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第四話「僕のすべて」

 山神優海(やまがみ うみ)にとって、学校という場所は苦痛である。

 生まれつき病気を持っており、通うこと自体も非常に体力を消耗するがそれゆえ周囲に上手く馴染めないと言った環境も理由の一つであろう。

 しかし、ある時から優海にとって学校が楽しいものに変わった。それが志真との出会いだ。

 正直なところ優海にとって自身を虐げていた周囲の存在はどうでも良かったが、公園に置いて行かれた優海に手を差し伸べてくれた唯一の存在である志真と出会わせてくれたことには感謝すらしている。

 優海にとって志真はヒーローである。その事実が変わることは恐らく今後の人生においてもないだろう。

 あの日、虐げられることなどどうでもいいと思っていたはずの優海の心は確かに傷付いていて、だからこそあの公園で優海の手を引いてくれた小さな存在に救われたのだ。


 持病の治療のために志真の隣を離れてから3年。中学生という友人としてはかなり大きな部分を過ごせなかったのは痛手であるが、それもまた今後ずっと志真の隣に居る為だと思えば大した時間ではなかった。

 高校への通学が叶うまでに少し時間が掛かってしまい、学校では既にグループのようなものが出来上がってしまっていたがそんなことは関係ない。

 志真を見つけるのは一瞬だった。

 春の凪のような風が頬を抜け、まるで導かれるようにあの輝くルビーのような瞳が優海の視界を奪った。嗚呼、変わらない。何一つとして変わっていない。僕のヒーロー。

 再会を果たしてからというもの学校への足取りはそれまでの何十倍も軽かった。浮足立っているとはまさにこのことだろうと言わんばかりだ。

 無意味に話しかけてくる女生徒たちの煩わしい声すらも鳥のさえずりのごとく穏やかな気持ちで聞き流すことが出来るくらい……いや、志真は優しい人間の方が好きであるから当然聞き流しなどせずにしっかりと相槌を打ちながら会話が出来るほどには優海の心は喜びに溢れていた。


「正直、めっちゃ気持ち悪いぞお前」

 昼休み、同じクラスであり中学の頃からの友人である棗廉也(なつめ れんや)にまるで吐き気でも催しているかのような苦い顔でそう告げられた。

 そう、彼は中学生の山神優海を知っている数少ない人間である。中学生の優海ということは志真が近くに居ない状態の優海ということであり、とどのつまりは人間に対して興味のない状態の優海ということである。

「本当にストレートに言うね。でもありがとう、僕は志真以外に好意を向けられたくはないからね。気持ち悪がってもらって構わないよ」

「そういうところがマジで気持ち悪いんだよな……つか志真ってやつ?アレのどこが良いわけ?めっちゃ陰キャっぽいし、顔は髪の毛で隠れてよく分からんけどお前が追いかけるほどな感じしねーんだけど」

 ピアスをいじりつつ、優海へそう問いかければ帰ってきたのは絶対零度の視線だった。周囲からの見え方を気にしてなのか口元の微笑みは絶やしていないがそこそこ長い付き合いになる廉也にはわかる、かなり怒っている。

 しかし、廉也にとってそれくらいで優海との関係が崩れるわけではないのでそんな視線を向けられたところで痛くも痒くもない。

「怒んなって、いやでも真面目な話。オレからすると釣り合わないと思うんだわ」

「釣り合わない……?あぁ、僕が志真にね。それはそう。確かに。もっと志真に見合う努力をしなければとは思ってるよ」

「うん、逆な。当然のように言ったからマジでビビったわ」

 志真の話になると何故か急に様子が可笑しくなる優海を見ているのは楽しいがその様子は明らかに常軌を逸している。そもそも中学生の頃の優海は他人に対して興味も無ければ優しく在ろうという気持ちすら持っていなかったと思う。それがかつての親友の近くに行くというただその目的の為だけに興味のない他人どころか正直煩わしいとさえ感じる周囲にも穏やかに接しているものだから大層な違和感を感じるのだ。

「……廉也には分からないかもしれないけど、志真は誰に対しても優しいんだよ。でも分かりやすく優しくするわけなじゃないから気付こうとしなければ気付けないんだ。本人は優しくしてやろうと思って接していなくて、ただそうするのが当たり前だから優しいんだよ。僕に対しても同じ」

「同じってのは?」

「志真が僕に優しくしてくれるのは、志真の中で僕がただの庇護対象だからだよ。体が弱くていじめられっ子の優海。だから優しくしてくれるんだ。弱い存在に優しくするのは当たり前だからね」

 どこが――と喉の手前まで出てきた言葉を廉也はそっと飲み込んだ。今の状態からしてみれば周囲から人気もあり見た目も明らかに優海の方が抜きんでている、志真の方がよっぽど弱い存在に見えるが本人からすると違うのだろう。

「残酷だよね、僕の世界のすべては志真で出来ているのに……志真にとって僕はその他大勢の一部でしかないんだ。だから僕は志真が辛くても悩んでいてもそれを相談してもらえない。でも、志真が一番辛い時に側にいられなかったから仕方ないんだ。これから積み上げていくしかない」

 憂いを帯びた瞳に柔らかい前髪が掛かる。隠れて優海を見ていた周囲が小さく感嘆の声を上げるが恐らく本人の耳には届いていないだろう。

 しかし廉也にはよく分からない。正直に言えばカースト上位に存在している優海がカースト下位に居るであろう志真に恋慕する気持ちが理解できないのだ。どれほど過去にドラマチックな出会いや物語があったとしても今は違うだろうに。

 ここで一つある疑問が浮かんだ。

「お前、中学違うのに何で中学時代のそいつのこと知ってんだ?」

 廉也の知る限り中学生の頃、優海が志真と会っていた記憶はない。もちろん全てを知っているわけではないが、彼は病気の治療で余裕が無かったはずで学校にいる間や休みの日も一番多く遊んだのは自分だという自負がある。だからこそ志真のことを知るタイミングなど無かったはずなのだ。

 廉也から投げかけられた疑問に、憂いを帯びていた優海の瞳が僅かに狂気の色を灯した。

 

「好きな人のことを知ろうとするのは当然のことだろう?」



 今日も優海の足取りは軽い。

 授業が終わり、隣のクラスへと移動するだけの時間があまりにも長く感じられる。人目が無ければ今にも歌い出しそうな気分だ。

 嗚呼、志真。僕の志真。

 寝ぐせの残った黒髪も、ルビーのような輝く瞳も、僅かに鋭いその犬歯も、身長が伸びなかったことを気にしているところさえも愛おしい。そう、アームスリーブに隠されたその傷跡さえも。

 叶うことなら志真の綺麗な体には傷一つ付いて欲しくは無いが、存在しているならその存在も愛するしかないだろう。

 再会した日、志真の瞳は確かに拒絶の色を示していた。そう、昔とはかけ離れた存在となった優海に対して彼は確かに劣等感を抱いたのだ。離れている間、志真の身に何が起こったのか知っている優海としては拒絶されても仕方がないと思っていた。だが、それでも志真は優海を突き放さなかった。

 僕の存在が志真を傷付けてしまうかもしれない、でも志真の隣に居られないことの方が嫌だった。

 だからこそ、ゆっくりと時間を掛けて志真に掛かった呪いを解くのだ。大切にして甘やかしてボロボロになってしまったその心も体も全て。僕無しでは生きられないくらいに。

 そうしたらきっと、いつかは僕に振り向いてくれるはずだ。

 こんなにもボロボロでそれでも人を助けることに躊躇が無い僕のヒーロー。僕の全てを捧げてもきっと足りないくらい大きな存在。

 好き、大好き、愛してる。

 きっと伝えたら志真は逃げてしまう。だからまだ、心の底に大切に鍵を掛けておく。いつか志真が自分を愛して大事にすることが出来たら……その時はこの気持ちも受け取ってもらえるかな。


「志真、一緒に帰ろう」


 いつかその日を夢見て、今日もまた彼の元へと走って行く。

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