㉒
「なんでだ。ポシェットを倒したのに、なぜこいつ等は動いていられる」
サングラスは捨て台詞のように呟いた後、静かに地面に突っ伏した。
「目が覚めたら教えてやるよ。その時にはお前も玉繭会……いやカモネギCREWの一員なんだからな」
サングラスの胸ポケットの赤いバラを手信介はゆっくりと握りつぶした。
ブザー音が鳴り、サングラス部隊の戦線離脱が宣告された。
「烏山妖虎様……あなたがここに現れたのは想定外でした。しかしそれが結果的にこんなふうに好転するとは思ってもみませんでしたよ」
勝利の女神は自分に微笑みかけている、信介はそう感じていた。
野木胡桃と戦っているのが本当は牛久鳴動で、労せずヤタガラスの頭脳を潰す事ができるという事実。
付け加えて坊主頭の奮闘のおかげであの狸塚剛健の足止めに成功し、現在烏山妖虎一人に、自分を含め五人の玉繭会メンバーが囲んでいるこの状況。
上手くいき過ぎていて怖いくらいだった。
「おい坊主頭、顔を狸塚の顔にぴったりくっつけろ。骨伝導だから狸塚にも聞こえるはずだ」
『……了解』
「聞こえるか牛久鳴動――いや狸塚剛健。聞こえているみたいだな。じゃあ一言だけ言わせて貰うぞ。バーカ」
イヤフォンからも、一年一組の教室がある方角からも、狸塚の悲痛な叫びが聞こえた。
「くっくっくっくっく……はーはっはっはっはっは!」
信介は笑いを堪えることができず、大声をあげた。
普段はあまり感情を出す事のない信介ではあったが、力の無い自分が、あの狸塚剛健をここまで追い詰める事ができたという事実が、あまりに愉快で仕方なかった。
「最低ですね……。こんな苦しそうな叫び声を聞いて笑っていられるなんて」
烏山妖虎は汚物を見るような目で信介を捉えるが、それすらも面白い。
「ふふっ……自分が如何に最低であるかは、とうの昔に自覚がありますよ!」
「……そうですか。ということは全てあなたの仕業というわけですね」
「あなたの言う全てというのは『鴨志田悟史』の事もですかね……くくくっ」
「――違っ! 私は何も鴨志田さんの事だけを言っているわけではなく!」
「いいんですよ誤魔化さなくて。あなたのおっしゃりたい事は分かります。妖虎様……あなたのご想像通り私は鴨志田悟史を利用しました。彼の『珍獣使い』としての能力に目をつけてね。それ以上でもそれ以下でもありません。友達のように振舞っていましたが、私と悟史の間にに友情はないですし、あなたのように愛情があるわけでもない」
「愛情だなんて――あなたは何を!」
「隠さなくてもバレバレですから取り繕わなくてもいいですよ。情報屋のスキルを使うまでもなく、顔に好きって書いてありますから」
さらに一歩一歩と信介は距離を詰める。
手を伸ばせば胸元に挿してある紫のバラに手が届くほど近づいた。
「どうです妖虎様? このまま黙って私にバラを捧げてくれませんか? そうしてくれれば悟史との仲を取り持ってあげても――」
――パチン! まるで漫画の擬音のようにはっきりした音を立てながら、目を潤ませ今にも泣きそうな烏山妖虎が信介の右頬を叩いた。
その勢いで愛用の黒縁メガネが飛んで地面に落ちた。
「私は北カントー王国の第一王女! あなたのような人間には絶対に屈しません」
「……それがあなたの答えですか」
何事も無かったかのように落ちたメガネを拾いにいき、ゆっくりとメガネをかける。
「じゃあもう消えろよ――やれお前ら」
信介は残っている玉繭会メンバーに指示を出し、烏山妖虎に背を向けて歩き出した。
さすがに一国の王女で、幼少期より様々な訓練を受けていたとしても、手練の四人に襲い掛かられては手足も出ないはず。
これで全てが終わり、玉繭会の完全勝利だ。
「私の時代が来た――根岸信介がこの学園を統べる日がついに来たのだ! はーっはっはっははっはっは!」
信介は高らかに笑った。
信介の笑い声以外には何も聞こえない。
本来なら聞こえるべき音すらも聞こえない。
「……どういうことだお前ら。なぜ一歩も動かない? 俺の命令が聞こえなかったのか?」
指示したはずの四人は一歩も動こうとはしなかった。それどころか信介に対して侮蔑の視線を送っている。
「……王女様だからびびっているのか? それともここにきて私に逆らうのか?」
信介は全員の目を一度見た後、もう一度問い詰めた。
「私に逆らったらどうなるか言わなくても分かるよな?」
「……そんな脅し、いまさら意味はないんですよ。根岸信介」
「この声は――ポシェット!」
声の方に振り返ると、烏山妖虎の隣に気を失っていたはずのポシェットが立っていた。
「なぜお前が立っている。お前は烏山妖虎にやられたはずじゃ……」
「やられたフリをしていただけです」
「やられたフリだと? バラを潰された以上そんなフリをしても意味がないだろうに……」
「意味はありますよ……私のバラが潰れれば、坊主頭に付いて行った四人が戦線離脱しますからね。そうすれば無駄に狸塚剛健に挑まず、怪我人も増えないはずですから」
ポシェットの言葉は、裏切りを意味していた。
「どういうつもりだポシェット。なぜお前が私を裏切る。負ければ玉繭会はヤタガラスに飲み込まれるんだぞ!」
「もう玉繭会は飲み込まれましたよ。カモネギCREWなる北カントー学園史上最悪のチームによってね!」
なぜその名を、と口にしようとした瞬間。
イヤフォンから聞こえるはずの無い声が聞こえてきた。
『ポシェットが君を裏切った理由なら……僕が教えてあげるよ』
本物の牛久鳴動が、イヤフォン越しに信介に語りかけた。
野木胡桃は一目散に三階にある三年三〇組を目指した。
校舎に入って階段をいちいち登る余裕は無かった。
今この瞬間にも本物の狸塚剛健が鴨志田に向かっているかもしれないのだ。
野木胡桃は校庭を走りながら、両手に青いオーラを溜めた。
そして散弾銃のように校舎の外壁にオーラを放出し小さな穴を何十個もあけた。
そこを取っ掛かりにして外壁を登り、猛烈なスピードで三階まで駆け上り、教室の窓をぶち破る。
「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁぁ! 来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………って野木さん?」
野木胡桃の突然の登場に悟史は声をあげたが、敵ではなく野木胡桃だと認めるとほっと肩を撫で下ろした。
「大丈夫か鴨志田! 何か異変は無いか!」
「異変……今のところは特に何も」
悟史の両肩を掴みジロジロと嘗め回すように顔を見つめた。
今のところ異常はないし、狸塚が来た気配も無い。
「なんだクマさんかぞよ。どうかしたぞよ?」
スーは気の抜けた声で呟いた。
「あぁビックリした。はぁ……敵だったら完全にやられてましたよ」
那須一与は心臓を押えながら脅えながら野木胡桃を見ていた。
「そ、それよりどうしたの野木さん。狸塚くんとの戦いは……」
「そうだ! その件で報告がある! 狸塚剛健が牛久鳴動で、牛久鳴動が狸塚剛健だったんだ!」
「…………はい?」
「あぁもう説明する時間は無い――簡潔に説明すると、ここに狸塚剛健が来る。ここは危険だ」
「狸塚君が来るって? 野木さんのように壁よじ登って?」
「校庭にいるのは牛久鳴動で、それは私が倒した。ここに来るのは本物の狸塚剛健だ!」
「……えぇ~と何? ナゾナゾか何か?」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁもう面倒だ! おいそこの犬女とデコ女、お前ら邪魔だからここから出て行け! 鴨志田の護衛は私が代わる!」
ここまで焦る野木胡桃の姿を見るのは初めてだった。
事態は何一つ掴めていないが、ここは野木胡桃に従うのがベストだろうと悟史は思った。
「よく分からないけど、スーと那須さん。ここは俺と野木さんに任せて、信介達のサポートに向かってくれないか?」
「わかったぞよ。ケル、ベロ……一緒に行くぞよ」
スーは素直に悟史の言葉に従い、教室を後にした。
「じゃあ私も行きます。よく分からないけど私がいても邪魔にしかならないんですよね?」
「そうだ。悪いがここにいると奴と私の戦いに巻き込んでしまう恐れがある」
野木胡桃の言葉にはやけに重みがあった。
そのプレッシャーに当てられた那須は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「……鴨志田さんをお願いします」
「言われるまでも無い」
那須も野木胡桃の言葉に従い教室を後にした。
すぐに階段を降りる音がしたので、那須は下に向かったようだ。
「どうなってんの野木さん? 俺の知らないところで何が起こっているんだ」
「鴨志田は黙って教室の隅に身を隠していろ。絶対にバラを潰されないように注意しておくんだ」
野木胡桃は一旦呼吸を整え、冷静に状況を分析した。
牛久鳴動と狸塚剛健を入れ替えたのは、まず間違いなく私を足止めするための作戦だ。
その間にリーダーである鴨志田を、本物の狸塚剛健で倒すという戦法だ。
狸塚が今どこにいるのか分からない以上、ここで迎え撃つしかない。
後手後手に回ってはいるが、私が狸塚を倒せば、ヤタガラスには玉繭会を攻略する術はない。
「……実にシンプル。ようは私が勝てばいいのだ」
――ドォン! 衝撃音が悟史の耳に届いた。
「廊下から聞こえたぞ」
急いで廊下に飛び出すと、三階廊下の奥から何かが向かってくる気配を感じた。
音はそれ以降続くことはなかったが、たった一度の衝撃でここまで空気が張り詰めるものかと、悟史は鳥肌を立てた。
「何か……いる。何かが来るぞ」
野木胡桃は暗闇のその先を一心に見つめ言葉を紡いだ。二つの小さな影が廊下を滑るように近づいてきた。
豆柴とチワワ――ケルとベロが駆け寄ってきた。
「がうがうがうがうがぁふ!」
「きゃんきゃんきゃんきゃん!」
普段のじゃれ付くような声ではなかった。
身体も頭の先から尻尾までぶるぶると震え、全身の毛が逆立っていた。
明らかに何かに脅えているようだ。
「痛っ……」
悟史の腕に鋭い痛みが走った。ケルが制服の袖ごとの腕に噛み付いたのだ。
強引に離そうと腕を振るが、尖らせた犬歯をつきたてたまま、決して離そうとはせず、それどころか暗がりの方へ引っ張っていこうとする。
「うぅぅぅぅぅ~……」
ケルはさらに強く、唸りながら噛み付いた。ケルとベロが駆け寄ってきた時点で、この先にスーがいることを察した。
その身に何かが起こっていることも含め。
「狸塚剛健だ。もう三階まで来ていたのか……」
クマの着ぐるみの頭部をベロに噛まれながら、野木胡桃は立ち上がり、暗がりに向けて走り出した。
「待ってくれ野木さん! 俺も行く」
野木胡桃に送れるように悟史も走る。
「来るな! 狸塚に勝つ可能性があるとすれば私だけだ!」
「だったらなおさら付いていくよ! 野木さんの言い分だとスーは狸塚くんには勝てないんだろ! ならスーを介抱する人間が必要になる!」
「……鴨志田!」
「確かにアイツはすぐ物は壊すし、人の話を聞かないし、ぞよぞようるさいけど、小さい頃からずっと一緒で、いまや家族同然の存在なんだ。そんなスーが危ない目に遭ってるのに黙ってなんていられない!」
「……わかった。狸塚の牙にかかる前に、あの犬女を連れて逃げろ。その後の事は全部私に任せろ」
「うん……頼んだよ野木さん」
全速力で廊下を駆け抜けていくと、おぼろげながら人のシルエットが浮かんできた。
両手で別々の何かを引きずっている。
暗闇に目が慣れてきたおかげで、その一つがスーである事を確信する。
「スー! 大丈夫か!」
反応はない。
「くそ……今行くぞ」
「待て早まるな!」
野木胡桃の制止を無視し、足を一歩前に踏み出した瞬間だった。
ふわっと生温い風が通り抜け、背後から身の毛もよだつほどの威圧感が迫った。
「紫のバラめっけ」
「なっ! 牛久さん!」
「残念……狸塚剛健でした」
長い銀髪をたなびかせ、背後から伸ばした狸塚の黒い手は、悟史の胸元に伸び紫のバラを掴もうとしていた。
「しゃがめ!」
野木胡桃の声に無意識に反応した悟史は、膝の力を抜いてしゃがみこんだ。
悟史がしゃがむのを見てから動いたのか、それともしゃがむのを信じて先に動いたのかは分からないが、野木胡桃が絶妙なタイミングで空気をきるように右足を動かし、伸びた腕ごと本体を蹴り飛ばした。
「うおぅ、いい蹴り! 久しぶりに痛いよ!」
「……嘘を付け。受け流してダメージはほぼ無いはずだ」
「ありゃ、やっぱ分かる? 流石は胡桃ちゃん」
数メートル飛ばされながらも、何も無かったかのように床に着いた狸塚は、ゆっくりとパチパチパチパチと拍手をしながら、近づいてきた。
「他の二人とはレベルが違うわ……」
狸塚は前方を指差した。
廊下に倒れるスーと、見覚えのある男性が倒れていた。
悟史は二人に向かって駆け寄り、まずスーの容態を確認。意識はないが、目立った外傷はなく呼吸も安定している。
問題はもう一人のほうだった。
「まさか……坊主頭さん?」
「ご明察! さすがは玉繭会のリーダーだ」
顔が変形し、真っ赤に腫れあがったてはいるものの、見事なまでの五分刈りが、坊主頭である事を示していた。
あまりの痛々しさに、悟史の身体はたまらず胃液を逆流にしようとする。
「うっ……ひどい。何もここまでしなくても」
「私だってここまでしたくは無かったよ。でもコイツが意地でも離そうとしないんだよね。『お前さえ封じれば俺たちは勝てる』とかなんとか言ってさ……無駄な努力ご苦労さまでぇす」
笑いながら手を合わせた狸塚の態度は、全身全霊をかけた相手に対してあまりにも無礼すぎた。
野木胡桃の怒りを買うには充分すぎるほど。
「無駄な努力などではない……こいつが時間を稼いでくれたから私が今ここにいるのだ」
「胡桃ちゃんがここにいて、リーダーである悟史くんの護衛に回っていることこそ、私たちの狙いなんだよ」
「どういうことだ……」
「その説明は、『烏の脳みそ』こと、牛久鳴動がしてくれるよ」
牛久鳴動だと。野木胡桃はなぜここでその名があがってくるのかが分からなかった。
あの男は自分がこの手で倒したはずで、こんな短時間で動けるようになるわけが無いと確信していたからだ
「言いたい事は分かるよ。自分が倒したって言いたいんだろ? でも、胡桃ちゃんはあくまで鳴動を身動きを出来ない状態にしただけで、喋ることは出来るんだよ」
「喋れたところで、何が出来る」
「これが出来るんだよ……例えば」
狸塚は倒れた坊主頭の耳の裏側から、超小型の無線機を取り出した。
信介が戦争前に渡したものだ。
「この無線機を通して、君達に絶望を与えることがね」
小型無線機をいじくり、音量を最大まで上げた狸塚は、「よく聞いておきな」と悟史と野木胡桃に笑いかけた。




