恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 第3部 76
「…命ですか?…」
つい、口から出た…
普通なら、笑うところだ…
が、
笑えなかった…
まったく、笑えなかった…
なぜなら、この五井の若き当主の顔は、真剣そのものだったからだ…
おおげさに、いえば、切腹を語るような…
そんな悲壮な覚悟があるようにも、見えた…
「…もちろん、大げさな言葉だということは、わかってます…彼女は、言葉を変えれば、大切な預かりものです…」
「…預かりもの?…」
「…そうです…」
短く言った…
が、
その短い言葉に、万感の思いが、こもっているというか…
かえって、印象深かった…
「…だからこそ、彼女に、無理はさせられない…彼女には、長生きして、欲しい…」
「…」
「…それが、ボクの願いです…」
五井の若き当主が、言う…
至極、真面目な顔で、言う…
だから、これは、笑えない…
本当なら、そんな大げさなことを、言ってと、笑うところだが、笑えない…
あるいは、突っ込めない…
そして、私が、戸惑っていると、
「…以前、お会いしましたね…」
と、五井の若き、当主が、私に声をかけた…
「…えっ? 会った?…」
思わず、口に出した…
素っ頓狂な声を出した…
五井の若き、当主の前で、とんでもないことを、言ってしまった…
本当なら、
「…お会いしました?…」
というところだ…
敬語を持ちうるところだ…
それが、
「…えっ? 会った?…」
なんて、生まれがわかる…
お里が知れるところだ(苦笑)…
「…ハイ…お会いしましたよ…忘れましたか?…」
五井の当主が、ニッコリと微笑む…
私は、それを、聞いて、思い出した…
ゆっくりと、思い出した…
たしかに、私は、ここへ、来た…
あの寿さんと、いっしょに、クルマに乗って来た…
そして、今のように、この五井の若き当主に会った…
なぜか、それを、忘れていた…
すっかり、忘れていた…
それゆえ、なぜだろう?
どうして、忘れていたのだろう?
真っ先に、思った…
真っ先に、考えた…
きっと、それは?
それは、防御本能?
無意識のうちに、自分を守るため?
そう、思った…
そう、気付いた…
なぜ、そう、思ったのか?
それは、平凡…
私が、あまりにも、平凡な人間だからだ…
私が、あまりにも、平凡な女だからだ…
だから、あまりにも、自分とかけ離れた存在を前にすると、萎縮するというか…
つくづく、自分が、ちっぽけな人間に見えてくる…
それゆえ、自分を守る意味で、無意識に、忘れた…
この五井の若き当主と以前、会ったことを、忘れた…
そう、思った…
そう、気付いた…
そして、寿さんのことを、覚えていたのは、私が、女だから…
私が、寿さんと、同じ女だから、自分以上の美人を覚えていた…
いや、
忘れることが、できなかった…
そういうことだろう…
誰でも、そうだが、普通に、日常生活を過ごしていれば、身近に、イケメンも美人もいないものだ…
金持ちもまた、いないものだ…
バブル以前の一億総中流と言われた時代のように、みんなが、あまり収入=生活に差がない時代ほどではないが、少なくとも、表面上は、それほど、生活に差があるとは、思えない…
まあ、あくまで、表面上に過ぎないが(笑)
つまり、なにを言いたいかと、言えば、誰もが、身近に、優れた人間は、いないということだ…
ルックスも、生活も、優れた人間は、いないものだ…
現に、私を例にとっても、そう…
私が、これまで、美人と言われ、ハッキリ言えば、調子に乗っていたのは、身近に、私以上の美人が、いなかったことが、大きい…
もちろん、私並みの美人は、見たことがある…
私と同じレベルの美人は、たまに、見たことがある…
が、
あくまで、たまに、だ…
街を歩いていたり、地元のスーパーで、たまに、見たことがある…
しかしながら、寿さんのようなタイプの美人は、見たことが、なかった…
寿さんのような目鼻立ちの整った正統派の美人は、見たことがなかった…
それに、寿さんには、品がある…
それが、大きかった…
いくら、イケメンや美人でも、写真で、見るときは、カッコイイとか、キレイとか、言っても、現実に、間近で、会ったとき、全然、印象が、違うことがある…
それは、現実に、会ったときに、男なら、頼りなかったり、おしゃべりだったり、あるいは、軽かったりして、写真で見たときと印象が、違う…
そういうことだ…
真逆に、写真では、とりたてて、イケメンでも、美人でも、なかったが、実際に会ってみると、男なら、堂々として、頼りがいがあったり、または、女なら、やはり、しっかりしていたり、人当たりが、良かったり…
つまりは、写真では、わからなかったことが、実際に会ってみれば、わかると、いうことだ…
率直に言って、寿さんのような目鼻立ちの整った美人を、私は、街中で、見たことが、一度もなかったとは、言わないが、寿さんには、見るからに、品があった…
気品があった…
おおげさに、言えば、どこかの、王族とか、貴族といっても、おかしくない気品があった…
だから、寿さんは、特別…
特別、私の印象に、残ったのだと、思う…
あるいは、簡単に、忘れることが、できなかったのだと、思う…
真逆に、目の前の五井の若き当主のことは、忘れた…
すっかり、忘れていた…
たしかに、長身で、イケメンだけれども、忘れていた…
それは、なぜか?
思うに、それは、存在感なのだろう…
どんなに、イケメンや美人でも、案外、自分の記憶に残らないものも、多い…
真逆に、一度会っただけなのに、印象が残る人物もいる…
イケメンでも、美人でもない…
ルックスが、平凡にも、かかわらず、だ…
要するに、存在感が、あるのだろう…
だから、一度会っただけなのに、覚えている…
一度会っただけなのに、忘れられない…
そういうことだろう…
それゆえ、目の前の五井の若き当主のことは、忘れていた…
存在感がないゆえに、忘れていた…
そういうことだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…ボクは、案外、存在感が、薄いのかな…」
と、目の前の、若き五井の当主が、笑った…
だから、さすがに、マズい…
さすがに、覚えていなかったというのは、マズい…
すぐに、思った…
だから、すぐに、
「…そんなことは…」
と、言った…
「…そんなことは?…」
五井の若き当主が、薄ら笑いを浮かべながら、私をからかうように、言う…
「…そんなことは、ありません…」
私は、力強く言った…
「…でも、以前、ボクと会ったことを、すっかり、忘れていたでしょ?…」
「…それは、防御本能です…」
私は、きっぱりと、言った…
「…防衛本能?…」
五井の若い当主の顔が、狐につままれたような表情になった…
「…そうです…」
「…どういう意味ですか?…」
「…お金持ちの方と接すると、自分が、正直、惨めになるというか…すごく、ちっぽけな存在だと、つくづく思うんです…だから、たぶん、自分を守るために、無意識に、忘れていたんだと、思います…」
「…でも、米倉正造さんのことは、覚えているんでしょ? 寿さんのことも、覚えているんでしょ?…」
五井の若き当主が、私をからかうように、言う…
「…米倉さんとは、覚えていないくらい、何度も、お会いしました…だから、覚えています…寿さんは、物凄い美人なので、忘れることは、ありませんでした…」
言いながら、
「…あ? どうして、米倉さんの名前が、ここで、出たんですか?…」
「…友達なんです…飲み友達…」
五井の若き当主が、気さくに、言う…
「…いい男ですよ…彼とは、気が合う…」
その言葉で、以前、寿さんが、この五井の若き当主と、あの米倉正造が、飲み友達であることを、私に告げたことを、思い出した…
「…たしかに、高見さんの言う通り…寿さんは、あの通りの美人だし、米倉さんは、高見さんと、何度も会ったんじゃ、忘れることは、ないかも、しれない…」
五井の若き当主が、笑みを浮かべながら、言う…
「…ボクも、寿さんが、美人であることは、認めます…高見さんも、美人だから、きっと、余計に、寿さんのことが、忘れられないんでしょ?…」
「…どうして、ですか?…」
「…自分が、美人だと、やはり、自分と同じ美人は、気になるものですよ…」
「…」
「…変にライバル意識を持ったりね…」
五井の若き当主が、笑う…
が、
それは、なかった…
さすがに、それは、なかった…
だから、
「…ライバル意識なんて…さすがに、それは、ありません…」
と、きっぱりと言った…
きっぱりと断言した…
「…私なんて、寿さんの足元にも、及びません…」
私が、言うと、
「…でも、寿さんは、そうは、思っていませんよ…」
「…ウソ?…」
「…ウソじゃ、ありません…」
「…私をからかっているんですか?…」
私は、口を尖らせて、反論した…
155㎝の私は、私より、はるか長身の五井の若き当主を見上げて、反論した…
すると、五井の若き当主が、
「…たしかに、寿さんが、あなたに嫉妬するのは、わかる…」
と、言った…
「…えっ? …私に嫉妬? ウソ?…」
「…ホントです…失礼ですが、高見さんは、怒った顔も可愛い…寿さんには、できないことです…」
「…」
「…寿さんは、美人ですが、可愛くは、ない…だから、可愛い、高見さんに嫉妬するんでしょ…」
五井の若い当主が、説明する…
私は、その説明を聞きながら、
…もしかして、私は、今、この当主に、口説かれている?…
…日本を代表する五井の当主に、口説かれている?…
と、思った…
同時に、
…まさか?…
…まさか、そんな夢みたいなことが?…
とも、思った…
思ったのだ…




