第8話「家と君」
ある日の朝、すっかり日課になった志真への挨拶をしようといつものように隣の教室を覗いたところで、普段ならばいる時間にも関わらず志真の席が空いていることに気がついた。
「志真なら今日は休みだよ」
優海が来ていることを察知して出てきた斗馬からそう告げられ、仕方なく自身の教室へと戻る。
重い足取りで教室へ戻ると遅れて登校してきた廉也が珍しいものを見たとでもいうような表情で寄ってきた。それもそのはず、廉也にとって感情がわかりやすく乱高下する優海の状態は今まであまり見ないものだったのだ。それがこんなにもあからさまに表情や態度に出ていることが面白くてたまらない。
「よう、なんか元気ねーじゃん」
「廉也、僕は今日1日志真を見ることが出来ないという事実に打ちひしがれているから話しかけないでもらって良いかな」
普段よりも暗いがかろうじて体裁は保っている程度の微笑みで返すと自身の席へ戻り盛大なため息をついた。
そんな優海を見ていた廉也にある純粋な疑問が浮かんだ。
「そんなに一緒にいたいのになんで登校は別なんだ?」
頬杖をつきながら窓の外を眺め、志真への想いを馳せる優海の様子はそれは絵になるがそんなもの廉也にはこれっぽっちも興味がない為、優海の机身を乗り出し問いかける。
優海は廉也を一瞥すると再び窓の外へ視線を向けながら静かに語り始めた。
「……志真はあんまり学校が好きじゃないんだよ」
中学3年生の頃、ちょうどあの事件を目撃してから志真の情報を絶つ前の期間のことだ。優海の元へ気になる情報が入ってきた。どうやら志真が学校に行けていないらしい。
そもそも志真は小学生の頃は皆勤賞だったが、優海を助けたことで周囲から疎ましく思われることもあり特に理由はないが嫌がらせを受けていた時期がある。本人は鈍感なのか自身の強さか気にしてはいない様子だったが周囲から見れば明らかに虐められていたといっても過言ではないだろう。
そしてその事実は表面上出ていなくとも確実に志真の心を蝕んでいた。
誰にでも親切で優しいヒーローのような存在の志真は虐めている当人でさえも困っていれば声をかけ助けるほどのお人好しだった。正直、搾取されているようで見ている側の優海といては気分のいいものではなかったが、そんな志真のことが大好きだった。
だからこそ中学で別れてからも気になってはいたのだが、嫌がらせを受けることがなくなったと知り安堵していたのだ。
しかし、例の事件の後最初は月に一度だったが徐々に回数が増えていき月の半分も出席できていないと聞いた時には心配で胸が張り裂けそうだった。結局その後、耐えられずに情報を得ること自体一時的に辞めてしまったが、得ていた情報としては学校という場所自体が志真にとってのストレスである可能性を示唆していた。
そもそも昔も休みこそしなかったが遊んだ時には学校が憂鬱といった内容のことをよく言っていた。そしてやることがあるから、必要とされているから頑張れるとも言っていたのだ。
中学校で部活動や生徒会の活動なども行なっていた志真は、おそらく活動的になることによって好きではない場である学校にどうにか通っていたらしいが、その活動自体を父親に否定されたことにより心身のバランスを崩し通えなくなってしまったのだろう。
受験の時期が近付いてからはどうにか持ち直したようだが、そんなすぐに治るものではない。特に自身がやってきた努力や必要とされたいという行動原理を否定されたことは志真にとって根深い問題になっていることは確かだろう。
「だからってわけじゃないけど、朝に待たれたら志真にとってプレッシャーになるだろうし。志真って、あんなにかっこよくて素敵で優しくてなんでも出来るのに自己肯定感低いっていうか……評価の軸を外側に置いてる感じなんだよね。昔からお兄さんと比較されることが多くてそれに負けないようにって頑張ってたけど、それって裏を返せば志真自身のことは見てもらえてないってことだし」
この辺りは昔に志真から聞いたことだ。兄よりも上か下か、それで判断されると。
「僕にとってはお兄さんとか正直どうでもいいから志真は志真っていうだけでこの世の宝でいるだけで幸せを届ける特別な人なんだよって伝えてきたつもりなんだけど、中々根深いからね。たかだか数ヶ月じゃ全然伝わらない。なんで小学生の頃の僕はもっと志真に大好きって伝えられなかったのかな……」
再び家で寝込んでいるであろう志真へと想いを馳せながらどんよりと曇っていく空を眺める。まだきっと、体調を崩して弱っている部分を見せてもらえるほど心を許してはもらえていない。
休みだと分かった瞬間に送った携帯のメッセージにはまだ返信がないが、おそらく心配をかけないように問題ないと言った内容が送られてくるだけだろう。
志真の友人を名乗る、斗馬だったか。彼にはきっと辛いと言えるのだろうと思い、さらに気分が沈んでいく。
「どうやったら志真から頼ってもらえるのかな」
「んー、とりあえずそのクソ重い考えやめたらいいんじゃね?」
途中から話半分で携帯をいじり始めていた廉也の足へ軽く蹴りをお見舞いし、未だに既読の付かないメッセージを眺める。まだまだ、遠い。
休んでしまった。ベッドに寝転がりながら鬱々とした気分で志真は携帯を眺める。もちろん、サボりなどではなく。起き上がれないほどの頭痛で今もベッドから立てない状態ではあるのだが。
元々熱がないと休ませてはくれない家庭であったが、中学生の頃ひどく体調を崩し毎日のように頭痛に悩まされ早退を繰り返しており、最終的には過呼吸を起こし登校できなくなってからというものの熱がなくても体調が悪ければ休ませてくれるようにはなった。
一つ上の兄からの嫌味や遅い朝食を食べている志真の横を通り過ぎていく父親の何かいいたげな視線にはもうすっかり慣れてしまった。
一度眠りにつき、再び目が覚めた頃には朝の頭が割れるような痛みは治っていたが、水分不足かまだズキズキとした痛みは残っている。
携帯には斗馬と優海から心配のメッセージが入っていた。斗馬には、頭痛すぎて死ぬ、などとふざけた文を送りながら課題や明日の持ち物などを聞く。斗馬ももう慣れたもので昼休みの時間だったからかすぐにまとめて文章が返ってきた。午後の授業分についてはまた後ほど送ってくれるらしい。いつも迷惑をかけている。
優海からのメッセージには、なんと返そうか。体調を崩すこと自体珍しいと思っているだろうし、変に心配をかけたくはない。第一、優海の方がずっと体調的には辛い想いをしてきたのだからしんどいアピールなどされたら嫌な気持ちになるかもしれない。
「心配かけてごめん、寝たらだいぶ良くなったよ、と」
メッセージを送るとすぐに返事が返ってきた。以前にも思ったが、優海はかなり筆マメな方らしくすぐに返事が返ってくるので変に相手の反応を気にしたりしなくていいから少し気楽だ。
スタンプだけを返し、携帯を置いて再び布団へと潜り込む。親や兄が帰ってくるまではまだ時間がある。昼食を食べる気になれないならばとっとと寝てしまった方がいいだろう。
今までは斗馬からだけだった心配のメッセージが優海からも来ているという事実に、自身が体調を崩したせいではあるが少し嬉しくなる。友達、が増えたと思っていいのだろうか。
まだ堂々と言えるには時間がかかりそうだが、数少ない友達が増えたのは喜ばしいことだと思いながら再び眠りについた。
明日にはまた学校に行けるようにと願いながら。




