第22話:絶対マグ爺に怒られるやつ
退屈だった。
ナツ皇国皇宮、大謁見の間。
巨大な水晶灯が天井から吊り下げられ、磨き上げられた大理石に光を散らしている。
その中央。
軍旗の下に立つ第一皇子ヴェルディが、声高らかに演説していた。
「クロン渓谷の勝利は、我らナツ皇国の正しさを証明した!」
魔導映像から、広場の熱狂がそのまま会場へ流れ込む。
「ハル国の侵略を退けた英雄たちに、惜しみない祝福を!」
歓声と拍手の嵐。
打ち上がる花火。
誰もが、勝利という名の酒に酔っていた。
(毎度毎度、よく飽きませんこと)
ヤマロメは扇子で口元を隠した。
兄の言葉は、どれも都合よく事実がすり替えられている。
だがそんな事はどうでもよかった。
大切なのは、誰が拍手し、誰が怯え、誰が「和平」に目を泳がせたか。
そこにこそ、真実が沈んでいる。
紫の瞳で会場をゆっくり観察した。
――その時だった。
大謁見の間の窓硝子が、内側から白く凍りついていく。
ゴオォォォォ――ッ!!
天を割る轟音。
熱狂していた会場へ、突風と氷塊が乱入した。
魔導灯が一斉に弾け、絨毯の上を雪が舞う。
「な、何事だ――ッ!?」
「敵襲か!?」
「結界班を呼べ!」
肺を焼くような凄まじい冷気。
悲鳴と怒号が入り乱れ、賓客は出口へ殺到する。
保護魔力を持たぬ者は、その場から動くこともできない。
ヤマロメの扇子を持つ指に、力がこもった。
クロン渓谷を襲った突然の吹雪。
進軍を阻み、戦場を凍てつかせた異常気象。
密かに入手した被害報告と、目の前の光景はよく似ていた。
(まさか……)
脳裏に浮かぶのは、一人の王子。
扇子の奥で、口元が吊り上がる。
(面白いことになってきましたわね)
◇
同じ頃。
皇宮から少し離れた尖塔の上。
「ちょ――っと、レオン!? なんでこんな目立つことすんのぉ!?」
プルが悲鳴じみた声を上げる。
「星海の嵐」
振り下ろした剣に呼応し、皇都カンチェンジュンガの空が唸った。
季節外れの吹雪が皇宮を呑み、尖塔を白く染める。
噴水が内側から凍り、氷柱がガラスのように砕けた。
「きゅうぅ、バレたら絶対マグ爺に怒られるやつなのぉ!」
「安心しろ。ちゃんと商人に変装してるだろ」
レオンは肩をすくめ、剣を軽く振った。
掌の刻印に応じて刀身が白金の光へほどけ、数秒で消える。
「アンがそこにいるんだ。派手にやった方が紛れ込むにはちょうどいい」
レオンは大真面目な顔で手袋を引き直した。
(ダメだこの男……ハルニアちゃんが絡むと一瞬で天災級の大バカになる……!)
プルが尻尾を膨らませる。
「それ絶対、後付けの理由なのぉ……」
眼下では警鐘が鳴り、人々が逃げ惑っている。
混乱は十分だ。
レオンは躊躇なく塔から飛び降りた。
侵入者を探す余裕など、誰にもない。
人波を縫い、大謁見の間へ足を踏み入れる。
そして。
「――アン」
心臓が跳ねた。
壇上近く。
護衛に囲まれた黒髪の少女。
紫の瞳。
見間違えるはずがない。
歓喜に突き動かされ、一歩踏み出そうとして――足が止まった。
青い瞳が、冷たく細められる。
(左手首が……繋がっている)
立ち姿の重心。皮膚から滲む魔力の波動。
(アンじゃない)
胸の奥が、氷を突き立てられたように冷え切る。
膨らんだ希望が、音を立てて落ちた。
「突然の襲撃、怖い思いをさせたな」
壇上から降りたヴェルディに、少女が可憐に微笑む。
「いいえ……兄上様が側にいてくださるなら、私は何も恐ろしくありませんわ」
完璧な受け答え。完璧な所作。
だが、ハルニア特有の張り詰めた気配がない。
(誰だ、お前は)
指先が、怒りで僅かに震えた。
見つけたと思った。やっと会えたと思ったのに。
偽ハルニアを守るように、兵が壁を作る。
「待て……っ!」
人波を掻き分けて前へ出ようとした、その時。
奥へ消えようとしていた少女が、不意に足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
紫の瞳が、人混みの中のレオンを捉えた。
次の瞬間、口元が静かに吊り上がる。
背筋を、冷たいものが走った。
少女は何事もなかったように踵を返し、兵の壁に守られたまま皇宮の奥へ消える。
ガチャン。
分厚い鉄扉が閉じた。
あっという間だった。
◇
門の外に、雪はなかった。
空は晴れ、乾いた石畳に日差しが落ちている。
振り返ると、白亜の宮殿は未だ混乱の最中にあった。
凍りついた窓硝子。
駆け回る兵士たち。
「アン……、お前はどこにいるんだ?」
レオンは皇宮を囲む石塀へ拳を叩きつけた。
ドンッ、と鈍い音が響き、砕けた石片が足元へ転がった。
――ここで折れてどうする。
拳を握り直した、そのとき。
正門が開いた。
出てきた数台の馬車のなかで、ひときわ目を引く黒塗りの車体。
ヴァリード商会の紋章。
キィィィィッ!
その馬車が、不自然なほどゆっくりと減速した。
そしてまるで見せつけるように、レオンの目の前で停止する。
窓がゆっくり下がった。
華やかに巻かれた明るい髪。陶器のような肌。
皇家カンチェンジュンガ特有の紫の瞳。
ヤマロメ・ナツ・カンチェンジュンガ。
ハルニアの異母妹。回帰前における、形だけの婚約者。
だが、そこにいたのは記憶の顔ではなかった。
冷酷で鋭い。獲物の絶望を愉しむような眼差しが、真っ直ぐレオンを捉える。
(変装も魔力遮断もしている。気づかれるはずが――)
少女の口元が、ゆっくり吊り上がった。
レオンの背筋に電流が走る。
三カ国和平会議。偽ハルニアが見せたあの笑みとまったく同じだった。
(まさか……お前が!?)
馬車の奥から、褐色の肌に赤髪の男が身を乗り出す。
琥珀色の瞳が、面倒そうに細められる。
「何がそんなに面白い、ヤマロメ」
ヤマロメが楽しそうに何か答え、男は小さく息を吐く。
「……勝手にしろ」
窓が乱暴に閉まり、馬車は蒸気を吐いて走り去る。
(偽ハルニアは、ヤマロメなのか? なら、本物の居場所を知っている可能性がある)
すぐに追った。
黒塗りの馬車は大通りを抜け、やがて巨大な門の前で消える。
ナツ皇国最高峰の学府——皇立黎明学術院。
「……ここか」
手がかりが、ようやく見えた。
レオンは学院の門を睨み、静かに歩き出した。
◇
馬車の中。
ヤマロメは紫の瞳を妖しく細める。
「ようこそ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「お待ちしておりましたわ、レオンガルド殿下」
(第22話・完 —— 第23話へつづく!)




