第7話「揺れる心」
「映画面白かったな」
当初の目的を忘れかけながらも見に行った映画は興味が薄い優海にとっても面白かった。時折隣に座る志真の表情を盗み見ては目を輝かせているその存在を愛おしく思っていたのだが。そんなことを知る由も無い志真は楽しそうに感想を語っている。
あまり感情が表に出ない普段とは違いコロコロと変わるその表情を見るのは新鮮で、それでも自分の前でこんなにも色々な表情を見せてくれることに昔を思い出す。と言っても志真のことをよく知らない人間からしたら変化がわからないくらいの些細な違いではあるが。
隣を歩く志真の髪が視界の隅でふわふわと揺れるたびにそこにいるという事実が優海の心を包み込む。
「良かったらこの後、ファミレスでも行かない?」
夕食の時間には少し早いが、十分に遊んだ男子高校生であればお腹が空き始める時間帯だ。ただ志真ともう少し長い時間一緒にいたいという単純な欲でもある。
しかし、その言葉を聞いた志真は視線を彷徨わせながら表情を消してしまった。
「あー、今日夕飯までには帰らないといけなくて……夕飯前に食べてくると親がうるさくてさ、ごめんな」
申し訳なさそうに優海を振り返るその瞳には先ほどまでの光はなく、ただ仄暗い色が漂っていた。
家族仲が悪い訳では無いと知っているが、同時に志真が自身の家に居場所を感じていないことも知っていた。新しい居場所になれたらいいのに、なんて傲慢な考えが脳裏をよぎる。
まだ志真に頼られることはないという現実に打ちのめされそうになるが、こんなところで立ち止まってはいられない。いずれは誰よりも先に優海のことが浮かぶくらいの存在になるのだ。
「そっか。それじゃあ仕方ないね。もうちょっとだけ、お店とか見てもいい?」
「服屋とか?いいよ。あんまり来たことないから案内とかは出来ないけど」
帰る時間が決まっていようと、それより早く帰す必要はない。未練がましく聞いてみせるが、了承されることは最初から分かっていた。志真とて早く家に帰りたい訳ではないのだ。むしろなるべく帰宅しなければいけない時間のギリギリに帰りたいと思っていることだろう。なぜなら、家が好きではないから。
優海は知っている。その腕の傷も、時折どうしようもなく涙が流れてしまう夜があることも。
少しずつでいい。優海を疎ましく思うよりも、嫌な場所から連れ出してくれる存在だと思わせることが大事だ。利用されたって構わない。志真の為ならば。
結局ギリギリの時間まで遊び、最寄駅に着いた頃には急いで別れないといけない時間になってしまっていた。
赤くなり始めた空が志真の頬を照らし、二人の影が伸びている。
「今日は誘ってくれてありがとな。映画も見れたし、楽しかった」
「こちらこそ、色々連れ回しちゃってごめんね。でも、久しぶりにこうやって志真と遊べて楽しかった」
電車を降りて並んで歩く。先ほどまでのお出かけを思い返していた。いや、優海にとってはただのお出掛けではなく大好きな志真と久しぶりに一緒に過ごすことが出来た1日だ。
遊びの内容こそ小学生時代とは大きく変わってしまったが、それでも一緒にいられたという事実に優海の頬が緩む。
「それじゃ、また学校で」
急ぎ足で帰っていく志真の背中を見送りながら上着のポケットへと手を入れ、小さく息を吐く。その手には先ほど買ったばかりのアクセサリーショップの小袋が握られていた。
「結局渡せなかったな」
映画を見終わった後、少しでも一緒にいたいとショッピングセンターを見て回った中で志真が立ち止まったアクセサリーショップがあった。店内に入り並んでいる煌びやかな装飾をひとしきり見て、結局何も買うことなくそのまま店を出てしまったが確かにあの時志真が愛おしげに眺めたネックレスがあったのだ。値段からして買えない額ではないはずだが一瞬手に取り眺めた後、すぐに戻してしまった。
青い天然石があしらわれたそれはどことなく優海の瞳と似ているように思えた。
周りの光を反射しながら志真の瞳に映り込む青い天然石が優海の心を激しく揺れ動かした。まるで志真の赤く澄んだ瞳が優海のことを見つめているような光景に、遠くから眺めていただけの優海の顔が熱を持つ。
その時に見た光景が忘れられず、志真が席を外しているタイミングでネックレスを購入したものの自身の瞳とよく似た色のアクセサリーをプレゼントする意味を考えてしまい、結局ポケットの中に忍ばせたまま志真を見送ってしまった。
いつか渡せる日が来るだろうかと思いながら夕焼けに染まりつつあるまだ明るい道を歩き、帰路へと着いた。
その足取りは普段よりも軽くーーー。
その晩、志真は自室のベッドの上で久しぶりに遊んだ1日を振り返っていた。目的だった映画も面白かったし、ギリギリまで優海を連れ回してしまったが何を買うでもなくふらふらと店内を散策するのも楽しかった。
優海は何やらアクセサリーを買っていたようだが、自身が買わなかった手前何を買ったか聞くのも野暮かと特に触れることもなく1日が終わってしまった。今思えば聞いておいた方が友人らしかっただろうか。そう後から考えてしまうのは志真の悪い癖だ。本当ならば友人らしさなど気にすることなく会話がしたい。
それこそ、アクセサリーショップで見つけた綺麗な石の話もしてみたかった。
昔から綺麗なものが好きだった。宝石やアクセサリー、美術品、作品について詳しくなくても綺麗なものを見ると心が落ち着いた。
だからこそ、ふと目に入った綺麗な青い石が優海の瞳のように見えて。こんなにも綺麗なものが自身の手に入ったらどれだけ嬉しいことかとーーー考えたその浅はかさに吐き気が込み上げた。
あれだけ優海を自身のアイデンティティの為に利用してはいけないと反省をしたのにも関わらず、未だに他人を持って自分の価値を考えてしまう。人の為にと言いながら結局は自分が評価されたいだけだったのだとあの日突きつけられた事実に心が騒めき、左腕を強く握りしめる。
高望みしてはいけない。ネックレスの値段も志真にはとてもじゃないが買える金額ではなかった為、その輝きだけを自身の瞳に焼き付けてそっと戻した。こういった物はそれに相応しい者が持つべきなのだ。
楽しかったはずの思い出が段々と黒く塗り潰されていくことに耐えられず、膝を抱えながら布団を被り丸くなる。
お願いだから早く自分を見限ってくれ。誰が聞いている訳でもないが布団の中で静かに祈る。
「お前の隣にいたら……勘違いするから」
まるで自分が綺麗な存在に釣り合うだけの”価値のある”人間なんだと、そう思ってしまう前に。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。中途半端に被った布団と壁際に追いやられている枕が妙な時間に目覚めた原因だろうか。
また外も暗く時計を見るまでもなく夜中だということが分かるがどちらにしろ日曜日だ。どれだけ寝たところで予定がないことに変わりはない。
ぼうっとする頭でふらふらと机の上のカッターを手に取る。眠れない夜、ふと自分が生きていてもいいのかと考えてしまう時がある。そういう時は自身に傷をつけてみればいいと考えるようになったのはいつの頃からだったか。
カチャカチャと音を立てて何度か刃を出し入れしてみるが、どうやら今日はそんな気分ではないらしい。仕方なく机の上に投げ捨て、布団へと戻る。
荒れた左の手首からわずかに血が滲み右手の爪先が赤くなっている。無意識のうちに触ってしまったのだろう。だから気分にならなかったのかと良いのか悪いのか分からないまま天井を眺める。
いつの頃からか、なんて考えなくても分かっているだろうに認められないまま時間だけが経っている。志真の心は一度壊れてしまっている。というよりは最初から大して頑丈ではなかったのだ。
認識すると痛みが出てくるのかじわじわと熱を持つ左腕と、暑さによって滲み出てきた汗が混ざり合い志真の脳内を侵食していく。
「まだ、大丈夫だ」
痛むということは生きたいと思っているということだ。そう言い聞かせながら再び眠りについた。




