五月二十日 午後九時三十分
雨音だけが聞こえる。
私は虚ろな目で窓を見ていた。
その時。
静香が最後の封筒を差し出した。
「まだあります」
私はゆっくりと顔を上げる。
封筒には医師の名前が書かれていた。
そして。
赤字でこう記されていた。
『記憶処置に関する報告』
静香は言った。
「あなたが叔父様を犯人と思い込むようになった理由です」
私は凍り付いた。
まだ終わっていない。
真相は。
まだ全てではない。
雨はまだ降り続いていた。
窓ガラスを叩く音が、やけに大きく聞こえる。
私は封筒を見つめていた。
『記憶処置に関する報告』
その文字だけで息が苦しくなる。
静香は何も言わない。
逃げるなら今だった。
封筒を破り捨てることもできる。
知らなければ済む。
叔父を憎んだままでも生きていける。
だが。
私はもう気付いていた。
知らないままでは終われない。
封を切った。
中には数枚の書類が入っていた。
医師・村瀬の署名。
祖父の署名。
そして診療記録。
私は震える手で読み進めた。
最初は意味が分からなかった。
専門用語ばかりだったからだ。
だが途中で目が止まる。
『患者は事故に対する強い自己責任感を抱いている』
『自己破壊傾向が見られる』
『原因となる記憶の抑制を試みる』
その下に追記があった。
『患者は責任の所在を外部へ転嫁する傾向を示した』
私は続きを読んだ。
『患者は叔父・高城俊介に対し敵意を示している』
『跡継ぎとなった事実と事故を結び付け始めている』
『誤った認知の定着を確認』
その瞬間。
頭の中が真っ白になった。
「誤った認知……」
私の声だった。
しかし自分の声とは思えなかった。
静香が静かに語り始める。
「先代様はあなたを救おうとしました」
「救う?」
思わず笑った。
「これが?」
書類を振り上げる。
「これのどこが救いなんですか!」
「……」
「十年間ですよ!」
声が震えていた。
「十年間、私は叔父を憎んできた!」
「十年間、自分の人生を復讐に使った!」
「それが救いですか!」
静香は俯いた。
「違います」
「では何です」
「失敗だったのです」
静香は初めてそう言った。
「先代様も」
「村瀬先生も」
「私も」
「みんな失敗したのです」
静香は祖父の日記を開いた。
最後のページ。
祖父が亡くなる三日前の日付。
そこにはこう書かれていた。
『私は間違えた』
『あの子を守るつもりだった』
『だが私は真実から遠ざけてしまった』
『俊介にも申し訳ない』
『静香にも申し訳ない』
『もし恒一が真実を知る日が来たら』
そこで文字が乱れている。
震える手で書いたのだろう。
『私を憎ませてくれ』
それが最後だった。
私はしばらく動けなかった。
祖父は知っていた。
全部知っていた。
そして死んでいった。




