第23話:あの、大間抜けの話ですわね!
ナツ皇国最高学府、皇立黎明学術院。
ここは富と権力、そして才能ある者だけが通う名門校だ。
その中庭を、制服に身をつつんだレオンが人の流れに紛れて歩いていく。
「キュゥ……ここ怖いのぉ……」
鞄の隙間からプルが顔を出す。
「静かにしろ」
レオンは小声で返した。
「見つかったら、つまみ出されるだけじゃ済まないぞ」
だが渡り廊下へ差しかかったところで三人の男子生徒が行く手を塞いだ。
「おい、そこの灰色頭。見ない顔だな」
「学生証を見せろ。この時間にこの区画をうろついていい身分か?」
下卑た笑い声。
その制服に刻まれた見覚えのある紋章を見た瞬間、思わず目を細めた。
ヤマロメを乗せていた黒塗りの馬車と同じ印。
(ヴァリード商会、か)
回帰前から知っている。
大陸有数の巨大貿易商。物流網は情報網でもある。
末端でも、取っ掛かりにはなるだろう。
(ちょうどいいカモが来たな)
レオンはわずかに口元を緩めた。
「おい、返事はどうした?」
肩を掴もうと乱暴に伸びた手。
それを避けることなく一歩踏み込み、レオンは生徒の胸元へ勢いよく倒れ込んだ。
ガシャァンッ!!
「な……っ!?」
派手な音を立てて二人の身体がぶつかった。
その拍子に生徒の腰元の革袋が弾け飛び、中身が床へ散らばる。
謝罪の言葉と同時に、レオンの手は転がった木札を拾い上げていた。
刻印入りの通行証。
裏表に目を走らせ一瞬で内容を読み取る。
「へぇ……」
指先で刻印をなぞる。
「学園へ搬入する高級食材の通行許可、ですか。裏面の刻印が一つ足りないな」
男子生徒の顔から血の気が引く。
「商会の許可を偽造して、商品を勝手に横流しするつもりですね。通報したら面白いことになりそうだ」
「ま、待て……!」
慌てる生徒たちに、レオンは明るく笑って木札を振った。
「安心しろ。俺は正義の味方じゃない」
だが突然、声が低くなる。
「その代わり、答えろ」
「あ、答え……?」
「ヤマロメ・ナツ・カンチェンジュンガに、一番確実に会える場所だ」
三人の顔色が変わる。
目が泳ぐのを見て、レオンは短く言った。
「嘘をついたら、今すぐ通報する」
「……し、食堂だ。昼の鐘のあと。いつも同じ席で……」
「何時だ」
「十二時を回ってすぐ、……です!」
「よし」
木札を返し、人混みへ溶け込む。
背後で安堵の息が漏れるが、もう振り返らない。
(食堂、か)
◇
「――は?」
学術院の別棟。
報告を受けた赤髪の生徒が、思わず立ち上がった。
「灰色髪の不審な生徒に、三人がかりで返り討ちにされただと?」
「も、申し訳ございません、ロシャール様。しかも……ヤマロメ様の居場所を……」
赤髪の眉間に、深い皺が刻まれる。
「何者だ、そいつは」
一方。
窓辺に立ち、中庭を見下ろすヤマロメ。
灰色の髪をした生徒の後ろ姿は、もう人混みに紛れて見えない。
だが。
歩き方、間合いの詰め方、そして何より――こちらの名を迷わず口にした、その手際。
「……ふふ」
ヤマロメの唇に、笑みが浮かぶ。
「やはり、追ってきましたわね」
窓の外に向かって、独り言のように呟いた。
◇
昼の鐘が、石の廊下に残響を落とす。
大理石の柱。巨大なシャンデリア。
皇立黎明学術院の食堂は、一流の晩餐会場のようだった。
(ここに来る、か)
喧騒から外れた席に座り、冷めかけた豆のスープをすする。
視線を巡らすだけでもこの国の歪さが目につく。
平民用の灰色制服のレオンが頼めるのは、日替わりの一品のみ。
一方赤地に金刺繍の制服の卓には、注文しただけ皿が積み上がる。
(……随分と、分かりやすい国だな)
ハル国にも格差はある。
だがここまで露骨な線引きは、初めて見た。
それでも、隅では平民の生徒が慎ましい皿を囲んで笑い、掲示板には炊き出しの貼り紙がある。
下働きの老爺に会釈する者もいる。
(……ここが、アンの故郷か)
そう思うと、薄いスープをもう一口飲む気になった。
「キュゥ……レオン、あっちの席、お肉が山盛りなのぉ」
鞄の隙間から顔を出したプルを、レオンはスプーンの柄で押し戻す。
「我慢しろ。今はそれどころじゃない」
その時だった。
「きゃあ! ヤマロメ様ですわ!」
「今日もお美しいですわ」
「どうか、お買い物のお話を聞かせてくださいな」
突然、中庭の方から黄色い歓声が響き渡った。
(――来たか)
レオンは手を止め、視線を向けた。
男女数十人と共に、優雅に、そして傲慢に食堂に入ってくる少女がいる。
ヤマロメ第二皇女。
華やかな美貌に浮かぶ尊大な笑み。
回帰前、彼女は形だけの婚約者だった。
「全く、殿方の政治のお話は難しくてちんぷんかんぷんですわぁ」
声高に笑う姿は、記憶の中と何一つ変わらない。
だがレオンは知っている。
謁見の間で振り返った偽物の笑み。馬車の窓の、獲物を測る目。
スプーンを置き、視線だけを動かす。
(間違いない。偽ハルニアは、この女だ)
魔導具で姿を変えていたのだろう。
無知な姫を演じながら、第一皇女の影武者すら務める女。
「それがお前の正体ってわけか」
その時、取り巻きの一人が声を弾ませた。
「そういえば皆様、クロン渓谷の和平会議のお話を聞きまして?」
「ハル国の第一王子レオンガルドが、とんでもない失態を晒したとか!」
手が止まる。
嫌な予感しかしない。
「ええ、知っていますわ!」
ヤマロメは扇子を広げ、実に楽しげに笑った。
「婚約者に逃げられた、あの、大間抜けの話ですわね!」
(第23話・完 ―― 第24話へつづく!)




