砕き、黒い血を吐いて崩れ落ちた。
マグ爺はその亡骸を一瞥すると、倒れたレオンへ視線を向ける。
「やれやれ」
その顔には、珍しく余裕がなかった。
◇
マグ爺の手が、血に染まったレオンの背中へ何度も薬草を押し当てる。
その都度、小さな呻きが漏れた。
ハルニアは言われるまま、布と湯を運ぶ。
暗殺と破壊にしか使えないと思っていた自分。
(わたしにも、できることがあった)
ほどなくして、急ぎ呼び寄せられた医師が到着した。
薬を塗り、包帯を巻いていく。
「命に別状はないそうぢゃ。あとは肉でも食わせりゃ、なんとかなるぢゃろ」
マグ爺はそう言い残し、部屋を出ていった。
離れの部屋には、再び二人の静かな時間が戻る。
ハルニアは枕元の椅子に腰掛け、身じろぎもせずレオンの寝顔を見つめ続けていた。
窓の外では、夜風が木々を揺らしている。
◇
深夜。
レオンはゆっくりと目を開けた。
枕元には、ハルニアがいた。
「あ、アン。怒ってる? 俺、情けないよな……」
バツが悪そうに視線を泳がせる。
ハルニアは答えない。
ただ、その紫の瞳は今にも涙が零れそうなほど揺れていた。
「なぜ、わたしを庇ったのですか」
静かな問いが、重い空気の中に落ちる。
レオンは息を呑み、喉を鳴らした。
「それは……」
いつもなら『お前が俺の嫁だから』と茶化すはずだった。
だがハルニアの真剣で、泣き出しそうな瞳を見た今、完全に言葉を失った。
沈黙が、少し長くなる。
「あなたはわたしを監視しているのでしょう」
背中を焼くような痛みが走る。
だが、それ以上に胸の奥が落ち着かない。
「……うん」
正直に認めた。
レオンは顔を歪めながら、ゆっくりと身を起こす。
「なのに、なぜ」
ハルニアの声が、わずかに掠れる。
「監視して、閉じ込めて。なのに、あなたは……」
レオンは拳を握った。
本当なら逆だった。
彼女はこの手で殺すはずだった。
「……不思議です」
ハルニアは視線を落とし、自分の手のひらをじっと見つめた。
「あなたを警戒しなくてはならないのに。時々、それを忘れそうになります」
「――っ」
胸の奥が大きく跳ねた。
「そうか」
レオンは視線を逸らした。
「そのまま騙されてくれた方が、俺としては助かるな」
聞こえるか聞こえないかの小さな声。
沈黙が落ちる。
窓の外では夜霧が晴れ始め、かすかに星が覗いていた。
その静けさが、二人の間の空気を濃くしていく。
ハルニアはレオンに巻かれた包帯を見つめた。
(わたしのせいだ……)
その事実が胸の奥で反響する。
そんな顔をされたら。
ずるいだろ、それは。
次の瞬間。
レオンは伸び上がるようにして、ハルニアの唇へ、そっと触れるだけのキスをした。
「――っ」
温かい。
柔らかい。
それだけなのに、思考が真っ白になる。
先に動いたのはハルニアだった。
「……これは、何ですか」
「え?」
ハルニアは自分の唇に触れる。
まだ熱が残っている。
「説明がつきません」
珍しく、その声は迷っていた。
「ご、ごめんっ!!」
レオンの顔が一気に爆発する。
「今の忘れて! 本当に忘れて! どうかなかったことに!!」
頭から布団を被り、小さくのたうつ。
背中の傷の痛みなど、どこかへ吹き飛んだ。
(ば、バカか俺は……っ!!)
(この女が誰か忘れたのか!?)
しかし、ハルニアはその布団の上から彼をベッドへ縫い付けた。
「……忘れる? なぜですか」
布団越しに伝わる、レオンの早鐘のような鼓動。
そして真顔のまま、布団を引っ張った。
「わたしも返した方が礼儀でしょうか」
まじめに質問するハルニア。
(ダメだ……)
(こいつ、本気で言ってる……!)
(俺の計算を全部ぶち壊してくる……!)
数秒見つめ合う。
そして二人そろって顔を逸らした。
沈黙。沈黙。
さらに長い沈黙。
(今、わたしは何を望んでいたのだ?)
自分でもわからないまま、ハルニアは唇に残る熱をそっと確かめた。
そして。
「お、お肉を焼きましょう!」
突然、顔を真っ赤にして立ち上がる。
「今すぐ、お肉を」
そう言い残し、脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
バタン!
扉が閉まる。
「……え?」
ベッドに残されたレオンは天井を見上げたまま固まっていた。
(……今の、なんだったんだ)
しばらくして、彼の口元が、ゆっくりと緩んでいく。
「……逃げるとか、反則だろ」
誰に言うでもない呟きが、静かな部屋に溶けて消えた。
(第6話・完 ―― 第7話へつづく!)




