㉖
校舎を出た悟史と妖虎は、校庭の中央で気を失っている牛久鳴動を抱き上げゆっくりと保健室に運んだ。
保健室にはポシェットを含め戦争から除外された数人の玉繭会メンバーが待機しており、牛久の介抱を任せた。
「……この辺りかな」
悟史が足を止めたのは校庭の中央、白線で引いたサッカーのセンターサークルの中だった。
妖虎も納得したのか向かい合うような形で立ち止まった。
タイミングを見計らったかのようにスポットライトが二人を包んだ。
急なライトの明かりに悟史は目をすぼめた。
悟史の目がやっと光に慣れ、真向かいの妖虎の姿を見ると、妖虎は何事も無かったかのように大きく目を見開き、悟史の一挙手一投足を捉えていた。
悟史はゾッと背筋に悪寒が走った。
今の急な照明の点灯にも関わらず、妖虎は一切の隙を見せずに悟史を見ていたのだろう。
悟史がこの隙を狙って攻撃を仕掛ける事も頭の中に入っていたのだろう。
さすがは一国の王女様だと感心するのと同時に、目の前にいるのが妖虎じゃなければ確実に胸のバラを潰されていたと、自身の注意力不足を恥ずかしく思った。
今は戦争中で、ここは戦場だ。
しかも目の前にいるのは敵の総大将。なにを気を抜いていると悟史は頬を張って気合を入れなおした。
「リーダー同士の接触ですから、カメラに二人がしっかり映るように運営委員会が気を利かしてくれたんでしょう」
「みたい……ですね」
妖虎は笑顔を悟史に向けた。この状況でここまで余裕で笑顔を作れる妖虎と対照的に、悟史は肉食獣に睨みつけられているような圧迫感を感じていた。
初めから分かりきっていた事だが一般人の悟史とは、経験値も能力も心構えも全てが段違いだった。
だがここまでは那須の指示通りに動けている。
後は那須の準備が整うまで妖虎をこのまま一歩も動かさなければいい。
それだけなら、自分にも出来ると悟史には確信があった。
それはどんな状況に陥っても自分を偽らずに己を貫き通した信介が、ずっと悟史に言っていた言葉があったからだ。
『王女様が悟史に恋してるからだ』
初めは嘘に決まっていると信じようともしなかったが、今では嘘だと単純に切り捨てられなかった。
また隙だらけの悟史に一切攻撃を仕掛けてこない事も、その言葉の信憑性を裏付けている。
だからこそ、これから俺がする話を黙って聞いていてくれるはずだ。
「では、鴨志田さんの目も慣れたようですし、早速始めますか?」
妖虎が左足を前に出し、両手を胸の前まであげた。
先程よりもさらに強いプレッシャーが悟史を襲う。
だが、ここで悟史も怯むわけにはいかなかった。
無理矢理にでも毅然とした態度で臨まなければならなかった。
「でもその前に一つだけ、妖虎様に話しておきたい事がありまして……」
「話、ですか?」
「えぇ……ずっと話しなければならないと思っていたのですが、一国の王女様である妖虎様と二人きりになる機会なんてないですから」
二人きりというフレーズに妖虎は一瞬頬を赤らめたが、すぐ首を振って意識を目の前の悟史に向ける。
「そ……そうですわね。確かに二人きりで、こう、面と向かって話すのは、初めてかもしれません」
「はい。だからこそこの機会にちゃんと話して誤解を解かないといけない」
「誤解?」
「えぇ……王女様はずっと勘違いしているんですよ。あの一年前の出来事を」
悟史はあの時の事を思い返した。
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一年前の出来事――王女様誘拐事件として連日王国全体を騒がせた事件のことだ。
北カントー暦四十一年四月三〇日から五月四日の五日間、王女様は何者かに誘拐された。
行方不明ではなく誘拐だと分かったのは、常に妖虎様と共に行動していた銀髪の女、狸塚剛健(その時から牛久鳴動として活動していた)の「黒い影が妖虎様を攫って、どこかに消えていった」という証言からだった。
悟史は王国中を悪い意味で盛り上げたこの事件を、連日トップニュースで取り上げられれているテレビ番組を現実感をつかめないまま眺めていた。
王女様が誘拐されようがされまいが、自分の人生にはさほど大きな影響はでないと高をくくっていたからである。
しかしそんな第三者の立場から傍観していた悟史だが、来る五月四日――鴨志田スーがとんでもない事を口走って、一気に事件の関係者にまで上り詰めた。
「王女様が近所の廃工場にいるぞよ。一緒に助けに行くぞよ」
適当なスーの事だから当然真に受けてはいなかったが、行くぞよ行くぞよと五月蝿いので、いつもの散歩コースを変更して廃工場を通る道を選んだ。
悟史が生まれる前から既に廃業している工場で、地元では肝試しのスポットとして有名だが、わざわざゴールデンウィーク真っ最中にこんな所で肝を試すアホはいない。
悟史自身も肝を試す気はさらさらないので、やや空が橙色に変わるか変わらないかの時間帯に、スーと共に廃工場を訪れた。
立て付けの悪い鉄扉を静かに開け中に入る。窓から夕日が射し意外と明るく、全体を見渡すことが出来た。
……人影はない。しかし何かがいる気配はする。
「あっち……なんかいるぞよ。たぶんあの中ぞよ」
工場の奥にある仮眠室とプレートが貼ってある扉を前にしたスーはドアノブを乱暴に回して中に顔を突っ込む。
「――誰かいるぞよ!」
スーの背中を押して扉を開けると、口にガムテープを張られ、身体をパイプイスにくくりつけられている女性がいた。
二時間サスペンスドラマの序盤から中盤にかけてに出てくきそうな光景が拡がっていた。
「王女様ぞよ!」
用心もなく近づいたスーは顔に張り付いたガムテープを剥がした。
強引に剥がしたので、その女性は一瞬「んっ」と声を洩らしたが、意識を失ったまま俯いたままだった。
さらされたその顔はブラウン管を通して連日されている顔写真と全く同じ、烏山妖虎そのものだった。
「えぇ、え、ええ、えええ……本物だよ」
予想外の展開に身体がついていかなかった。
本物の王女様が目の前にいる。
どうすればいいんだこれ? まずは警察か? それとも王国側に連絡すればいいのか?
「おーい起きろこらぁぞよ。いつまで寝てるんだ遅刻するぞよ」
「ちょおま! 何やってんだ王女様に!」
ペチペチと王女様の頬を叩くスーに遠慮なく拳骨を入れ、入れ替わるように目の前に立った悟史は、ひとまず縛付けているロープを外し始めた。
かなり強く何重にも縛り付けているため一人ではなかなか外す事ができない。
スーに手伝ってもらい、王女様の後ろ側からロープを外し始める。
「モガモガ……」
手で外すのが面倒になったのか、スーは歯でロープを噛み千切り始めた。
「……何やってんだお前ら」
背後から燕尾色のジャージに身を包み、顎鬚を貯えたオッサンがコンビニのビニール袋を持って現れた。
今まで生きていた中で最も間抜けな声を出した悟史は、固まったままオッサンの顔を覗き見た。
「どーもお邪魔してます」
「どーもお邪魔されてます――じゃねーよ!」
オッサンは手に持っていたビニール袋を回し、悟史の頭目掛けて振り落とした。悟史はそこで意識を失った。
目が覚めた時、悟史は病室のベッドの上だった。
傍らには心配そうに見つめる両親と、無駄にナースコールを連打するスーがいた。
頭は妙にすっきりしていて、様々な感覚が鋭敏になっていた。
やけに外がガヤガヤしているので窓から覗いてみると、今まで見た事もない数の人の群れが、この病室に目を向けていた。
「おおおおおおおおおおおお――!」
その全員窓に映る悟史の顔を見て歓声に近い声をあげていた。
「……なんだこれ?」
目覚めたばかりの悟史には、今の状況が理解できていなかった。
悟史としては気を失ってからあまり時間が経っていないように感じてはいたが、実際には三日間も昏睡状態にあった。
その三日間という短い期間で。世間を大いに騒がせた王女様誘拐事件は、ほとんど収束されていた。
犯人のオッサンはあの廃工場で現行犯逮捕。
王女誘拐という国家を揺るがす大犯罪を犯したためか、法による厳正な裁定をすっ飛ばして翌日に銃殺刑となったらしい。
被害者である妖虎様は軽傷を負っただけで、今では無事に生活を続けているという。
近いうちに悟史を見舞いにくるという話も看護士さんからすでに耳にしていた。
かく言うもう一人の被害者である悟史も特に目立った外傷もなく、一週間の検査入院で退院できる運びとなった。
「なぁあの後どうなったんだ?」
「なんのことぞよ?」
悟史の身を心配して見舞いに来ているのか、それともただお見舞いの果物を食いに来ているだけなのかはわからないが、スーはちょくちょく顔を出していた。
「俺が気絶した直後だよ、一体何があったんだ」
「……覚えてないぞよ」
「覚えてない事ないだろ? お前があのオッサンを叩きのめして妖虎様を助けたんじゃないのか」
「んー……忘れたぞよ。そんな気もするけどそうじゃない気もするぞよ」
「なんだよそれ……」
一体どういう運びで事件が解決に至ったのかをスーに何度も聞いた悟史であったが、結局スーは忘れたや覚えてないといった言葉で、しっくりくる解答をしなかった。
相手がスーなだけに誤魔化しているのか、それとも天然なのかの判断がつかない。
しかし記憶にある状況から考えればスーが王女様を助け出したとしか考えられない。
なのにこの騒ぎだ。
窓の外をチラリと見ると、何十、何百の王国民が悟史のいる病室に視線を向けている。
その中には『王女様を救った英雄』といった看板を立てた人いる。
どうやら王国民の皆様方は鴨志田悟史が王女様を救ったと勘違いをしているらしい。
「……これのせいだよな」
悟史は病室に備え付けのテレビの電源をつけた。
写真を最大限に引き伸ばした荒い自分自身の顔が液晶全体に映っていた。
中学二年生の頃、北カントー王国の王宮に社会見学に来た時の全体写真のものだ。
画面端には『王女様を救った国民的英雄目覚める』と書いてある。
ザッピングしてみても、どの放送局もそのニュースで持ちきりで、これを見たら誰でも悟史が王女様を救った英雄と誤認しても仕方のないことである。
バナナを貪り食うスーを見て、悟史は口を止めた。
スーがわざわざ「英雄は鴨志田悟史!」なんて事を言うわけがない。
ならばなぜ俺が英雄になっているのか。いや誰が俺を英雄に仕立て上げたのだろうか。
トントン、とドアを叩く音が聞こえた。
どうぞと声をかけると、現れたのは大きな花束を抱えた烏山妖虎だった。
「……よかった。本当に、目を覚ましてのですね」
彼女はそのままその場で崩れ落ち、嗚咽の声を洩らした。
うわぁ……なんかすごく言いづらい。
この状況で英雄じゃないですとか絶対言えない。
悟史はこうして英雄である事を黙認してしまったのだ。
しかしこれが失敗だったと退院後すぐに思い知らされる事になった。
事件が解決してからの数ヶ月間、悟史は生きた心地がしなかった。
世間からは王女様を救った英雄として崇められ、テレビや新聞、雑誌の取材に追われる日々を続ける一方で、悟史のポテンシャルの低さを知る中学校の生徒からは、羨望と同時に嫉妬や妬みの混じった奇異の目で見られていたからである。
そこに付け加えて何よりも苦痛だったのは、烏山妖虎の存在だった。
彼女は自分のことを本当の命の恩人のように扱ってくれて、事あるごとに悟史の家や学校に押しかけてきたのだ。
一国の王女がわざわざ足を運んできてくれている以上、ないがしろにする事もできず、出来る範囲で丁重に接してきたのだが、元々気が小さく目立つを何より疎んじていた悟史にとってはストレスでしかなかった。
しかもそれがきっかけでで数少ない普通の友人とも距離を置く事になってしまい、気が付けば悟史の周りには、烏山妖湖を率いる北カントー王国関係者とスーを代表としたネジが吹き飛んだ人物しかいなかった。
そこから当時通っていた中学校の生徒達が悪意を込めて『珍獣使い』と呼ぶようになり、気が付けば異名として定着してしまったのだ。
そうなるともう、後は自分の気持ちとは反対方向にすべてが流れていった。
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「これが俺の知る全てです。妖虎様は俺が助けたと勘違いしているんです」
悟史はただ、スーの気まぐれに付き合って、たまたま現場に出くわしただけで、犯人と思しき人物にもあっという間に倒された。
気絶した後、一体どういった展開があったのかは自分には分からないが、英雄を挙げるとすれば、むしろスーにこそ、その冠はふさわしいはすだ。
「妖虎様もあの時ずっと気を失っていたから、後から回りに聞いた話やテレビとかで俺を事件を解決した英雄だと思い込んでしまっただけなんです。俺は妖虎様が思い描いているような人間ではないんです。自分ひとりでは何も出来ないちんけな人間なんですよ」
悟史は一歩後ずさり、そして頭を下げた。
「妖虎様には、あの事件以降、いろいろな形で気にかけていただきまして、大変ありがたかったです。今思えば、『珍獣使い』という異名を付けられ学校中から変な目で見られていた俺を助けてくれるために、特待生としてこの学園に招いてくれたんですよね」
妖虎は静かに頷いた。
やはり自分が特待生として入学できたのは妖虎様の口添えがあったからだったのだ。
「でもそれが逆に辛かった。明らかな悪口を冠にこの学園で生きていかなければならないこともそうですし、特待生としてさらに注目を浴びる事になってしまうかもしれないこととか」
悟史ぎゅっと手を握った。
「でもそれ以上に辛かったのは、本当の英雄ではない自分に、心から優しくしてくれる妖虎様に嘘をつき続けることでした。何も出来なかった自分をそんな真っ直ぐな瞳を向けないで下さいと何度も伝えたかった。ちゃんと助けてあげられなくてごめんなさいとずっと謝りたかった――本当に、ごめんなさい」
――やっと言えた。
全部言えた。
これで俺はやっと普通に戻れる。英雄ではなく一人の鴨志田悟史という一般人に……。若干早口ではあったが、言いたい事を全て伝えきった悟史は満足気に大きく息を吐いた。
妖虎はそんな悟史の言葉を無言で聞き続け、その場から一歩も動かなかった。
妖虎から何かしらの返答があるだろうと悟史はそのまま妖虎を見ていたが、妖虎は、全く動かなかった。
先程までの隙のないプレッシャーは一切なく、ただ立ち尽くしているという印象。
悟史でも胸元に刺さった紫のバラを潰せそうなほど無防備だった。
「……ごめん、なさい」
妖虎の瞳から、謝罪の言葉と共に一筋の涙が零れた。
「鴨志田さんがあの件でそんな不遇にあっていたとは知らず、私は……私はなんてひどい事を」
「泣かないで下さい。王女様はあくまで被害者であって、悪いのは全て誘拐犯の奴ですよ。むしろあんな目にあったにもかかわらず優しくしてくださった妖虎様のご好意は、大変ありがたく――」
「――止めてください! 私は鴨志田さんから感謝される資格なんてない最低の人間なんです!」
悟史の言葉を遮って、妖虎は叫んだ。
「……どういうことですか?」
「……全部私が仕組んだ事なんです」
嗚咽混じりに声を出す妖虎を、悟史は事態が読み込めずに見つめていた。
「あの誘拐事件に犯人なんていません。強いて犯人を挙げるとするならば、それは私――烏山妖虎なんです」
「何を言って……いるんですか?」
妖虎は鼻をすすり、目を擦りながら悟史の目を見つめた。
「あの誘拐事件は……狂言誘拐なんです」




