第三話「隣の教室」
授業の終わりを告げるチャイムが響く。
眠たい目を擦りながら帰りの支度を始めていると段々教室の入り口が騒がしくなっていく。部活のない今日はゆっくりと支度が出来ると自身の席でぼんやり黒板を眺めていると騒がしい声が徐々に近付いてくる気配がした。
「志真、大丈夫?」
名前を呼ぶ声に視線を向ければ隣のクラスに居るはずの優海が心配そうに顔を覗き込んでいた。心配そうにしていても揺れる瞳は変わらず綺麗に澄んでいる。
その後ろには騒がしさの元凶であろう女子達が遠巻きに立っているのが見える。
「だ、いじょうぶだけど……優海は、その後ろの人達大丈夫なのか?」
きっと噂のイケメンとお近づきになりたい女子達は沢山いるだろうとそのイケメン越しに伺い見れば、数人からは鋭い視線が向けられた――気がする。
その昔、いじめられた過去がある志真としては人から向けられる鋭い視線はご遠慮願いたいところではある。
と言っても当の本人は何のことだか分かっていないのか心配そうな表情から穏やかな笑みに変わり、志真のことを見つめている。
「あ、もしかして迷惑だった?昨日、また明日って言ってたからつい……今日は一緒に帰れるのかなって思っちゃって。良く考えたらすごい早とちりだよね、ごめん。何か舞い上がっちゃって、昔みたいにまた一緒に帰れたらって勝手に来ちゃった」
志真の質問に対して答えになっているようななっていないような微妙な返答をしながら、サラリと流れる髪の毛をいじる優海に今日見た夢が重なった。
嗚呼、本当に彼は変わっていないのだ。
「迷惑じゃねーから、気にしなくていいよ。今日は斗馬も用事あってさっさと帰ったし」
帰り支度をしながらそう伝えれば、微笑んでいた優海の表情が僅かに強張ったような気がしたが準備を終えて顔を見上げた時には変わらず優しい微笑みを浮かべていた。
気のせいか、と胸をなでおろす。かつての友人に対して機嫌を伺う必要などは無いはずだがどうにも悪い癖が抜けないようだ。
「待たせたな、帰るか?」
なるべく昔と同じように。そんな気持ちで口に出してみたが上手く口に馴染まない。自分はこんな話し方だっただろうか。自分の中に渦巻く陰りとは反対に優海は嬉しそうに笑っているので、きっとこれが”正解”なのだろう、そう結論付けて教室を後にした。
帰り道は普段と何も変わらず、ただ優海が隣に居るという事実だけが確かにそこに存在していた。
高校の授業は難しいだの、ブレザーの制服が慣れないだの本当に何も変わらないただの世間話をぽつぽつと話していれば、いつの間にか夢の記憶も薄れていった。
「そういえば、体調はどうなんだ?昔から体強くなかっただろ」
心臓病で昔から体が弱かったはずだが健康に育ったように見える。治療に専念して治ったということならもう誰かに置いて行かれるようなことは無いだろう。
「見ての通り、かなり元気になったよ!まだちょっと体力はないけど、体育くらいなら運動しても大丈夫だし。少しずつ体力付けていけばそのうち同年代の子と同じくらいに運動できるようになるって先生にも言われてるんだ」
大きく口を開けて笑う優海の表情は昔のような消えてしまいそうな儚さも薄まり、健康的な高校生そのものに見える。
俺とは正反対だな、なんて自嘲気味に笑う志真の声は春の風に吹かれてかき消されてしまった。
「え?今なんか言った?」
「何も言ってないよ。健康になって良かったな」
眩しすぎる視界に目を細めながら笑顔を作って見せるが、上手く笑えたか分からない。笑顔も随分と下手になってしまった。どうか、こんな俺を嫌わないでくれ――そう願いながら同じ歩幅で帰り道を辿った。
それからというもの、気が付いたら毎日のように優海が教室にやってきた。
志真が帰り支度をしているときには既に教室の扉の前で待っているのだ。当初は隣の教室からいつの間に来たのかと斗馬が苦い顔をしていたが1週間も続けば当然のように受け入れ始めていた。
「おーい、志真。今日も迎え来てんぞ」
「毎度よく飽きずに来れるな……特に周りの女子達」
思わずといった様子で斗馬の口から困惑が零れる。
優海が来ることや一緒に帰ること自体に特にどうこうといった気持ちは無いが、斗馬のその言葉には志真も同じ気持ちを抱いていた。
優海と話したい女子達が隣の教室からついてきては扉の前で待つ優海にアピールをしているのだ。
最近では固定のメンツになってきたがそれでも驚くほどの人気ぶりだ。
「女子はやっぱ、あーいう爽やかなイケメンが好きなのか?」
「俺に聞くなよ。つかお前だって高身長モテモテだろうがよ、この前手紙貰ってんの見たぞ180cm」
「残念183cmです~。つか俺は部活一筋だっての」
軽口を叩いていると待ちかねたのかいつの間にか優海が志真の後ろまで来ていた。
背の高い二人に挟まれ、何となく面白くない志真は帰り支度のスピードを上げて足早に教室を出た。後ろから悠々と二人が歩いてくる気配に少し悲しくなりながらも歩く速度は下げずに進む。二人の問題ではなく、ここで少しでも速度を下げれば教室の外で待ち構えている優海狙いの女子達に捕まりかねないからだ。
「うみくーん!連絡先……!」
「山神君、よかったらコレ……!」
数々の声が聞こえてくるが先頭を歩く己が道を切り開くしかない、と志真は突き進んでいく。明らかに陰キャである自分の容姿は人避けにもなるのだと最近気が付いた。気が付きたくはなかったが。
「ごめんね、志真のこと追いかけなきゃだから。あ、食べ物は病院の先生と相談しなきゃだから受け取れないんだ」
ずっと微笑んだまま丁寧にすべてを断っていく優海に斗馬も関心する。
「はぁー、モテる男は断り方までイケメンか」
「いやなんでお前はあの人混み抜けて俺の隣まで悠々と歩いてこれてんだよ」
気が付けば志真の隣で見物を始めている斗馬に思わずツッコんでしまう。しかし当の本人は当然のような顔で笑っている。
「そりゃバスケやってっから」
「関係ないだろ」
そんな軽口を叩きながらも何とか廊下を抜けて下駄箱付近に辿り着こうかというところで一人の女生徒が勢いよく優海へ向かって走ってきた。明らかに避けられるスピードではなく優海も突然のことで一瞬固まってしまう。
咄嗟に志真が優海の腰を引き寄せて間一髪衝突を避けると、女生徒は隠れ気味の前髪の下で志真を睨みながらそのまま走り抜けて廊下の向こうへと消えていってしまった。
「あっぶな……なんだあいつ。優海、大丈夫か?……ってなんか顔赤くねーか?」
「え!?そ、そうかな?ちょっと急いで歩いたから熱くなったのかも!!その……ありがとう」
顔を手で仰ぎながら珍しい早口で捲し立てる優海の目はきょろきょろと忙しなく動き、どこか恥ずかしそうにしている。
その表情で腰を掴んだままだったと気が付き慌てて手を離す。
「悪い、いきなり掴んで。俺の背が高ければ肩とかで行けたんだけど……くすぐったかったよな」
「…あ、うん。ダイジョウブ……全然そんなことないから……」
先ほどまで赤く染まっていた顔からスッと色が消えていきいつもの表情に戻る。いや、いつもよりも若干悲しそうな気もするが気のせいだろう。
そう結論付けて早々に外へと向かう志真は、先ほど自身が抱き寄せた腰に手を重ねながら熱の篭った視線を向ける優海のほの暗く光る瞳に気が付かなかった。
「……やっぱり変わってないな。もっと僕のことを見てよ……志真」
そう誰にも聞こえないようにつぶやく優海の口元は強く引き結ばれ、決して微笑んではいなかった。




