第12話:誓いの指輪と呪い
抱きとめるレオンの声が、遠のく。
紫の瞳が、一瞬だけ真紅へ変わる。
(何……これ……?)
世界の裏側が、めくれ上がる。
王都を包む巨大な魔力の脈動。
王城の結界。
人々の体内に巡る微かな光。
そのすべてが、脈打つ臓器のように鮮明に視える。
「――っ!」
湧き上がる圧倒的な全能感と、それを上回る底なしの恐怖。
ハルニアは身を震わせた。
◇
帰ってきた水の杜の離れは、痛いほど静かだった。
ハルニアの瞳は紫に戻っている。
異変は、一瞬で終わった。
だが、真紅だった一瞬が、空気の底に残っていた。
床に腰を下ろしたまま、肩を震わせる。
レオンはその手を、片時も放さなかった。
(もう迷わない。俺がお前を守る)
その時、ふと違和感に気づく。
水音がない。
風もない。
息をつめた、その時――。
バリバリバリッ!!
突如として部屋の空間が歪み、黒い魔力の火花が激しく飛び散った。
現れたのは、褐色の外套を羽織った、腰の曲がった小男。
頬にはアキ共和国のギルドの刺青が刻まれている。
「お熱いところ申し訳ありませんね、レオンガルド殿下」
レオンは瞬時にハルニアを背へ隠し、鋭い殺気を放った。
「禁制品か。王族の私邸へ無断で踏み込むとは、いい度胸だな」
男は刺青を歪ませて笑った。
「我が主人より商談です。本物の皇女殿下の価値について、ぜひ」
レオンの瞳から温度が消える。
だが、ハルニアはその背後から一歩前へ出た。
「その話は、わたしにも関係があります」
密使を真っ直ぐ見据える。
「聞かせていただきましょう」
密使は薄く笑い、慇懃に一礼した。
「改めまして、アキ共和国商業連盟議長、ザハル・ヴァルガスの代理人でございます」
懐から重厚な書状を取り出す。
「近々開かれる三カ国和平会談への招待。ハル、ナツ、調停のアキ。『本物の皇女』を擁するハル国には、好機でしょう」
――嘘だ。
死の商人ザハル・ヴァルガス。
戦場で死を売ってきた商人が、平和を願うはずがない。
「魚が水を嫌うってんなら、信じてやってもいいけどな」
レオンの冷たい視線を受け、密使は薄く笑った。
「では、国境の中立都市で、お待ちしております」
次の瞬間。
男の姿が、裂けた空間の闇へと消えた。
直後、離れの木扉が叩かれる。
王妃エレノアの側近だった。
「レオンガルド殿下。王妃様がお呼びです。……アン殿も、ご同行を」
(来たな……この時が)
レオンは喉を鳴らしハルニアの手を引いた。
緊張で身を固くする彼女に、穏やかに微笑みかける。
「大丈夫だ。俺がついてる」
王宮最深部、王妃の間。
歴代王家の功績を描いた色鮮やかなタペストリー。
気品あふれるシルクのドレスを纏ったエレノア王妃。
だがその瞳は、刃のように鋭かった。
「アン、と言いましたね」
側近が一歩進み出る。
「照合は完了しております。魔力波形、水への反応。ナツ皇国ハルニア皇女で間違いございません」
空気が凍った。
「母上、彼女には記憶が――」
「私はハル国を預かる身です。記憶の有無は関係ありません」
淡々とした声だった。
王妃はハルニアを見据える。
「あなたが本物であることは、疑いようがない」
「つまり、昨日、我が国へ宣戦布告した『ハルニア皇女』は偽物です」
「……っ」
「そして、もう一つ」
王妃は、静かに言葉を続けた。
「ハル国が厳重に管理していた竜の力。それが、あなたが現れた同じ日に失われました」
ハルニアの肩がぴくりと揺れた。
「その力を、今、あなたが宿している」
静かな声が、逃げ道を塞いでいく。
王妃は目を細めた。
「偶然にしては、出来すぎています」
ハルニアは拳を握る。
記憶はない。
だが、痛いほど辻褄が合う。
(やはり、わたしはここにいてはいけないのだ)
「ひとたび竜の力が暴走すれば、被害はこの国だけでは済まない」
王妃の声が低くなる。
「戦争どころか、世界そのものが滅びる可能性があります」
その言葉に、レオンが一歩前へ出た。
「だからこそ、アンをここに置いてください」
「……何ですって?」
「俺が見張ります」
エレノア王妃の眉が僅かに動く。
「あなた一人で?」
「俺が彼女のそばにいる。力が暴れたら、俺が止める」
「止められなかったら?」
レオンは答えなかった。
それでも、ハルニアの前から退こうとはしない。
「それでも、俺はアンに側にいてほしい」
王妃は息子を見つめる。
「あなたは、この少女を信じるのですか」
「……その通りです」
レオンもまた母を見つめた。
「じゃあ、あなた自身が証明しなさい」
王妃が手を上げる。
側近が、古い銀の小箱を差し出した。
蓋が開く。
中には、一対の指輪。
『双星の縛鎖』
「それは、あなたの命を担保にする契約具です」
レオンの表情が変わった。
(……まさか、実在したのか)
子供の頃、母から聞かされたことがある。
互いの魔力を繋ぎ、一方の暴走をもう一方が引き受ける禁忌の契約。
「これをハルニアと共に身につけなさい」
王妃は、息子ではなくハルニアを見る。
「あなたの命を懸けて、この少女を制御できると証明するのです」
「やります」
レオンは迷いなく指輪を手に取り、自らの左手薬指にはめた。
指輪は生き物のように肌へ馴染み、淡い光を放つ。
「殿下! なぜそんな呪いを自らっ!?」
「呪いなんかじゃない」
レオンは穏やかに微笑んだ。
「お前を絶対に死なせない。化け物にもさせない。そのための誓いだ」
真っ直ぐ彼女を見つめる。
ハルニアの手が、震えながら指輪へ伸びる。
「待ちなさい。この契約の意味を、まだ理解していませんね」
鋭い声が響いた。
王妃の瞳から、温度が消える。
「竜の力が暴走した時、負荷はレオンへ流れます。つまり、あなたの内に眠る『竜』が目覚め、その力が暴走した時――」
重苦しい沈黙。
王妃は、真っ直ぐにハルニアを見据え、言い放った。
「――最初に死ぬのは、レオンです」
(第12話・完 ―― 第13話へつづく!)




