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溢れた気持ち

以前行った遥のアパートに着くと、チャイムを鳴らす。しかし遥は出てこない。


(絶対いるもん……!なんかわかる。)


私はスマートフォンを取り出すと、【遥!家来た!】とメッセージを送る。


【頼んでない、帰れ。】


遥からそう返ってきたのと同時に、空から雷鳴が響いた。

そして、バケツをひっくり返したみたいな雨が降る。


【……わかった。帰る。この土砂降りの中傘もささずももちゃんはずぶ濡れで帰ります。遥はそれでいんだ。】と送ると、既読だけが付いた。


(……何よ……)


【本当に帰っちゃうよ?風邪ひいちゃうからね?】と追いメッセージをすると、玄関の扉がガチャリと開く。


「……遥……!」


「雨が止むまでな、次から来ても絶対入れないから。」


遥は青白い顔でそう言うと、ぶっきらぼうに私にタオルを投げた。


「へへ……甘い香り……」


家に入ると、電気も付けず自室の扉だけが空いている。


「寝てたの?」


「お前には関係ない。」


遥はそれだけ言うと、自室に戻りベッドにダイブした。


(また、血が不足してるんだ。)


「遥、血……また吸っていいよ。」


「いらない。」


「あの……ね。実は遥の力を借りたいの。麗華さん主導で悪魔の調査をすることになって、私が猿方先輩を思い出す担当、他の人は悪魔を調査する担当になったんだ。遥の頭脳があれば調査もスムーズに進むから……えっと、お願いしたいし、その為なら血も出すけど。」


遥はモゴモゴと口にする私の顔さえ見ることなく「鬼丸と加賀魅先輩がいれば大丈夫だろ。」と呟く。


「そんなことない!轟鬼の時は遥がいないと困ること多かったし!頼りにしてるんだ、ね!?」


体を揺さぶりながら訴える私に、やっと遥の体が向き直った。


「はる……!」


「わかった、でも1個条件な。」


遥はやけにくらい面持ちで言う。


「なーに?また甘い物〜?しょうがないなぁ、桃ちゃんが沢山買ってあげるし、遥の好きなとこ連れてって、疲れたらマッサージしてあげる。」


「そうじゃない。」


遥は起き上がると、大人の姿になってから私の腕に触れた。

妙に静かで、雨の振る音と自分の心臓の音がよく聞こえるほどだ。


遥の寝室にあるお洒落な縦長の窓を伝う雨粒が、遥の顔に反射して泣いてるように見えた。


「多分噛んでるとこ、見ない方がいいかも。余計痛くなるし。」


遥かに言われ目を閉じる。すると、チクリと痛みが走ってから、魔力が体から出ていくのを感じた。


「終わったぞ。消毒するから待ってて。」


そう言って部屋の奥からピンクの可愛い救急箱を取り出す遥。そこにはうさこうもりのぷっくりとしたシールとキラキラのラインストーンが並んでいた。


「はは、こんな物までデコってんだ。可愛い!」


遥は妙にご機嫌な私の腕を何も言わずに消毒している。そして、ぺたりと水玉模様の絆創膏を貼ってくれた。

傷を守る為の、たかがビニール素材のテープなのに、その可愛さに心が踊ってじっくり見つめてしまう。


「桃ちゃん、あのさ。」


遥が小さな声で言う。私は絆創膏から目を離し、「何?今から美味しいものでも作ろうか!」とご機嫌に提案した。


瞬間、窓がピカッと光って遥の顔を照らす。


「……もう、桃ちゃんとは関わらない。彼女でもないのに家に来る女とか……迷惑だし。」


遅れてきた雷鳴が、遥が言い切ると同時に鳴り響いた。

私は笑顔のまま何を言われたのか分からず「え?」とだけ声を漏らす。


「雨が止んだら……帰ってよ。悪魔の件は付き合う、それで……終わりね。」


「まっ……て、遥……ごめんね?遥が心配だったの、また血が足りなくて倒れちゃったりしてるんじゃないかと思って……!」


「お前さ、普通に考えて一人暮らしの男の部屋に単騎で押しかける女とか怖すぎるし迂闊すぎるから。……他でやるなよ、わかった?話終わりね。」


遥は淡白に言い捨てると、立ち上がってどこかに消えてしまう。


(確かに……距離感おかしかったかも。遥の『ほっといて』が『追いかけて』なのは昔の話。前はたまたま……公園にいてくれただけで。もう、昔の私たちじゃないんだ。)


蹲って考えていると、不意に暖かいものが顔に触れた。妙に甘い匂いがして見ると、遥がココアを差し出している。


「……くれるの?何も返せないよ?」


「いらない。寒いからいるかなと思って持ってきただけ。」


遥は私の向かいに座り、ココアを少しずつ飲み始めた。


「遥……昔もこうやって一緒にココア、飲んだね。」


「覚えてない。」


「遥猫舌だからさ、ちょっとずつしか飲めなくて……私がミルク入れてぬるくしたの覚えてる?」


「猫舌だからじゃない、ミルクを入れると美味しいからそうしてたの!」


「覚えてるじゃん、嘘つき。」


「……」


雨がベランダの床に溜まって水の流れる音が聞こえてくる。暫し遥とココアを飲んで黙っていたら、すっと背中に夕日が差した。


「晴れたな。危ないから走って転ぶなよ……あ、そうだ。」


遥が立ち上がってこちらを見ると、私は何かを期待して顔を上げる。


(さっきの、言いすぎた。ごめん。とか……言うよね?遥。)


そう思っていた私に遥は遊園地のチケットを2枚押し付け「それ、いらないからあげる。」と言ってから……リビングでゲームを始める。

彼の寝室を出る時、救急箱の置いてあった棚に夕日が反射してキラリと光ったのが見えた。


「……はは……」


「遥、ありがとうね!もう帰るから。」


リビングまで行って声をかけるも、遥は「んー」とうなるのみだ。


笑顔のまま、遥の住むアパートを出る。すると突然、頬が涙で濡れ……私は「遥ってば、嘘ばっかり……」と言葉が溢れた。


あの「呪いの指輪」を目にした時。

――馬鹿馬鹿しい。そう思えてしまうほど、遥の心が透けて見えた。


猿方先輩の記憶を取り戻すから、朱天君への告白の返事があるから、加賀魅先輩にも、ちゃんと折り合いを付ける必要があるから……


降りるんだ、そうやって。私のこと嫌いになったわけでもないくせに。


「ほんと困ったやつ。何にも……本当のこと教えてくれなくて。」


どんどん涙が溢れてきて、心から知らない感情が溢れてくる。


「嘘つき……!」


そう呟くも、遥に届くはずもなく……その言葉は住宅街に寂しく消えていった。

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