忘れてしまった大切な人
私は愚図った遥を再びベッドに寝かせる。
遥はぬいぐるみにしがみつき、まだひくひくと鼻を鳴らしていた。
とても、気にするほどのことじゃないとは言えない雰囲気だ。
「……ねえ、遥。」
「なんだよ。」
「私のこと、幻滅してたならそんなに泣くことないのに。多分……あの顔の方がモテると思うよ。」
「うるさい。僕は別にモテたいわけじゃないんだ。」
遥はそう言ってぬいぐるみに顔を埋める。
「でもほら、運命の人……」
「うるさいってば!そんなの聞きたくない!」
ぬいぐるみに埋もれ、こもった声が微かに聞こえてきた。
「何よ、自分から探せって言ったくせに。」
「……お前……さ。気付いてないのかもしれないけど、多分僕と再会する少し前に、彼氏がいたかも……知れないぞ。」
突然脈絡もなく、遥はぬいぐるみから顔を離すと、そう気怠げに言う。
「は!?いやそんなわけ……!」
「あるの。……調べたんだ、名前は『猿方鳴海』。3年の大人しい生徒で、顔が良くて人当たりもいいから人気があるけど、特定の人間としっかり関わりを持とうとすることはない。」
(猿方っ……て……)
以前、加賀魅先輩から私を助けてくれ、生徒手帳を落としたあの男の名だ。
「あ……はは、馬鹿言わないで!私がいくら馬鹿だからってそんな……」
「別に馬鹿にしてるわけじゃない。猿方鳴海は……多分、魔者だ。
付き合っていた時の記憶を彼に消されていたとしたら、どう?」
遥に言われ、息を飲む。私は確かに覚えている、猿方先輩を初めて見た時の懐かしさや、生徒手帳を渡した時の嬉しそうな顔を。
(忘れてしまった……大事な、人?)
「猿方先輩は、退魔研究会から所属している生徒だ。恐らくは、お前が人数合わせに誘ったんじゃない?結構覚えてる生徒もいたよ。
猿方先輩とお前が楽しそうに話をしてるとこを見たっ……て、生徒が。」
「……遥」
「いつ話そうか迷ってたんだ、裏が取りづらくてトンチキだし。猿方先輩本人には僕、めちゃくちゃ避けられてたし……でもそろそろ話さないとお前、加賀魅先輩か鬼丸のどっちかと付き合いそうだから……」
「遥!」
私が遮るように名前を呼ぶと、遥は不機嫌に「なんだよ!」と声を荒らげる。
「……調べてくれてたの?私の……為に。」
遥はきっと、猿方先輩の存在に気付いてからかなり時間をかけて調べてくれたに違いない。
彼の言葉からも、複数人に聞き込みしたであろうことが伺えた。
以前遥に「彼氏がいたんじゃないか」と尋ねられた時点から、この男はもう気づいていたんだ。
――「私が何か、大事なことを忘れている」ということに。
「お前の為じゃない、興味本位で調べただけ。」
遥はそう言いつつ寝返りを打ち、私に背を向ける。
「別にお前が誰と結ばれようがどうでもいいけど、鬼丸も加賀魅先輩もすぐにお前と付き合いたいとかそういうタイプじゃないし。
だからさ……どっちか選ぶ前に、猿方鳴海のことも整理しておいたら?お前にとって、運命の人だったのかも……しれないし。」
一切こちらを見ずに言う遥。
どうしてこのタイミングで遥は猿方先輩のことを話そうと思ったのだろう?
まるで、「運命の人探し」の話題から連想したかのように……
(あ……)
遥は「運命の人探し」の話を持ちかけた時から、乗り気ではなかった。
どころか、その話題を出す度「聞きたくない」と拗ねていたような……
遥は……遥、は……
まだ私のこと、好きでいてくれてるのだろうか?
私が振ったその後も、彼はわがままを言いつつ接触してきた。
加賀魅先輩から助けてくれたし、今回だって協力してくれている。
遥は途中で猿方先輩の存在に気付いて、身を引こうとした……?
それで、わざわざ「運命の人を探せ」なんて、言ってきたの……?
――9年も、私の為に努力をしてくれていたのに。
私に大事な人がいて、それを忘れているかもしれないと思った瞬間、踏みとどまって、一生懸命調べてくれていたんだとしたら。
どれだけ辛い思いをさせたのだろう?どれだけ、我慢させてしまったんだろう。
「遥……」
一筋の涙が頬を伝い、私はベッドの上にいた遥に近寄ると、抱きしめる。
「わっ……やだ、ヘンタイ!」
「遥……ごめんね、ごめんね……!」
泣きながら何度も反芻した。遥も、初めは抵抗していたものの次第に落ち着き、私の頭を撫で始める。
「謝られる意味がわかんない。……どうせまたオタク妄想拗らせて、勝手に悲観的になってんだろ。」
「わかんない……」
「離れろよ、こんなとこ加賀魅先輩に見られたら勘違いされるぞ。」
遥は私を引き剥がすと、髪をかき上げため息をついた。
「お前にとって、誰がいいとかよく知らないけど。加賀魅先輩も鬼丸も、いい人だよ。、猿方先輩も悪い噂は聞かない。……少なくとも、今日のお前を見て『馬鹿みたい』なんて言う男たちじゃないのは確か。」
「遥……遥は、私に会いに来たんじゃないの?私と……一緒にいたくて、戻ってきたんじゃ……ないの?」
「勘違いするな、崇高な僕が求めているのは下僕であって恋人じゃないの。せっかくお前に見合わないレベルの男たちがお前に寄って来てるんだ、逃したら次はないぞ。
余計なこと考えて棒に振るなよザコ。」
遥はグイグイ私の体を押してベッドから離すと、また布団を被り寝てしまった。
その時、加賀魅先輩が「ただいまー」という声と共に帰ってくる。
「あ……おかえりなさい!」
涙を拭ってから出迎えると、加賀魅先輩は私の腕に視線を落とす。
(あっ……やば!噛み跡……!)
「……絆創膏、買ってきたから貼ろうか。ご飯はその後ね。」
加賀魅先輩は落ち着いた様子で言うと、私をダイニングまで誘導する。
――その様子は、まるで私が遥に血を差し出すことを分かっていたかのようだった。




