㉓
「……牛久鳴動。一体どうして」
信介が驚いているのは、まだ野木胡桃と牛久鳴動の戦闘が終わったことを知らなかったからではない。
この声の主が野木胡桃と戦っていた本物の牛久鳴動なら、既に野木胡桃に負けていてもおかしくはない頃合だし、野木胡桃が情けをかけて止めを刺さなかったから声を出せるのかもしれない。
問題は、どうやってこの無線機を通して声を出しているのかだ。
信介が作った無線機は二機。
戦争前に信介と坊主頭がつけた物しかない。
この場にいる信介の無線機は今も付いているので、坊主頭の無線機を奪われたと考えるのが自然だが、わざわざ狸塚剛健と交戦中の坊主頭の無線機を奪う余裕があるのなら、この場に来ればいいだけの話だ。
『その一体どうして……を説明するために、はぁ……語りかけて……いるん、です』
牛久鳴動の声は途切れ途切れで、実に弱々しかった。口を動かすだけでも苦しそうに息を洩らしている。
「……貴様、今どこにいる?」
『校庭のど真ん中で……無様に横たわっています。はぁ……野木胡桃に、完全に叩きのめされましたから……』
信介は廊下の窓から校庭を眺めた。
外は月明かりで校内よりも明るいため、校庭の真ん中に人間大の何かが確認できた。
あれが牛久鳴動なら、坊主頭の無線機を奪えないはず。ならどうして奴の声がここから聞こえる?
『簡単な……事だよ。その無線機とほぼ同じ構造のモノを、僕らは用意しただけだ』
「僕らは……だと」
信介は傍らに倒れているサングラスの頭を持ち上げた。
右耳に黒光りするイヤフォンを確認した。
『今あわてて確認してるところかな……ヤタガラスの誰かの耳を』
サングラスの耳に当ててあったイヤフォンから牛久鳴動の声がした。
誰かの耳をと言っているので、恐らく参加メンバー全員分用意してあることも想像できる。
今までの信介の指示が、ヤタガラスに全て筒抜けだたったということが決定的になった。
だが……どうしてだ?
どうして私達が無線機を持っていることを、同じ構造のこのイヤフォンを参加メンバー作れる時間があるくらい早い段階で知ることが出来た?
仮に私と悟史が玉繭会を乗っ取る時点で、ポシェットがヤタガラス側についていたとしても、この私が作った無線機を渡したのは戦争直前だ。
無線機の存在が初めからバレていたとしたら、それなら玉繭会の下剋上そのものが成立するわけがない。
となると悟史かスーが、下剋上の後すぐにヤタガラス側にリークしたとしか……? いや、そんなことに何のメリットが――。
『カチャカチャと、メガネを動かしている音が聞こえる……。もしかして根岸くんの癖ですか』
無意識にメガネを押えていた信介は、ハッとしてメガネに手を離した。
「死にぞこないがベラベラと……」
『その通り死にぞこないですよ。はぁ……僕もさっさと楽になりたいから、さっさと説明を続けましょう』
ふぅ~と息を吐き呼吸を整えた後、牛久鳴動は語りだした。
『鴨志田くんが玉繭会のトップに立ったと聞いた時、強烈な違和感を覚えた。玉繭会の下剋上は、繭美ちゃんに質問をぶつけてどう答えるかを当てるというもので、力の無い鴨志田くんでも会長になる可能性は確かにある。しかし八〇〇強もの玉繭会会員を相手にしたという噂を耳にして……何かがあると確信した。繭美ちゃん熱狂的なファンである玉繭会全員に、鴨志田くんが勝てる訳がない。勝つ方法があるとすれば……三つほど挙げられる。
①繭美ちゃんと事前に打ち合わせをしていた。
②事前にインタビュー内容を把握していた。
③下剋上の最中に、玉繭会員に並ぶ情報量を有する人物と意思疎通できる状態にあった。
①の場合……繭美ちゃんと事前に話をあわせていたのなら、玉繭会の誰かにその情報が洩れているはずで不可能だと判断した。②の場合は北カントー学園運営委員会の威信にかかわるものだ。そんな事を鴨志田くんや根岸くんに出来るわけがない。となると可能性は③だけ……もう言わなくてもわかりますよね?』
「……あぁ、私が逐一悟史に答えを教えていた」
ここまでバレているのなら、隠し立てする意味はなかった。
信介は力なく呟いた。
『文字を書いて答えを発表する形式なので、曖昧なサインだけでは無理だ。だから明確に指示出しでき、且つ周りから付けているのが分からない極小サイズの通信機器が必要になる。そこで僕たちが思いついたのが、頭蓋骨を介して直接聴覚神経に働きかける骨伝導式の無線機だった。これならわざわざ耳につける必要がなく、例えば耳の裏側や首とかに隠す事ができるし、外部の音に妨害されにくいから小声で発信もできる。……でもまさかそこまで高度な技術を高校生が作れるとは思ってなかったから、今の今まで半信半疑だった』
「今の、今まで……?」
『そうです。ここからは僕から説明するより、ポシェットさんから直接聞いたほうが分かりやすいかもしれません。……そろそろ喋るのも辛くなってきましたし、続きお願いできますか?』
ポシェットは信介の前に立ち、耳にかけた黒いイヤフォンを見せ付けた。
サングラスがつけていたものと全く同じ形状のものだ。
「……裏切り者が」
「裏切ったのはあなたです。私は最後の最後まで根岸さんを信じていた。できることならこのイヤフォンも使いたくはなかったんです」
「なに?」
「鴨志田さんが会長になった翌日、牛久さんは私に接触してきました。そしてこういうのです。『鴨志田さんと根岸さんは不正を働いて玉繭会を乗っ取った』とね。当然私は信じませんでした。見たところ二人に怪しいところはありませんでしたし、彼の話も荒唐無稽すぎて相手にすらしていませんでした。だってそうでしょう? ただの高校生に過ぎない根岸さんが、超小型の無線機を作り、それでカンニングしていたなんて……信じられるわけがない」
「でも、牛久さんはこう続けました。なら本当にそんな物を信介くんが所持していたら、二人の不正を信じ、そしてヤタガラスに協力してくれますね、と。私は二つ返事で了承しました。この時の私は、牛久さんに協力するフリをして、出来る限りヤタガラスの情報を聞き出して、玉繭会が優位に立つよう戦争にフィードバックしようという思いでした。しかしいざ戦争直前になると、根岸さんはとんでもない物を我々の目前に出しました。牛久さんの言ったとおりの代物を出してきたんです。……牛久さんの話は本当だった。鴨志田くんと根岸さんは玉繭会全員の繭美ちゃんを想う気持ちを利用し、打倒ヤタガラスの踏み台にした。……許せるわけがない」
「この結果……今の状況が出来上がったというわけか」
「ええ、あなた自身が招いた結果ですよ」
「ポシェットに提案した辺りが実に腹立たしいな。坊主頭は今も私が不正をしたということを知らないんだろ?」
「おそらくそうでしょうね。彼は単純ですから、牛久さんの話を聞いた時点で、その言葉を真に受けて二人に殴りかかっていたでしょう。彼はあなた達を信じて、あの狸塚剛健に真正面から立ち向かったんですよ」
ポシェットの瞳から涙が零れた。
「あなたのせいで……私の親友がボロボロになっているんですよ!」
ポシェットは信介の顔に拳を入れた。思わぬ不意打ちによろけ、仰向けに倒れた信介にポシェットは馬乗りになった。
信介のメガネを外し、さらに一打。もう一打と殴る。
「このイヤフォンからも充分に聞こえていたんですよ。坊主頭や玉繭会の仲間達がが狸塚にやられている音がね。それを黙って我慢するしかなかった私の気持ちが……お前に分かるかっ!」
信介は腕でガードすることなく、ポシェットにされるがままになっていた。
しかし視線はポシェットの瞳を捉えていた。
「何だその目は! お前如きが私たちを見下すなっ! お前なんかお前なん――」
『――止めなさいポシェットさん! 奴はこれを狙ってるんです!』
「うるさい黙れ! 私はこの男を坊主頭以上にボロボロにしなければ気が済まない」
『いい加減にしなさい! この試合が無効になってもいいんですか!』
ピタッ――とポシェットの手が止まった。
『いいですかポシェットさん。あなたの赤いバラはもう散っていて、あなたは戦争から除外されているんです。だから仲間だといってもこのまま暴行を続けたら、この戦争自体無効になりますよ! 無効になったら、このまま鴨志田くんと根岸くんは玉繭会の会長副会長のままですよ!』
牛久の言葉で我に帰ったポシェットは上げた腕を静かに下ろした。
奥歯をギチギチと噛み合わせ、必死に衝動を押えこむ。
「ちっ……余計な事を」
口に溜まった血を吐き出し信介は舌打ちをする。
「どけよポシェット。重いんだよこのキモオタが……」
身体を起こして強引にポシェットの身体を離した信介は、廊下に落ちていたメガネをかけた。
「ったく気持ち悪いんだよお前は。いやお前だけじゃなく玉繭会全員だな。見た目が可愛いってだけで、三〇目前の女教師に、繭美ちゃん繭美ちゃんと喚いては興奮して、あまつさえ繭美ちゃんLOVEなんてプリントしたTシャツ着て喜んでる。もうロリコンって域を越えてるぞ。完全に病気、病気です。人間として墜ちてはいけないダークサイドまで行ってるよお前ら。精神科にでも行って病棟に隔離してもらえ。犯罪者になる前にな」
「あぁぁぁぁぁぁぁ根岸ぃぃぃぃぃ!」
「――やめて下さい!」
殴りかかろうとしたポシェットを後ろから抱きかかえるように、烏山妖虎は静止した。
「あなたたちの無念は分かります。でも、ここで殴っては全てがこの男の思うがままです。堪えてください……」
「でも……アイツは私だけではなく仲間や繭美ちゃんまでも――」
「――堪えてぐだざいっ! お願いでず」
烏山妖虎の声が涙声になっていた。
「お願いでず。後のことは全て私に……悪いようにはしませんから」
ポシェットはゆっくりと脱力し、その場にへたり込んだ。
妖虎は背中をさすって、気持ちを落ち着かせている。
その姿を見て信介は無効試合に持ち込むという最後の悪あがき無意味だった事を思い知った。
本当に恐るべきは、狸塚剛健でも牛久鳴動でもなく、それらをまとめ上げる王女様の絶対的な求心力だったのだ。
仮にこの戦争に勝ったとしても、一般人の私や鴨志田にはここまでの魅力はない。
いずれ下剋上をされて敗者という名の滝つぼに落ちるのがオチだ。
――これが王族か、最初から勝てる相手じゃなかったのか。
「完璧だと思ったのだがな」
『玉繭会を乗っ取るまでは完璧でしたね。だがそれをこの戦争で使ったのがいけなかった。それには大きく二つの理由がある。一つは相手に向けた刃を、その相手に渡す様なおろかな真似をしたこと。もう一つは骨伝導式の無線機だったということです』
「……どういうことだ」
『分かりませんか? 骨伝導式の無線機は直接肌につけなければ、ほとんど聞こえない。つまり年中着ぐるみを被っている野木胡桃さんには無線機がつけられないんです。秘密が洩れぬよう戦争直前にこの無線機を坊主頭さんに渡したということを考慮すれば、野木さんが事前にこの無線機の事を聞いていないことは明白だ』
牛久の説明どおり、野木胡桃には無線機を渡していなかった。
だがそれは狸塚との戦闘に集中してもらうためにあえてつけなかった信介だが、それが失策だということを言われて初めて気付かされた。
「もし私が無線機を野木胡桃に渡していたら……私とお前のやり取りを聞いていたらここに向かっていたはずだ」
『でしょうね。でも保険として僕は野木さんとの戦闘に負けた後、あえて狸塚の存在をちらつかせ、鴨志田くんの護衛に回るように促した。無線機がなくとも野木さんがここに来て、妖虎様が襲われる可能性がありましたから』
何もかもが、牛久の説明どおりだった。
このバラ戦争で、骨伝導式の小型無線機を使う必要はなく、市販のトランシーバーでも全く問題はなかった。
そうすれば狸塚と牛久の入れ替え作戦にも、対応が出来たはずだったが。
「くそが……完敗だ」
信介は仰向けに身体を倒した。
必死に考え抜いた北カントー学園統一計画が全てが白紙に戻ったせいか、逆に清清しさを感じていた。
そして空っぽになった脳は自身の身体に休むように命令を伝え、信介は眠るように意識を失った。
「どうかな……君らのブレーンが完璧に叩きのめされた感想は?」
信介と牛久のやりとりをイヤホン越しに悟史に聞かせていた狸塚は、無線機を悟史に投げ渡した。
それを素直に受け取った悟史は、ボリュームを落としてから耳の裏側に貼り付ける。
「あーあ-……聞こえるか信介? 聞こえているなら返事しろー」
返答はない。
「なんだ……あまりのショックで気を失ったのか? なら、ちょうどいいから言いたい事を言わせて貰うぞ」
大きく息を吸い込み、横隔膜を最大限まであげた。
「ざまぁみろ信介! 今までの報いだと思って甘んじて受け入れろこの変態鬼畜メガネがぁぁぁ!」
まるで今まで溜まった鬱憤を全て吐き出すように声を張り上げた悟史は、そのまま腹を抱えて大笑いを始めた。
それにつられるように野木胡桃も肩を奮わせた。
「全くもっていい気味だ。このくらいボロボロにしてやらないとあの男はますます調子にのるからな」
「そうそう! でも最後の悪あがき聞いたでしょ? ポシェットさんをなじって無効試合にもってこうとするとか、どんだけ人間腐ってるんだよ! クズにも程があるでしょ」
「まさに神の如きクズ、略して神クズだな。鴨志田がちゃんとくず箱に入れておかないからこうなるんだぞ」
「誰がうまいことを言えと!」
狸塚には理解できない状況だった。
仲間である根岸がここまで叩きのめされ、悔しがったり悲しがったりするのが一般的だと思われるが、この二人は反対に罰が当たったとばかりに笑いあっている。
「ちょっと何なのよアンタ達! 根岸がやられたのになんで笑っていられるのよ」
「だって面白いじゃないですか」
「面白いって……何考えてるの? しかも鴨志田くんは根岸に、一度も友情を感じたことがないとか、利用してるだけとか言われてるんだよ! それに関して腹立ったりしないの?」
一度考えるそぶりを見せる信介だが、迷うほどの質問でもなかった。
「別に……そんなのとっくの昔に本人から聞いてますから。信介が人間的に破綻している事も、目的のためなら何でもすることも、俺をただの駒としてしか見ていないこともね」
「……分かっているの? 自分の言ってる言葉の意味が」
「分かっているよ。分かってないのは牛久さん? じゃなくて狸塚さん? まぁどっちでもいいけど、君の方だよ」
あそこまで徹底してクズでいてくれる信介に、悟史は心の底から感銘を受けていた。
あんなに追い詰められても、自分を曲げることない姿……決してブレない姿勢こそ、自分が憧れ、認めて欲しいと思った信介そのものだった。
「あれが信介なんだよ。あれでこそ信介なんだ……そう思うだろ野木さんも」
「うーん。私は単純にあの男が嫌いだから、ボロ負けして嬉しいだけだが」
……一瞬の静寂。
「野木さんに嫌われてこそ信介なんだ!」
「何今の間は? 今の間はなんなのさ?」
「あぁもういいよ。そういう所にくいつかなくても。俺は俺でやる事がはっきりしたから」
そう言って悟史は野木胡桃に目配せをした後、廊下に倒れているスーと坊主頭に「悪いけどもう少しこのままでいて」と呟いて、狸塚の横を通り過ぎた。
「ん? どこに行くつもり?」
「妖虎様のところですよ。決まってるでしょ」
「……まさか根岸くんを助けに行くつもり? 言っておくけど鴨志田くんの力じゃ無理よ。妖虎様もいるし、ヤタガラスに付いた玉繭会のメンバーもいる」
「それはどうかな」
会話に割って入った野木胡桃の手には赤いバラが握られていた。
まさかと思い自分の胸を見た狸塚は、自分の胸にバラが刺さっているのを確認する。
自分のバラは刺さっている。
「さすがに私も、気付かれずにお前の胸にあるバラを取るのは不可能だ。これは坊主頭の分だ」
バラを握りつぶすと、ビィィィィィィとブザー音が合った。
「これで残すは妖虎様とお前だけだ。私がお前を倒せば勝ちは決定的だ――」
一瞬で狸塚との距離を詰めた野木胡桃は、迷わず胸元のバラを狙う。
身体を後ろに大きく逸らし、寸でのところでかわした狸塚は、そのままバック転をして振り上げた足で、野木胡桃の顎を狙う。
野木胡桃にはその攻撃すらも予想の範囲内で、片手で払いのけた。
「着ぐるみなのに、顎下見えるの? つーかどこから外見てんの?」
「構造は企業秘密だ」
右手に青白いオーラが燃える様に湧き上がった。
「ここは任せて鴨志田は行け! すぐに追いかける」
「了解! あとは任せた」
悟史は廊下を走りだした。
狸塚は阻止しようと追いすがるが、野木胡桃が執拗にバラを目掛けて攻撃するため、距離はどんどんと離れていった。
「あぁもう面倒! しょうがないから相手してやるよ」
身体を翻した狸塚は、野木胡桃を見やるとニヤリと微笑んだ。
「悪いけど……一撃で終わらせるよ」
狸塚が大きく足を踏み込むと、床全体が波を打つように上下に震えた。まるで生き物が床の中に潜り込み暴れているかのようなうねりに、バランスを取るので精一杯になった野木胡桃は次に来る狸塚の一撃に無防備になってしまう。
「とりあえず、挨拶代わりに一発!」
踏み込んだ足に全体重をかけ、身体を内側にひねるように入れ、深く腰を下ろした。
――ドォン!
狸塚の強烈な一撃が、がら空きになった野木胡桃の身体を完璧に捉えた。




