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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十六章 花散らす氷雨
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第一話

  灰色掛かった天空からチラリチラリと小さな風花が舞う。

空きは足早に過ぎ去り、後を追い掛けるようにやってきた陰鬱な冬。

まだ初冬だと言うのに支柱を吹き抜ける風は身を切るように冷たく、肩を竦めて道を急ぐ朱王の黒髪を軽々と宙に巻き上げて行く。


 寒風の中を行く人々の間を縫って、朱王が向かったのは、とある神社に裏手にある貧乏長屋だ。

細い裏道に隠れるように建てられた古い長屋、乾いた土煙を巻き上げて吹き抜ける空っ風に身を竦めて井戸端へ急ぐ中年女に、青っ洟を垂らした小さな男児が指をくわえて朱王を見上げる。


 子供の横を通り過ぎた朱王は、『かんざしかざりもの 幸吉』と書かれた木の看板がぶら下がる部屋の前で足を止め、二、三度軽く戸口を叩いた。


 「幸吉さん、邪魔するよ」


 そんな一声と共に戸口を引き開けた朱王の目の前に広がるのは、土間に雑然と並べられた生活道具と部屋に並べられた仕事道具の山に囲まれた二人の男の姿だった。


 「おぅ、朱王さんいらっしゃい」


 朱王の姿に気付いた若い男……壁際に押し付けた作業机の前に座っていた丸顔の男が顔をこちらに向けて白い歯を覗かせる。

彼はこの部屋の主であり、朱王が贔屓にしているかざり物職人の幸吉だ。


 人形の飾りに使う簪、その他、金属でできた精密な飾り物はすべてこの幸吉の手によって造られており、朱王にとって彼は誰よりも信頼できる錺物職人であり、江戸で仕事をするようになってから飾り物は全て彼に依頼しているのだ。


 「あぁ……すまない、お客様だったか」


 日田が数人も入れば手狭になってしまうこの狭い部屋、他の客と鉢合わせするなどあまりなかった朱王は、わずかに戸惑いながら口元を綻ばせる。

そんな彼に、幸吉は小さく眉を寄せて首を縦に振った。


 「すまねぇなぁ、ちぃっとそこに座って待っててくれ。 あ、じゃぁ竹治さん、簪は出来上がり次第、部屋に持っていきますから」


 「わかったよ幸吉さん、おセツも楽しみにしているもんでね。我儘だとは思うが、出来るだけ早くお願いするよ。……じゃぁ、私はこれで」


 そう早口に言い終えた客は、スッとその場から腰を上げて土間に降りると、朱王に軽く一礼してそそくさと部屋から出て行く。


 年の頃は四十を過ぎているだろう、格子柄の着物を小粋に纏った細身の男は薄暗がりで見てもなかなかの男前、細面の顔に整った眉毛とすっきり通った鼻筋が印象的な、所謂『色男』だ。


 自身の横を通り過ぎる彼に会釈し、その後ろ姿を見送る朱王に、幸吉は『待たせてすまねぇ』と謝りつつ継ぎ接ぎだらけの座布団を勧めた。


 「いや、気にしないでくれ。急に来たのは俺なんだからな。それより、繁盛しているじゃないか」


 室内に上がり座布団を受けた朱王は、忙しそうに作業机の上を片付ける幸吉の横顔に軽く微笑みかける。

すると彼は苦笑い返しつつその場に胡坐をかき、頭の後ろで無造作に束ねた癖毛をわしわしと掻き混ぜた。


 「なに、貧乏暇なしだ。まぁ、仕事があるだけいいってぇ事かな? 」


 「良い事じゃないか。今の人も仕事を頼みにきたんだろう?」


 「そうなんだ、実はここの長屋に住んでる建具屋なんだが、女房に贈る簪を頼みに来たんだよ」


 『仲が良くて羨ましいやね』そう小さく呟きながら、幸吉は作業机の引き出しから朱王が頼んでいた人形の飾りを納めた木箱を引っ張り出した。


 「ところでさ、海華ちゃんは元気でやってるかい?」


 「あぁ、元気でやってるよ。あいつがどうかしたかい?」


 木箱の中から小さな簪を取り出し、真剣な眼差しで細部を確かめていた朱王が視線だけを幸吉に向ける。

出涸らしのように薄い茶を二つの湯飲みに注いでいた幸吉は、金属の粉で黒く煤けた指先で己の鼻の下を擦りつつ、はにかむように笑った。


 「いやね、近頃とんと顔をみねぇな、と思ってたからさ。少し前に旦那の方は街で見掛けたぜ。こう言っちゃぁ朱王さんに怒られると思うが、相変わらず無愛想な顔で歩いてたよ」


 「無愛想か……まぁ確かにな。だが、あれはあれで優しいところもあるんだぜ。海華が簪の一つも付けられたら、きっと幸吉さんの所に頼みに来ていただろうよ」


 もとより他者との深い関わりを好まない志狼である、彼をよく知らぬものから見れば無愛想で取っ付きにくいと思われるのも致し方がないだろう。

だが、そんな彼でも海華にとっては優しい旦那なのだ。


 「優しいところもあるかぁ……なら、海華ちゃんも幸せにやってんだなぁ。―― 幸せといやぁ、さっきの竹治さんだ。今度こそ幸せになってもらいてぇもんだぜ」


 湯飲みの一つを朱王へ差し出しながら、幸吉がしみじみ呟く。

その台詞になにか引っ掛かるものを感じて、朱王は軽く首を傾げ簪を元通り木箱へと戻した。


 「幸せにって、あの人、何かあったのか?」


 「あったもあった、おおありだぜ朱王さん。あの人、女房に贈る簪頼みに来たって言っただろ?

その女房ってぇのが、ついひと月前に所帯をもったばっかりだ。しかも今回で三人目なんだぜ」


 『三人目の女房』彼の発した言葉の意味が最初よくわからずに、朱王はきょとんとした面持ちで目を瞬かせる。

そんな彼を前に、幸吉は軽く口角を上げた。


 「三人目……って、なら、前に二人の女房がいたって事か? 」


 「そうさ。一番初めの女房が三年前に、次の女房が二年前に死んでんだ。どうも病気がちな人だったらしくてさ、もう竹治さん、泣くわ喚くわ塞ぎ込むわで見ていられなかったぜ」


 「そうか……それは気の毒にな」


 幸吉の話に微かに眉を寄せ、わずかに低い声色で朱王が答える。

好き嫌いで離縁した訳ではないのだ、短期間のうちに二度も病死とは、身が引き千切られる思いだったろう。

そのまま無言となってしまう二人。

重たい空気が室内を支配し、幸吉が出してくれた薄い茶……茶の色をした湯が朱王の下に染みた。


 「でもよ、今度の嫁さんはまぁ、大丈夫だろうさ。何しろ鬼も十八番茶も何とやらだ。最初見た時や親戚の娘が来てんのかと思ったよ」


 「十八……か、そりゃ若い後妻だな。それなら病気で云々(うんぬん)は無いだろう。上手くいけば子供だって……」


 「そうなんだよなぁ。そうなってくれたら俺も嬉しいよ。……海華ちゃんとこも、はやく『やや』が出来るといい……あ、いや、すまねぇ。今のは忘れてくれ」


 海華にも子供を、その話題となった途端、朱王の眉間に深い皺が刻まれたのを目の当たりにした幸吉は、素早く肩を竦めて口を噤む。

そんな彼を横目で睨みつつ、朱王は手にしていた湯飲みを些か乱暴に作業机の上へ置いた。


 「へぇ、そんなに若い女房をもらったのか。そりゃ羨ましがる奴も多いだろうぜ」


 片腕だけで器用に洗濯物を畳みながら志狼が言う。

作業机の前で人形の手を彫っている最中だった朱王は、顔はそのままに視線だけを志狼へ移した。


 「なんだ、志狼さんも若い方が好みだったか? あんな年増を嫁にさせて悪かったかな?」


 にや、と悪戯っ子のような笑みを見せる朱王へ慌てて首を左右に振った志狼は反射的に戸口の方、先程海華が出て行った戸口の方を振り返る。

ぎくしゃくしたその動きに、彫刻刀を握ったままの朱王は思わず吹き出してしまった。


 「違う、違うって朱王さん。変な事言わねぇでくれ。俺は海華に不満なんかこれっぽっちもねぇよ。それに、年なんか一緒になっちまえば関係ぇなくなるもんだぜ」


 『大事なのは相性だ』そう最後に付け加え、小さく咳払いをする志狼は、膝の上に落ちた洗濯物を畳み直す。


 幸吉の住まいから戻って数日が過ぎたこの日、志狼と海華は二人揃って朱王の長屋を訪れていた。

年の瀬も押し迫った今日この頃、二人はいつもより早く朱王の部屋の大掃除を始めようと考え、今日はそれの準備をしに来ていたのだ。


 今年最後の仕事になるだろう人形を造る朱王の横で畳の掃き掃除に拭き掃除、そして選択に料理と甲斐甲斐しく働く二人、今年もすっかり世話になってしまった、そして来年も今と同じく世話になるだろう。

そんな事を考えていた朱王の手がピタリと止まる。

と、彼の横顔を眺めていた志狼は、きちんと畳んだ洗濯物を部屋の隅に片付けると、真赤に燃える炭がくべられた丸火鉢の前に胡坐をかき、右手を翳した。


 「でもよ、立て続けに嫁が二人死ぬなんて、その男も可哀想と言うか……女運がねぇんだな」


 「まぁ、そうとも言えるな。俺も聞いた時はビックリしたが、この広い世の中だ、そんな事もあるんだろうさ」


 「そうだなぁ。俺、もしも海華がポックリ死んじまったとしたら……次の嫁を貰おうなんて気にゃぁなれねぇと思うぜ。出来るなら、海華より先に死にてぇよなぁ。なんて、縁起でもねぇな」


 顔をくしゃくしゃにして苦笑いを見せる志狼へ薄い笑みを返し、朱王は何も答えぬまま再び作業机へ顔を戻す。

惚気だかなんだかわからぬが、海華が大切にされている事だけは確かなようだ。


そうこうしているうちに、がたつく戸口が勢いよく開き、空の小桶を持った海華が寒風を纏って部屋に飛び込んでくる。

なめらかな彼女の頬は、林檎よろしく真っ赤に染まっていた。


 「あぁ、寒い寒い!! 骨まで凍えちゃいそう!」


 両手を擦り、小桶を土間に置いた海華は背中を丸めて部屋へ飛び込む。

彼女の姿を見た志狼は、素早く今まで座っていた場所から身体を退かせた。


 「ほら、早くこっち来て火に当たれ。風邪ひくぞ」


 「ありがとう、今年はいつもより風が冷たいわ。兄様と旦那様の綿入れ、早めに準備しておかなきゃね」


 冬物の着物の合わせ目を掻き合わせて肩を竦める海華の言葉に小さく頷いた志狼は茶の準備だろうか、鉄瓶の中の湯の量を確かめる。

乾いた空気に立ち昇る白い湯気、その向こうに見える仲睦まじい二人の姿。

背中を向けてはいるが、幸せがにじみ出る様子に、朱王はどこか気恥ずかしい気持ちに襲われた。


 甘ったるい結婚生活にはとんと縁がない朱王、そんな彼が、この二人よりもっと仲睦まじい夫婦の姿を目撃する事になるのは、翌日の事だった。


 志狼と海華の仲睦まじい一場面を目にした三日後、朱王は再び幸吉の元を訪れて依頼していた人形用の簪を受け取りに向かった。


 数日前に頼んだものだが、いつも幸吉は朱王の依頼を一番に考え出来るだけ早く仕上げてくれる。

決して暇ではない筈の彼だが、朱王の仕事が滞ってはいけないとの考えから早め早めに動いてくれる。


 そんな彼の気持ちに感謝しつつ、神社裏にある長屋の門を潜った朱王、空っ風に吹かれてカラカラに乾いた石畳に埃を舞い上げる地面、顔にまで舞う土埃に軽く咳き込みながら狭く暗い長屋へ足を踏み入れた彼の左隣にある部屋の戸口が小さな音を立てて開き、中からひょろりと細身の男が顔を覗かせる。


 日焼けもほとんどしていない白い顔、やや面長の顔に刻まれるいくつかの皺が年齢を感じさせるが、それでも丹精と呼ばれる部類に入るだろう一人の男、彼の顔に朱王は見覚えがあった。


 そう、先日幸吉の部屋の中で会った建具屋だ。

名前は確か竹治とか言ったな、そう心の中で思いつつ軽い会釈で彼の前を通り過ぎると、竹治もまた小さな笑みを添えて頭を下げ返してくれる。


 目指す幸吉の部屋はこのすぐ先、竹治の前を通り過ぎた朱王が何気なく背後を振り返った時、今しがた竹治が出てきた部屋の中から、もう一人小柄な影が現れた。


 「あら、今日は風が強いですね」


 ひゅうひゅう悲鳴じみた音を立てて吹き抜ける風の音に混じって朱王の耳に届いた涼やかな声。

その声の持ち主は、遠目から見れば子供と見間違みまごうばかりの小さな女だった。


ふっくらと肉付きの良い丸顔に円らな瞳、ぽってりと肉感的な唇は乾燥のせいか些か艶を失っている。

烏の濡れ羽色そのものの漆黒の黒髪に纏わる土埃、白く滑らかな肌を叩く寒風に肩を竦める女の短い首に己の付けていた襟巻を巻いて、竹治は愛おしげな眼差しを向けてにっこりと彼女へ向かい微笑んだ。


 「これを付けておいで。風邪をひいたら大変だからね」


 「あら、ありがとうございます。あなたはお寒くないですか?」


 猫なで声を出し、竹治に向かって小首を傾げる女に一度頷いて、竹治はその厚い肩を抱くようにして長屋を出て行く。

大きな尻を振りつつ彼に寄り添う女が、きっと竹治の三番目の女房なのだろう。

なるほど、傍から見れば親子と間違われそうな組み合わせだ。


 新婚夫婦の甘ったるく幸せいっぱいの空気に当てられ苦笑いを漏らしながら、朱王は幸吉の部屋の戸口を横に引く。


 「幸吉さん、邪魔するよ」


 「へい、いらっしゃい。あぁ、朱王さんか」


 いつもと同じく作業机の前に胡坐をかき、金鑿を振るっていた幸吉が顔だけをこちらに向けて朱王を出迎える。

金属同士がぶつかる、カン、カンと鋭く甲高い音色が一瞬止んだ。


 「頼んでた物、できてるかい?」


 「あぁ、後少しで仕上がるよ。悪ぃがもうちょっと待っててくんねぇか? あ、よかったらそこの饅頭、食ってくれ」


 再び金鑿を振るいつつ、竈横に置かれた小さな木の箱に目を向け幸吉、その視線を追って箱に目をやった朱王は言われるがままそれを手に取り蓋を開けた。


 「どうしたんだ、幸吉さんが甘い物なんて珍しい」


 「俺が買ったんじゃねぇんだ、竹治さんからの貰い物なんだよ」


火の灯った蝋燭を己の方へ引き寄せ幸吉が言う。

箱の中には、真っ白で艶やかな皮で包まれた饅頭が六つ、詰められている。

蝋燭の光を反射する饅頭は、まるで大きな卵のようであり、海華が見れば歓声を上げて喜びそうな代物だが、甘い物が苦手な朱王や幸吉にとっては手余ししてしまう代物だった。


 「竹治さんからか、そう言えばさっき奥方と出掛けるのを見たぜ。こっちが恥ずかしくなるくらい仲が良い夫婦だな」


 「そうだろう?前の奥方の時も同じだったよ、 竹治さんは本当に優しいんだぜ。それも、これからお世話になります、って、二人揃ってわざわざ持ってきてくれたものなんだ。あ、それさ、よかったら海華ちゃんに持って行ってくれよ。甘いの好きだったろう?」


 「いいのか? ありがとう、あいつ、喜ぶぞ」


 幸吉の言葉に素直に頷いて、朱王は上がり框に腰を下ろしつつ再び箱の蓋を閉める。

この日、帰路につく朱王の手には、簪が入った箱と饅頭が詰められた箱の二つを包んだ風呂敷が下げられていた。

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