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第18話:大好きです

 

 別室に残っていたのは、家族だけだった。

 アルフォンス王とエレノア王妃。そしてまだ幼い弟妹たち。


 扉の外の歓声は、遠い。

 レオンはハルニアの手を引いて、一歩出る。


「父上、母上。改めて紹介します」


 戦勝の声ではない。

 離れで、彼女へした約束の声だった。


「ハルニア第一皇女。戦争が終わったら、俺の隣に立ってほしいと話していたんです」


 ハルニアも一歩前に出る。


「ハルニア・ナツ・カンチェンジュンガです」


 礼の角度が、外交儀礼の限度を超えていた。

 角度。

 静止する秒数。

 全て教科書通りすぎて逆に不自然なほどだった。


「かたいのぉ! 石像なのぉ!」


 どこから入ってきたのかプルが茶化す。


「……プル」


 小声の抗議も、わずかに震えていた。


(どう振る舞えば、正解なのか分からない)


 戻ってきた記憶の中に、その答えはなかった。

 あったのは、剣の型と、覚えた作戦の数だけ。


「覚えてもらうことは、たくさんあるわ」


 エレノアの声に、ハルニアの肩がすくむ。

 その言葉が、今の彼女には妙に重く響いた。

 王妃は、そこでふっと空気を緩めた。


「なんてね」


「え?」


「ハルニアちゃんは、そこにそうしてレオンの隣に立っているだけで百点満点よ」


「おいおい、エレノア。それは甘やかしすぎでは」


「お黙りなさい! 頑固おやじ!!」


 大柄な王が、その一言で萎縮する。

 髭の奥から、短い咳が出た。


「離れで会った時から思ってたわ。この子が私の娘になったら、素敵だって」


「ええ!?」


「私はまだ現役を譲る気はないし、仕事なんてやってるうちに覚えるわよ。あなた、いくつだった?」


「もうすぐ、十七です」


 エレノアは、ふと目を細めた。


「あの頃の私は、右も左も分からなくて、毎晩泣いてたわ。この人の隣に立つ資格なんてない、って」


 大柄な王が、気まずそうに視線を逸らす。


「――でも、大丈夫。泣いてるうちに、いつか笑えるようになるから」


「だったらあなたの役目は、まずこの国を愛し、愛されることよ」


 希望で、胸が熱い。


「――はい」


 胸がいっぱいで、それしか言えなかった。


「わたし、この国をきっと好きになります」

「そして、いつか皆さんに好きだと言ってもらえるようになりたい」


 王が肩をすくめる。


「レオ、お前が連れてきたんだ。責任は取れ」


「取ってます」


 笑いが、部屋を一度あたためる。

 温かい。


 温かいのに、ハルニアの指先だけが、すっと冷えた。

 隣に立つだけでいいと言われた。

 国を愛せよと言われた。

 貰いすぎて、返し方がまだ見えない。


(こんなに優しくされて、いいのだろうか)


「アン?」


「なんでもありません。少し、夢を見ているみたいで」


 希望の声。

 その下で、不安の芽だけが、静かに水を吸っていた。


 ◇


 王宮の勝手口。

 正装を脱ぎ、いつもの街着になった2人。


「昼間のドレスも凄かったけど、そっちの方がアンだ」


「っ、レオン様」


 路地へ一歩入ると、歓声が二人を包んだ。

 小さな女の子が、ハルニアの裾を引く。


「けっこん、おめでとう」


 差し出された花冠を、ハルニアは戸惑いながら受け取った。


「え……あ、ありがとうございます」


 小さな手がぱっと離れ、女の子は母親の元へ駆けていく。

 ハルニアの頬が染まる。

 誰もが身内のように二人を祝福した。

 プルが祭りの匂いにつられて鼻を鳴らす。


「ぶふん、美味しい匂いの極みなのぉ。プルにもお祝いの魚を要求するのぉ!」


 気づけば、ハルニアの腕は祝いの品でいっぱいになっていた。


 その中に、小さな硝子瓶があった。

 粉雪のような光が、瓶の中で静かに舞う。


「『祈り火』だ。婚約した二人に贈る、ハル国の風習さ」


 光は手の中で優しく瞬いた。

 ハルニアの口元から、自然と笑みがこぼれた。


「皆さん、温かい」


 レオンの瞳が、街の灯りを映して優しく輝く。


「だろ。俺はこの街が好きだ。お前がここを居場所だと思ってくれたら、それ以上はない」


 ハルニアは心がじんわりと熱くなるのを感じた。


「はい。わたし、ハル国が大好きです。この街も、皆さんも、そして——」


 ハルニアはほんのりと頬を染め、レオンの手をぎゅっと握り返した。


「わたしをここに連れてきてくれたレオン様が、大好きです」


「おっ、お前そういう不意打ちは反則だろ」


 耳まで赤くしてそっぽを向く。

 しかし、その直後。

 ハルニアの頬に唇を寄せた。


「なっ、レオン様っ!?」


「どこ見てんだ。俺から目を逸らすな」


「たった今そっぽを向いていたのは、どちらです」


 小さく吹き出す。

 そこに、腹を膨らませたプルを連れて、マグ爺が現れた。


「ふぉふぉ。祭りは最高ぢゃ! みろ! あいつらがワシにベッタリまとわりついて離れやせん」


 見れば店の入り口の席には売り娘たち。

 酒瓶を手にマグ爺に手を振り笑いかけている。


「いや、完全にカモだろ」


「バカ言うな!全員、ワシに惚れとるわい!!」


 言いながら、ひょいひょいとハルニアの荷物を取り上げていく。


「荷物とこの食いしん坊様はワシが連れて帰る。お二人はゆっくりなされい」


「マグ爺、どこ連れていくの極みなのぉー!」


 暴れるプルを小脇に抱え、マグ爺は夜の人混みへと消えて行った。


 二人きりになった帰り道。

 賑やかな歓声を背に、ハルニアの胸の奥にふと冷たい影が差した。


 夜風がうなじを撫でると、鱗の感触を思い出す。

 こんなに幸せなのに、胸の奥が痛む。

 手に入れれば入れるほど、失ったあとの穴が見える。


(この鱗のことを、彼らはまだ知らない)


 災厄の器。

 それが世に知れれば、この温かい笑い声はどう変わるだろう。

 石を投げられるならまだいい。

 もし、レオンにまで累が及んだら。


(この幸せは、隠し事の上に立っている)

(この幸せを、本当にわたしが手に入れていいのだろうか?)


 喉の奥に小さな棘が刺さったような、この感覚に名前をつけたとして――幸福、と呼ぶには少し痛みが伴う何か。

 それでも今は、その痛みごと抱きしめていたかった。


「アン。急に黙ってどうした」


「あ、人混みに酔ったかもしれません」


 笑顔を作って誤魔化す。

 レオンは追及はしなかった。

 ただ、歩度を落とした。


「じゃあ、そろそろ静かなところへ行こう」


「はい」


 頷きながらも胸に残るのは小さな影。

 その不安を振り払うように、ハルニアは手を握り返した。


 ◇


 夜の更けた通用口。


 離そうとした指を、レオンが離さない。

 片手で喉元を、とん、とん、と二度叩く。


「アン、まだ俺の部屋、見たことないよな」


「え」


「離れではずっと一緒だったのに、王宮の俺の部屋は知らないって、なんか変だろ」


 そこまで言って、レオンは小さく咳払いする。


「だから、その。見ていくか?」


 不器用で、見え透いた誘い文句。

 繋いだままの手が、わずかに震えている。

 視線はハルニアの顔の、少し横あたりで泳いでいる。

 ただ、瞳に宿る熱だけが、正直だった。


 昔の自分なら、躊躇しただろう。

 けれど。


「はい。レオン様」


 ハルニアはもう、迷わず頷いた。

 レオンはほっとしたように笑う。


 その笑顔は戦場の英雄ではなく、彼女を想う、一人の男の顔だった。



(第18話・完 ―― 第19話へつづく!)




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