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第2話:甘いですよ、クソガキ様

 

「……どうやら頭を強く打ったようですね? 哀れです」


「哀れってなんだよ!? 最高の条件だからね!?」


「殺そうとした理由も聞いていません。承諾もしません」


 ハルニアは短剣を拾い上げる。

 ただ怖がってるだけの少女じゃない。

 短剣を拾う手つきに、迷いがない。


(なるほど、腕も立つわけだ)


 レオンは内心で唸った。


「もう一度言う。俺の名前はレオン! 俺の嫁にしてやろう」


(飼い慣らせるなら、それでいい。それが無理なら……)


「……頭の病院へ行くことを強くお勧めします、クソガキ様」


 泥だらけのレオンと、冷ややかなハルニア。

 二人の視線が交差した。


 ハルニアの目は、もはや不審者を見るそれだ。


「そうツンツンするなって。ところでさ、お前、名前は?」


 尋ねられ、ハルニアは黙り込んだ。


(名前……?)


 思い出そうとした瞬間。

 激痛が頭を貫き膝をつく。

 その身体を、レオンが横から支えた。


「混乱してるんだな。無理に思い出さなくていい」


 不意に軽薄な笑みが消える。


(やはり、こいつはすでに、竜の力を宿している)


 だから自分の名前すら思い出せない。

 殺すなら今しかない。

 なのに。


「大丈夫か? 立てるか」

 

 気がつけば手を差し伸べていた。


「も、問題ありません……っ」


 ハルニアはその手を避けるようにして立ち上がり、すっと距離を取る。


「わたしの名前は……アンです」


「そっか、アン! よろしくな!」


 適当な名前。だがレオンは敢えて追求しなかった。

 陽気な笑顔に戻ったレオンに、ハルニアは小さく息をつく。


(おかしな子供だ)


 ◇


 水の杜の奥深く。

 巨木に抱かれるように、一軒の小さな家が佇んでいた。


 蔦の絡まる赤レンガの外壁。

 格子窓の色ガラスを透かした柔らかな光が、床に赤や青の影を落としている。


(ここは、この子の家……?)


 視線の先には金髪の少年。

 素朴だが、どこか育ちの良さを感じさせる上質な服を身につけている。


(それに、この短剣……一体何者?)


 ハルニアは、宝飾の施された美しい短剣を指で撫でた。


「ここを俺たちの愛の巣にしよう」


 レオンはニコニコ笑いながら、ハルニアの腕を引く。


「少々、冗談が過ぎるのではないですか。クソガキ様」


 掴まれた腕から伝わる少し高めの体温。

 帰るあてがない自分。


(……縋りたくなる自分が、腹立たしい)


 だが、この少年を信用したわけではない。

 強引に手を引き抜こうとする。

 ところが。


「おっと」


 レオンは楽しげに声を漏らし、その力を滑らかに受け流した。

 むしろ一歩、距離を詰めてくる。


「わかってないな、アン」


 片目をつむる。


「俺は出会った瞬間に、お前を放っておけないと悟ったの。だから嫁にする。それだけだ」


 生意気な仕草。

 だが、その恐ろしいほどの美貌が妙な説得力を与えていた。


(待って)


 立ち位置。

 視線。

 体の向き。


 ふざけた態度とは裏腹に、レオンの配置は常に脱走経路を塞いでいる。

 世話を焼くような動作のすべてが、ハルニアの死角を消していた。


(このクソガキ、わたしを保護しているフリをして!)


 その時だった。


 ドサリ。


 小屋の入り口で重い音が響く。

 縛られていた刺客の首が床を転がり、鮮血が床板を染めた。


「なっ!?」


 ハルニアが反射的に身構える。

 だがレオンは彼女を庇うように抱き寄せた。


「大丈夫、アン。俺の後ろにいて」


 直後。

 土間の古びた水瓶がカタンと揺れた。


 ゴポゴポゴポッ!!


 瓶の中で水が逆流し、白い飛沫が噴き上がる。

 その中心から、ずぶ濡れの白髪の老人が顔を出した。


「やれやれ、今日は腹の調子が悪くてのぉ」


 老人は水瓶の縁に掴まりながら腰を叩く。


(水瓶の中から……?)


「マグ爺だ。水の杜の門番。水から水へ移動できるんだ」


 固まるハルニアに、レオンが気軽に説明した。


「遅いぞ、マグ爺。殺したら何も聞き出せないだろ」


「聞いたぞ。何も喋らんかった」


 そう言って刺客の死体を軽く蹴る。


「それに問題ないぢゃろ。まだ一人残っておる」


 マグ爺はゾッとするような視線をハルニアへ向けた。

 そして、ぴたりと動きを止める。


(……うお、なんちゅう美貌!)


 ハルニアも負けてはいない。

 一歩も引かず、マグ爺を冷然と見返す。


(そして、なんちゅうプレッシャー……。これ、尋問しようとしたら逆にワシの魂が吸い取られるやつでは?)


 その時、レオンの胸元から何かが飛び出した。


「ま〜〜ぐ〜〜ま〜〜〜!!」


 涙と鼻水をぽろぽろ流しながら、マグ爺の顔にすり寄る。

 プルである。


「おい、プル! 暑苦しいわい!」


「マグマが生きてるのぉぉ!! よかったのぉぉ! 前は真っ先にあの女に首を刎ねられて、ピクピクしてたのにぃぃ!」


 マグ爺の身体がぴくりと強張った。


「プル!!」


 レオンの鋭い叱責が飛ぶ。


 ――生きている。

 その事実に喉が一瞬だけ詰まり、レオンは思わず目を閉じた。


(前は? 首を……? まさか)


 マグ爺は信じられないものを見るように、レオンとハルニアを交互に見た。

 一方、ハルニアは怪訝そうに首を傾げる。


「わたしが、このご老人の首を刎ねたと言ったのですか?」


「ぎゃうん!!! まだいのぉぉぉぉぉっ!!!」


 ハルニアの姿を見たとたん、プルは再びレオンの服の中へ。

 後ろ足の先だけが、虚しく外に飛び出している。


「まぁまぁ、ここは一旦落ち着こう。マグ爺、彼女をしばらくこの離れで預かる」


 何か言おうとしたマグ爺に、レオンは人差し指を立てた。


「文句は受け付けないからね!」


 女好きで名を馳せたマグ爺も、開いた口が塞がらない。

 レオンは人畜無害を絵に描いたような笑顔を浮かべ、ハルニアの腰に手を添えた。


「……馴れ馴れしく触らないでいただけますか」


「照れちゃって。俺たち夫婦になるのに!」


「どうやら脳が沸いているようですね」


 ハルニアの冷ややかな拒絶。

 だがレオンは一切を煙に巻くように、世話を焼き始めた。


 ◇


 その日の夜。

 ハルニアが眠りについた後。


 レオンは水の杜の入口で、マグ爺と向き合っていた。

 昼間の好々爺の顔は消えている。


「……坊主。おぬし、『未来の記憶』があるのぢゃな」


 レオンは夜空を見上げたまま答えない。


「プルが一生に一度の力を使ったか……。そこまでして止めたかった災厄が、あの娘にあるのなら、手遅れになる前に――」


「手出しはするな、マグ爺」


 振り返ったレオンの瞳に、もはや少年の面影はない。


「だから監視する。滅ぼすべきが彼女なら……俺が殺す」


 マグ爺は深いため息をついた。


「坊主。おぬしは自分がどれほど矛盾しておるか、気づいておらん」


「……何が言いたい」


「未来のことは知らぬ。だが少なくとも今、あの娘をただの暗殺者としては見ておらん」


 マグ爺は夜霧の向こうの離れを見やる。


「歪な執着の始まりですぞ、殿下」


「――っ」


 レオンの眉が一瞬だけ不快そうに跳ねる。


「年寄りの戯言だな」


 踵を返したレオンの背中を見送りながら、マグ爺は小さく首を振った。


「厄介なことになりそうぢゃ」


 一人離れに戻るレオンは、もう笑っていなかった。

 誰も見ていない今、笑う理由もなかった。


 ◇


 離れの寝室。

 扉が静かに開く。


 レオンは気配を殺してベッドへ近づき、すやすやと眠る少女を見下ろした。

 月明かりが窓から細い筋を描き、床を照らしている。


「逃がさないよ、アン」


 小さく呟き、彼女の髪へそっと触れようとした。

 その時――。

 ハルニアの目が、ぱっちりと見開かれた。

 月光を浴びた紫の瞳が冷たく光る。


 次の瞬間。

 布団が跳ねる。

 握られていた短剣が、閃光のように振り抜かれて弧を描く。

 切っ先が、レオンの喉元で止まった。


「甘いですよ、クソガキ様」


 低い声。

 吐息が刃を震わせるほど近い。


「わたしを鳥籠で飼うつもりなら――」


 刃先が月光を反射する。


「いつでも首を掻き切る覚悟でおいでなさい」


 暗闇の中。

 ハルニアだけが笑っていた。



(第2話・完 ―― 第3話へつづく!)




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