⑫
生徒が授業を受ける講義棟から南西に位置した場所に文化系の部活、同好会の部室の為に用意された文化棟が設けられている。
その三階の全フロアが玉繭会――正式名称『玉田繭美を見守る会』のテリトリーである。
玉繭会は学園が誇るアラサー美少女教師繭美ちゃんを心の底から見守りたいという生徒が集まって作られたチームで、一言で言うならば繭美ちゃんのファンが集まった学園公認ファンクラブだ。
かなり痛い集団ではあるが、玉繭会は現在参加メンバー八〇〇人を越える北カントー学園最大のチームであり、参加メンバーの層が厚く、なおかつメンバー全員が繭美ちゃんを見守るという信念に基づいている為、実力、結束力は他の追随を許さない。
この学園において最も影響力のあるチームの一つである。
「いいか……私の指示通りに動くんだぞ」
スーを呼び出し三人揃ったところで文化棟に向かう途中、信介はポケットから小さなシールのようなものを取り出し悟史に渡した。
「超小型の無線機だ。今回は時間がなく事前に説明は出来ないから、この無線機から直接指示を出す。それに従って行動してほしい。耳の裏側に隠れるように貼り付けろ」
スーが新しいおもちゃを見るように無線機を覗き込むが、それを無視して悟史は無線機を耳の裏側につけた。
『……聞こえるか?』
信介が声を出すと、雑音もなくクリアな音声が無線機を通して鼓膜を揺らした。
「おぉ聞こえる聞こえる。こりゃスゲーわ」
そう言いながら悟史は無線機を指で触る。
「あたしもこれ欲しー欲しいぞよー!」
スーが騒ぎ出すのも予想していたのか信介は、「ダメ! お座り!」とスーを制した。
ビクッと身体を震わせたスーは犬耳を半分折り曲げ、大人しくお座りをした。
そんな便利な方法があったのかよ!
そうしてすぐに信介は黙々と文化棟へ歩いていった。
その姿を斜め後ろから追う悟史は、相変わらず信介の真意を読み取れないでいた。
チームを自分たちで作ると心から決めたのに、どうしていきなり他のチームに参加しなければならないのか?
ここで俺と信介が玉繭会に入れば、一年八組の過半数がチームに所属した事になり、野木胡桃に対する勧誘活動が再開されてしまう。
どちらにしてもカモネギCREW発足には障害にしかならないと思われる作戦だったからだ。
「……何を呆けている悟史。さっさといくぞ」
「あぁ、行こう」
大丈夫、俺は信介を信じるだけだ。
ドンと胸を叩き、悟史は信介の後を追った。
文化棟の階段を上り、三階に着くとなんとも言い表す事ができない異様な空間が広がっていた。
壁紙には隙間無く繭美ちゃんの写真が貼り付けられ、廊下を歩く生徒の全員が『繭美ちゃんLOVE』というロゴが入ったTシャツを着ている。
あまりの現実離れした光景、一瞬眩暈がした。
「
うわぁ……これは気持ち悪い」
耐え切れず悟史が声を洩らすと、廊下にいる繭美ちゃんTシャツを着る生徒たちが鋭い眼光で睨みつけてきた。
その中の一人の男子生徒がニコニコとしながらゆっくりと近づいてきた。
「見たところ一年生のようですね。玉繭会になにか御用ですか? もしかして入会かな?」
「え~と、まぁそんなところです」
「そうですか……ではこちらにどうぞ」
『入会受付』という札が貼られた教室に招き入れられると、中には長机とパイプイスだ三脚置いてあるだけだった。とはいっても繭美ちゃんの写真は至るところに貼られている。
「じゃあここに座って下さいね。今から入会書類を書いていただきますね」
悟史達が指示通りパイプイスに座るのを確認すると、男はポシェットから紙とボールペンを取り出し、机に並べた。
今時の高校生がポシェットて! と突っ込みたくなる衝動を抑え、渡された紙を確認する。
名前や連絡先や玉繭会に志望した動機と言った基本事項の他に『繭美ちゃんを見守りたい理由』『繭美ちゃんの好きな部分』等、繭美ちゃんに対する自身の愛情をアピールする欄が多数印刷されていた。
「では一〇分後にまた来ます」
男はそう言い残すと教室をすぐに出て行った。
「悟史は野木胡桃の署名活動のことを中心に書け。あとは適当に繭美ちゃんを褒めるように書けばいい」
スラスラとペンを走らせながら声をかけ、信介はあっさりと自分の分を書き終えた。
次に信介はスーの分の書類も書き始め、それに続いて悟史もペンを動かした。
一〇分後、ポシェットの男が教室に入ってくると、信介は立ち上がり三人分の入会用紙を渡した。
それを一枚一枚じっくり確認しているとポシェットの男は、最後の一枚を見た後、悟史に視線を送る。
「……君が鴨志田悟史くんか。噂にはあがっているよ」
噂? と悟史は眼を丸くした。
「我が玉繭会の定例会議で鴨志田悟史の話が出ない日はないよ。我々の調査――いや、見守りの結果、繭美ちゃんは君に随分と肩を入れているようだからね」
「……はぁ、そうなんですか」
そんなことないと思うけどな、と悟史は感じているが、実際にポシェットの言葉の節々にちょっとした怒気が感じられる。
おそらくは男のジェラシーなのだろう。大好きな女の子が、いきなり現れた得体の知れない男子に好意を持っている? のだから当然かもしれない。
「でも、そんな君が他のチームで無く玉繭会に入ってくれることになって良かったよ。ここ最近君の事で、いろいろと揉めているんでね。これでゆっくりと考える時間ができた」
俺の事で揉めている? 悟史にはさっぱり理解ができなかったが、信介は物知り顔でメガネを触っていた。
「三人……プラス二匹とも、繭美ちゃんに対する愛情はしっかりしているし、入会を認めよう。これから会長室まで案内するから行こうか」
黙って頷いた後、ポシェットに背中を追うように教室を出ると、廊下には新たな入会者を見る為――いや鴨志田悟史を見る為に玉繭会員が集まっていた。
全員が異様なオーラを放っていて、実に居心地が悪い。
『なんでここまで注目を浴びているか、分かるか? 声は出さず、イエスなら人さし指。ノーなら親指を伸ばすんだ』
無線機を通して信介の声が聞こえる。悟史は正直に親指を伸ばした。
『その答えは、これから会長の所に行けば自ずと分かる。会長の所に着いたら、悟史にとっては突拍子も無い台詞を指示するが、決して表情には出さずに口にしろ。いいな?』
突拍子も無いことは、とうの昔に慣れている。
俺の人生はいつもそんな感じだ。
悟史は黙って人差し指を立てた。
会長室に通されると、どこかで見かけた記憶のある人物がいた。
坊主頭に太い眉毛、昭和を感じさせる今時珍しい男子高校生だ。
『以前、野木胡桃を勧誘しようとして逆切れした男だ。覚えているか?』
思い出した。
あと数秒でも繭美ちゃんの登場が遅かったら野木さんにぶっ飛ばされていた人だ。
この人が玉繭会の会長なのか。
どうりで繭美ちゃんの言う事を素直に聞いていたわけだ。
「お前が鴨志田悟史か……。どこにでもいそうな高校生って感じだな」
坊主頭が値踏みをするように悟史の顔を覗きこんだ。
眉間をよせ眉を吊り上げる表情は、あまり歓迎されていないことが伺える。
「会長……ただでさえ厳つい顔なのにそんなに睨まないであげてくださいよ。ゆるふわな感じで売っている玉繭会の会長がそんなんじゃイメージダウンに繋がりますよ」
「別に睨んでねぇが……、まぁそう思われるのはよくないな。玉繭会のイメージダウンは、すなわち繭美ちゃん本人の印象を悪くするからな」
こんなキモオタの集まりみたいなチームがある時点で充分イメージダウンだとは思うのだが、それは決して口にはしない。
これから入会するチームの代表にいきなり喧嘩は売ることはしたくない。
「まぁ、ここに連れてくるって事は、入会審査は無事合格したってことだな。なら同志として快く迎え入れよう……と、言いたいところだが」
怒の感情を隠すことなくフルスロットルで表情にした坊主頭が、その厳つい顔を悟史に近づける。
「どのツラ下げてここにやってきたんだゴルァ? ちょっとくらい繭美ちゃんに気に入られたからって調子にのってんのか? どうなんだよこの童貞がぁ!」
坊主頭の眉間に深々と皺が入り、太い眉毛もここぞとばかりにつりあがっていた。
ほぼ初対面の人間にここまで敵意を向けられるのは初めてなので、どう対応していいか悟史には分からない。
「いや、別に調子にのってるとかそういうんじゃなくて、ただ単純に玉繭会に入会したいと思いまして」
「単純に入会したいだと? それはお前、今玉繭会がどういう状況なのか分かってて言ってんだよなぁ?」
「どういう状況なのかですか? いや、俺には何がなんだかさっぱり分かりま――」
『――分かります! と答えろ。そしてここからは俺の指示通りに喋れ』
信介は表情を変えないどころか口も動かさずに、無線機越しに語りかけた。
その腹話術テクニックはどこで習得したのかは知らないが、人差し指を立てて返事をする。
「――分かります。分かっててここに来てるんです」
「ほぉ……じゃあアレか? 入会ってのは建前で、俺を含め、玉繭会に喧嘩を売りに来たってことだな?」
「半分正解です。正確には玉繭会に入会した上で、皆さんに喧嘩売ってるんです」
何を言わせる気だ信介! と横目で信介を見る。
信介は無表情のまま、高度な腹話術で指示を続けている。
『いいから私の言うとおりにしろ……ねじ込むぞ』
何をねじ込むつもりぃ! と心の中でツッコミをいれ、視線を坊主頭に戻した。
髪の毛があれば、その怒りは天を突いていただろう。
指示だからとはいえ、ここまで堂々と上級生に喧嘩を売るなんて生まれて初めての経験である。
だが、信介には逆らえない。
チーム作りに協力するといった手前もあるし、何よりねじ込まれたくもない。
「入会した上で喧嘩? 意味不明なこと抜かしやがって!」
坊主頭はさらに激昂している。
今にも掴みかかろうとするのを必死で押さえているようだ。
「まぁ落ち着いてくださいよ。あなたみたいな脳まで筋細胞で出来てる方にも分かりやすく説明してあげますから」
あくまでこの台詞は本心ではない。
が、信介の操り人形に成り下がってる悟史の口から出ているのだから、相手方の敵意は完全に気弱な一般ピーポー悟史くんに向いている。
先ほどまで比較的友好的だったポシェットまでもが表情が曇らせていた。
「端的に言えば、この玉繭会とぁいう気持ち悪いチームをなんとかしたいんですよね。正直、繭美も困ってますし」
「繭美ちゃんを呼び捨てにするだなんて、あなたは何を考えてるんですか! 仮にも自分の担任じゃないですか」
さすがのポシェットもこれには我慢できなかったようだ。
坊主頭以上に顔を真っ赤にしている。
だけどね、これは本心じゃないですよ。言わされてるんですよ。
そこにいるすまし顔の変態鬼畜メガネが言ってるんですよ、と声高に叫びたかったが、もうそんな事をいっても、元の鞘に落収まる空気では無くなっている。
「別に呼び捨てにしたっていいじゃないですか。現に二人きりの時は下の名前で呼び合っているし、この方が正直しっくりくるんですよね。……だって繭美は俺の――ええぇぇぇぇ! ちょっとタイム! 信介ちょっとこっちこい!」
無線機から聞こえる信介の指示から自分の予想を遥かに超えるフレーズが出てきた為、思わず素に戻ってし信介の手を引いて部屋の隅に位置取る。
「……いきなり素に戻るな。『突拍子も無い台詞を指示するが、決して表情には出さずに口にしろ』と私は釘をさしたはずだが」
「いや、そうだけど……この台詞はちょっとやばいって! 嘘でもこんなこと口にしたら殺されるって!」
「既に言っちゃいけない事はもう既に口にしている、今更臆するな。これも私達の明るい未来のためだ。いいからさっさと奴らの前で言え」
確かにもう坊主頭もポシェットも格ゲーでいえばボルテージMAX。
コマンド入力さえ成功すれば最終奥義が出る状態だ。
ここまできたら最後まで言い切ったほうが逆にいいのかもしれない。
「この台詞だけはお前が言わなければ意味がない。フォローはする」
いいなと一言加えて、信介は人差し指を立てる。
「……分かったよ。言えばいいんだろ言えば」
意を決して坊主頭とポシェットの前に戻り、一度深呼吸をした。
「何をこそこそやってたんだよ? お前ら本当にぶっ飛ばすぞ」
「あぁ悪い悪い。ちょっと彼女からメールが入りましてね。俺の彼女から……」
ピクッとポシェットの身体が動き、それと同時に顔が青ざめ始める。
俺が何を言おうとするのか理解したらしい。
「その彼女って、まさか……」
「分かったみたいですね。そう、俺の彼女は玉田繭美。あなた方が愛してやまないあの繭美ちゃんですよ」
坊主頭もポシェットも言葉を失った。
まさかみんなのアイドル繭美ちゃんが誰かのものになるなんて想像していなかった。
いや想像したくなかったのだ。
好きな人に彼氏がいた(嘘だけど)。
その気持ちは同じ非モテ男子としてよく分かるが、こちとら同情している余裕はない。
「そういうわけで、繭美の彼氏としてこの玉繭会をぶっ潰しにきました。とは言ってもチーム無所属の一般学生にどうにか出来るレベルじゃないですからね、あえて入会して中から潰すことにしました」
「中から潰すだと? お前……まさかアレをするつもりかっ!」
「えぇ、そのまさかです」
無線機からの指示通り、大きく頷いてから深呼吸。そしてゆっくり間を取ってから情感たっぷりに口を動かした。
「群雄割拠システムに則り、玉繭会所属である鴨志田悟史は、現会長に対し『下剋上』を申請するっ!」




