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傀儡奇伝(くぐつきでん) ~行路の章~  作者: 黒崎 海
第十五章 神無月奇譚
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第六話

 「海華をあんなところに置いてくるなんて信じられねぇ」


自分の隣からボソリと聞こえた低い声、微かに怒りを含ませたその声に朱王は困ったように眉根を寄せて小さく溜息をついた。


 「だから、仕方なかったと何度も言っているだろう。あいつは一度言い出したら聞かないんだ。お前、あいつと一緒になってもまだわからないのか?」


 草むらに身を隠す朱王の視線はチラチラと己の横に向けられる。

そこには、酷く不機嫌そうに顔を歪めた志狼が地面に片膝をつき、身を屈めていた。


 そう、彼は八丁堀に駆け込んできた朱王と共にここへ駆け付けたのだ。

彼にしてみれば、今すぐにでもあの作業小屋に飛び込み海華を助け出したかったが、なにぶんあばら屋の中にいる繫造の様子が全く分からない。

強引に突入し、万が一子供たちや海華に危害を加えらえたら大事だ。


 都築や高橋、そして他の同心らが揃いあばら屋と作業小屋の周りをかためるのを待ってから動く事となったである。


 「なぁ、まだなのか? 都築様は何をやってんだ?」


 苛立ちも露わに志狼が小さく舌打ちをする。

あばら家の裏手にある藪に身を潜めている筈の都築と高橋、彼らの準備が整った時こちらに合図が送られてくる手筈となっているのだが、その気配は全くない。


 黒い影となってあばら家を覆い尽くそうとする藪は、ただ夜の闇を駆け抜ける風に合わせてサワサワ揺れるだけだ。

天空を覆っていた黒い雲を風が彼方に運び去り、白い冷光を放つ半月が朱王と志狼を照らしだす。


 反射的に身を屈めてあばら屋を睨む朱王、すると、半分朽ちて株に穴が開いた戸口がガタガタと鈍い音を立てて開かれ、丸っこい身体つきの人物が姿を現す。

ボサボサの髪にあちこち解れたみすぼらしい着物、それは確かに繫造だった。


 片手に大きな袋のようなものをぶら下げた彼の背後からは、細身……いや、痩せぎすと言った方がいいだろう一人の女が俯きがちについてくる。

始めて見た女の存在に、朱王と志狼は思わず互いお顔を見合わせた。


 「なぁ、あの女は誰でぇ?」


 「知らん、あんな女は初めて見た。それよりマズイぞ、このまま小屋に行く気だ」


 二人の姿を目で追い掛ける朱王の顔に焦りの色が浮かぶ。

慌てて藪の方へ緯線を戻すと、右へ左へ小さく揺れる黒い藪の向こうに、ポツリと橙色の光が揺れているのが見えた。


 「都築様だ、おい、合図だぞ」


 「やっと来たか! 朱王さん、俺はあの小屋に行く」


 「わかった、なら俺はあの家だ」


 『海華の事、頼んだぞ』そう告げたと同時、朱王は左、志狼は右へと草むらを掻き分け駆け出していく。

硬い草の葉が頬を掠る微かな痛みとくすぐったさを堪えてあばら屋の中に滑り込んだ朱王、蜘蛛の巣の張った竈の傍には壊れた笊やら蓆やらが散乱し食い物の残りもあちこちに放置され、鼻をつく異臭が漂っている。


 上がり框のすぐ下に落ちる残飯にたかる羽虫に顔を顰めつつ土足のまま室内に上がり込んだ朱王の耳が、微かな子供の笑い声を捉えた。


 遠くから揺蕩うように聞こえたその笑い声、細い蝋燭が何本か灯るだけの薄暗い室内を見渡せば、左手側に黄ばんだ障子紙が骨に貼り付いただけの元、障子戸が見える。

埃舞う中その戸に近寄り、恐る恐るそれを引き開けると、ささくれ朽ち果てた畳へ無造作に置かれた箪笥や長持ち、その他ガラクタ同然の家財道具が山と積まれていた。


 六畳、いや八畳はあるだろう室内一杯に積まれたガラクタの間を縫うように進む朱王の墨色をした着流しはあっという間に白い埃で汚れ、長い髪には蜘蛛の巣が絡み付く。

余りの汚さと乱雑さに眉間に深い皺を刻ませたまま先を進む朱王の前に現れたのは、ボロボロの襖の前を通せんぼするように置かれた一竿の茶箪笥だった。


 これ見よがしに置かれた古いそれは、明らかに襖の向こうに何かがある事を示している。

なるべく音を立てないように、茶箪笥の両端に手を掛けゆっくりゆっくり襖の前からそれを移動させる。

それとほぼ同時だった。

今にも破れてしまいそうな破れ襖の向こうから『おじちゃん、お腹が空いた』とやや間延びした少女の声が聞こえてきたのだ。


 「おじちゃん、帰ってきたの?」


 そう続いた声と同時に、ドンドンと汚い襖が向こう側から叩かれる。

その振動で舞い上がる埃に気付く暇もなく、朱王はその襖へ両手を掛けた。


 ガタン、と鈍い音を立てて襖が外れ、ぼんやりした淡い光の帯が朱王へと真っ直ぐ伸びる。

その帯の真ん中に立っていたのは、瓜実顔をした一人の少女だった。


 「おじちゃんじゃない……だぁれ?」


 年の頃四つ程だろう、煤けた藍色の着物を纏う少女は、顔をいっぱいに上げて朱王を見上げ、円らな瞳を瞬かせてちょこんと小首を傾げる。


 あまりに素朴な問い掛けに一瞬面食らい、言葉を詰まらせ少女を見詰める朱王。

と、少女の後ろから畳を掛ける軽い足音がいくつか聞こえ、薄い光が満ちる空間に少女を含め三つの影法師が生まれ土壁に踊った。


 十畳ほどの広さがある部屋は、このあばら屋の中で一番きれいに整頓、掃除され、白っ茶けた畳には人形やら折り紙やら双六やらが広げられ、部屋の真ん中に置かれた大皿の上には齧りかけの饅頭が一つ残されている。


 たくさんの玩具に菓子と一見すればただの子供部屋だが、一つだけ違うところは、外に面しているだろう障子戸の前に、真新しい白木で造られた格子が打ち付けられている事だろう。


 地震の一つでも来れば、あっという間にボロ屑と化してしまいそうな障子戸に打ち込まれた白木の格子、そこだけ真新しいそれは、このあばら屋の中で最も奇妙な構造物であり、繫造の少女らに対する不気味な執着心を具現化したとも言える物だ。


 不思議そうな面持ち、そして興味津々の眼差しで自分を見詰めてくる少女達。

舐めるようなその視線に変に戸惑いながら立ち尽くしていた朱王だったが、次の瞬間彼の視線はある少女の顔にくぎ付けとなった。


 「おはな……! おはな、ちゃんか!?」


 「え? あ、ちゃん!! ちゃんだぁー!!」


 海華とよく似たおかっぱ頭の少女の陰に隠れていた一際小柄な影から、黄色い歓声が上がる。


 跳ねるように飛び出してくる小さな身体を、身を屈めた朱王が胸で受け止め力一杯抱き締めると、それに続くように他の少女たちも歓声を上げて我先にと朱王へ抱き付いてきた。


 微かに汗臭い、しかし猫のように柔らかく少しでも力を入れれば折れてしまいそうに細い身体を三つ抱き締める朱王の顔には、無意識に小さな笑みが浮かんでいた。


 「おはなちゃん……皆も、よかった。怪我はないね?」


 「うん、平気よ。それより繫造おじちゃんは? どこに行ったの?」


 おはなより年上だろうと思われる利発そうな少女が漆黒の瞳をクルクル動かして朱王の手を掴む。


 どう答えてよいやら戸惑う朱王、すると彼の耳に甲高い男の叫び声と志狼、そして都築のものと思われる怒号と罵声が微かに届く。


 どうやら、彼らは無事に繫造をお縄にしたようだ。


 海華や閉じ込められていた娘達もきっと無事だろう、表から届く叫びにそんな確信を持った朱王は、どこか困ったように笑いながら埃の積もる床に膝をついて少女らを一瞥した。


 「繫造おじちゃんは、そうだな……大事な用事が出来たんだ。だからもう遊べないんだよ。お嬢ちゃん達は、もうお家に帰ろうな。お父ちゃんやお母ちゃんが待ってるぞ」


 小さな三つの頭を順に撫で、今しがた取り外した襖から三人を誘い表へと急ぐ。


 自分らの置かれている状況が理解できないのだろう少女らは、キャッキャとはしゃぎながら転がるように表へ飛び出していく。


 二人の少女に一歩遅れて三和土へ飛び降りたおはな、彼女の姿が外へ消えたと同時に『おはなちゃん!!』と歓喜に満ち満ちた海華の叫びが室内に残る朱王の鼓膜を震わせた。


 表へ出た朱王を出迎えたのは、闇夜に咲くたくさんの提灯の灯りと慌しく動き回る同心達の姿だった。


 初めて見るであろう屈強な男達に驚いたのか、先程まで笑顔を弾けさせ騒がしかった子供達は一瞬で神妙な面持ちと変わり、まるで男らの視線から逃れるように朱王の背後へと逆戻りしてしまう。


 そんな中、志狼と高橋の間に挟まれる形で地面に屈み込み、ひしとおはなを抱き締める海華の姿があった。


 「どうやら無事だったみたいだな」


子供らを引き連れ海華へ歩み寄る朱王。

顔を上げて彼へ視線を向けた海華は、にっこり微笑み首を縦に振った。


 「なんとかね、ちょうどあいつが上の板を開けようとしたのよ、見付かったらどうしようかってヒヤヒヤしたけど、直前で志狼さんが来てくれて。みんなが無事でよかったわ」


 心底ほっとしたように口にして、おはなを抱き上げた海華は少し離れた場所で蓆の上に座り込んでいる四人の女達を見遣る。

染みだらけ垢まみれの着物を纏い、憔悴した様子で座り込む彼女らの顔は汗と埃で黒く汚れ、紙はボサボサに乱れていた。


 あの中のうち三人は海華と一緒に床下に閉じ込められていた娘達だろう、そして残りの一人は繫造が『お気に入り』として手元に置いていた娘だ。


 だが、この場に下手人である繫造の姿はない。

朱王は怪訝そうな面持ちで周囲を二、三度見渡すと、そのまま高橋へと向き直った。


 「高橋様、繫造はどこに?」


 「都築が引き立てて行った。あいつめ、俺たちが作業小屋に踏み込んだ途端に大騒ぎだ。挙句の果てに、この女達は俺の家族だ花嫁だと訳の分からぬ事を喚き出し始めたのでな、あれでは碌に話も聞けぬ」


 「子供を山ほどつくるだの、桃源郷が何だのと真剣な顔でのたまうんだぜ。気色悪りぃったりゃありゃしねぇ。尻っぺた蹴り飛ばして叩き出してやったぜ」


 ケッ!と忌々しく吐き捨てる志狼に苦笑いを浮かべて、海華はおはなを抱き上げてその場から立ち上がる。

漆黒の闇に泳ぐ提灯の光、穏やかで温かくも見えるその光はおどろおどろしいあばら屋を闇に浮かばせ、どこか幻想的な雰囲気を朱王の背後に造り上げた。


 「高橋様、おはなちゃんやこの子達を、早く親御さんの所に」


 「あぁ、そうだな。―― ん?どうやら朱王殿は子供好きする性質(たち)のようだな?」


 『意外だ』そう言って口角をつり上げる高橋の視線の先には、朱王の足にギュッとしがみ付き、顔を半分だけ出して怪訝な眼差しを高橋へ向ける少女達の姿がある。


 「子供らを送るのは朱王殿にお任せするとしようか?」


 「いえ、それは……。高橋様、私は女と子供はあまり得意では……」


 「なんでぇ朱王さん、女子供相手の仕事してんじゃねぇか」


 高橋と朱王の会話を遮り、志狼はさもおかしそうにケラケラ笑う。

彼につられて笑い出す高橋としどろもどろとなる朱王、そんな男三人を交互に見詰めた海華は『早くお家に帰ろうね』と腕に抱いたおはなに囁き、その柔らかな頬に己が頬をそっと押し当てた。


 忽然と消えた愛娘が無事に帰ってきた。

この事を喜ばない親がどこの世界にいるだろうか。


 繫造に攫われた娘達は、夜のうちに都築らの手によりそれぞれの親元に帰された。

娘たちの顔を見るや、どの親も喜びに大泣きし、歓喜の声を張り上げて彼女らを骨が折れんばかりに強く強く抱き締める。

久方ぶりに見る娘の顔、また親の顔にお互い張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのだろう、もう都築らの説明も余所に天地が引っ繰り返ったような大騒ぎだったと言う。


 それはおはなの両親、三太とお仙、そして彼女が姿を消す直前まで一緒にいた叔父である惣太郎も同じだった。


 朱王に抱かれニコニコと朗らかな笑みを浮かべるおはなの姿を見た瞬間、惣太郎は三太の家の三和土で腰を抜かし、三太とお仙は悲鳴じみた叫びを上げて朱王からおはなを抱き受けると、あばら屋の前で海華が行ったと同じように涙に濡れた己の頬を彼女の頬に擦り付ける。


 後は涙涙の物語、惣太郎は三和土に額を擦り付けんばかりの勢いで朱王や都築達に何度も何度も礼を述べ、三太は涙に震える声で『ありがとうごぜぇます』と繰り返し呟いた。


 さて、『神無月の人攫い』こと小間物屋の繫造がお縄になって数日が過ぎた頃、中西長屋の朱王の部屋に、おはなの手を引いたお仙の姿があった。

今回の件について改めて礼を述べるために朱王の部屋を訪れたのだが、間の良い事にこの日は志狼と海華も揃って朱王の元を訪れていたのだ。


 「あれから、おはなちゃんはどうですか?」


 海華が淹れてくれた茶をお仙に勧めつつ朱王が尋ねる。

以前より少し痩せてしまったようにも思えるお仙、しかし彼女は鮮やかな紅を塗った唇を微かに綻ばせて首を縦に振った。


 「ええ、お陰様で大きな変りもなく。どうやら怖い思いだけはしなかったようですわ。寂しいときは、おじちゃんが遊んでくれた、って申しましてね。……なんだか複雑ですが、それでも、あの子が無事に帰ってきて本当によかったと思っています。朱王さんや海華ちゃんには、感謝してもしきれませんわ」


 『本当にありがとうございました』そう言いながら深く深く頭を下げるお仙に、朱王は微笑みを向けつつ首を振る。


 「いいえ、私たちは何も。強いて言うならば、志狼さんと海華を褒めてあげて下さい。手拭いを見付けたのは海華ですし、繫造に気付いたのは志狼さんですから」


 その二人は今、表でおはなの遊び相手をしている。

普段はその容貌や雰囲気のせいもあるのだろうか、あまり子供には懐かれない志狼だったが、そんな彼にもおはなは『ちゃん』と言いながら屈託のない笑顔を向けている。


 キャァキャァと楽しそうに笑うおはなの笑い声、半分ほど開いた戸口の向こうから聞こえるその声に誘われるように視線を向けた朱王とお仙は、ほぼ同時に顔を見合わせニコリと笑った。 



 「ちゃん! 抱っこして! ねぇ、抱っこしてー」


 「わかったわかった、ほら、走っちゃ危ねぇよ」


 苦笑交じりの志狼の声が聞こえた途端、お仙は慌ててその場から立ち上がり土間へと降りる。


 「これおはな! あまり我儘を言っちゃ駄目ですよ!」


 そう言いながら表へと出て行く彼女を追い掛けるように朱王も表へと顔を出す。

そこには、志狼に抱き上げられてキャッキャと歓声を上げるおはながいる。

志狼の横には、おはなお気に入りの子守人形を胸に抱いた海華が柔らかな笑みを志狼と彼に抱かれるおはなへ向けていた。


 「志狼さん、すみません」


 「いや、いいんですよこのくらい。おはなちゃんは良い子で待っていられたもんな、だからご褒美だ」


 すまなそうに頭を下げるお仙に小さく首を振りつつ、志狼はおはなを己の右肩に担ぎ上げる。

より高くなった視線、いつもとは違う広く開けた世界に目を輝かせて、おはなは志狼の頭をしっかり掴みパタパタと足を前後させる。


 「凄い! 高いよ! ねぇ、おじちゃんも見て見てー!!」


 大きな瞳をクルクル動かし、朱王を見ながら甲高い声で放たれた台詞に、微笑みを浮かべていた朱王の表情がそのまま固まる。

お仙は勿論、志狼や海華まで表情を強張らせその場に凍り付いてしまう。

その場の時が、一瞬で凝り固まった。


 「おじちゃん! ねぇ、おじちゃんってばぁ」


 「おじ……ちゃん」


 「ごめんなさい朱王さん! こ、こら! おはなっ!おじちゃんじゃないでしょう、おにいちゃん、よ!」


 娘の『暴言』を慌てて訂正するお仙だったが、おはなはキョトンとした面持ちでプルプルと首を振る。


 「違うよ、おにいちゃんはね、しろーお兄ちゃん、おじちゃんは、すおーおじちゃんだけだよ。ねーお兄ちゃん?」


 彼女に全く悪気はない、それは確かだ。

無邪気な素直さも実に子供らしい、しかしその子供らしさは大人に取って時に鋭利な刃と化す。


『おじちゃん』と『おにいちゃん』の境目がどこなのか、朱王にはさっぱりわからなかった。


 「本当、子供って素直ねぇ……」


 そうポツリとこぼして苦笑いした海華は、人形を抱えたまま朱王の傍に近寄り慰めるようにポンと彼の肩を軽く叩く。

それで我に返ったのだろう朱王は、気まずそうに何度か視線を宙に彷徨わせ恥ずかしそうに頭を掻いた。


 「まぁ、おはなちゃんから見れば、俺はもう『おじちゃん』だな……」


 「あら、あたしからしたら兄様はずっと『おにいちゃん』よ?」


 笑いを噛み殺しながら朱王の腕に己が腕を絡める海華を見て、お仙はやっと強張った表情を緩め、志狼は口角をつり上げた。


 暖かな笑顔の花が咲き始めるさまを見て、朱王はふとある事を考える。

それは『神無月の人攫い』こと繫造の事だ。


 『たくさんの子供をつくりたい』『大勢の花嫁と自分だけの桃源郷を』そう口にしていた彼の頭の中は朱王らが安易に想像できはしない。

いや、完全に理解しがたい考えだ。


 だが、一つだけわかる事、それは彼が心から信頼し、甘え、気持ちを許せる相手がいなかっただろ、という事だ。

共に笑い、泣き、時には真剣に喧嘩をして、それでも互いに寄り添い生きて行く。


両親が死んだ後、彼はそのような関係を築ける女……いや、男でもいい、そんな他者と巡り合えなかったのだ。


 ひたすら自分に服従し、自分の分身たる子供を産む『都合の良い女』がこの広い世間で生き抜いていく糧として、彼には必要だったのだろう。


 それを考えると、ほんの少しだけ繫造が哀れに思えてしまう。

そして、今ここに大切な『家族』や『友』に囲まれ毎日を過ごせる自分は、本当に幸せなのだと改めて気付かされたのだ。


 急に無言となってしまった朱王を不思議そうに見詰めていたおはなが、『おじちゃん、抱っこして』と紅葉の手のひらを差し出してくる。

躊躇することなく彼女に向かい伸ばした両腕、志狼の肩から朱王へと飛び込んだおはなの小さな手が、ギュッと朱王の襟元を掴んだ。


 胸元に感じる春の日差しに似た温もり、これを心地よいと感じられる事こそが『幸せ』なのだろう。

心のなかでそう思いながら、朱王は綿雲が千切れ飛ぶ青空を仰ぎ見た。










終

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