第二話「メッキの心」
「志真はヒーローみたいだね」
なんて言葉を聞いたのはいつだっただろうか。
志真と優海が出会ったのは小学1年生の頃、夏に入る前ごろのことだ。最初は病気がちなクラスメイトがいる程度の認識だったと思う。名簿が近いことから自然とお互いのことは知っていたが、特に一緒に遊ぶことも無い仲だったのを覚えている。
ある日、兄と公園で遊んでいた志真の耳に泣きそうな声が聞こえてきたのが始まりだった。
「待って!置いていかないでよ!」
「だったら早く走って来いよ!お前には無理だろうけどな!」
声の聞こえた方を見てみると、近くで遊んでいた集団が帰り始めているところだった。しかし一人だけ追いつけないのか公園の入り口で息を切らして去っていく集団の背中を見つめていた。
どうやら置いて行かれた一人がクラスメイトらしいと気が付いたのはとぼとぼと歩き始めた横顔を見てからだった。
夕暮れのオレンジを反射させながら俯いていく青い瞳に、咄嗟に体が動いていた。
「なあ!一緒に帰ろうぜ」
弾かれるようにこちらを向いた青い瞳と目が合う。僅かに潤んだ目元が夕日に照らされてキラキラと輝いていた。先ほどまで俯き陰っていた瞳はもうそこにはなく、青い瞳の彼――優海は優しく目元を緩ませた。
「うん、ありがとう」
志真が差し伸べた手を掴み、握り返した優海は歩きながら少しずつ自身のことを話して聞かせた。
病気の関係で運動が出来ないこと、病院によく行くこと、近所の子と遊ぶと今日のようにいつも置いて行かれてしまうこと。優海の家に着くまでの間、志真は静かに相槌を打ち続けた。もちろん手は繋いだまま。
「今日は一緒に帰ってくれてありがとう」
優海の家に着くと、存外近くに住んでいたことが分かった。これならばと帰っていく背中に勇気を出して声を掛ける。
「あのさ、もし優海が良ければこれからもおれと一緒に遊ぼうよ!おれはお前のこと絶対置いていかないから」
「……いいの?」
しばらく動きを止め、意を決したように少し震えた声で優海が答えた。まるでそんな提案をされると想像もしていなかったようで視線を彷徨わせながら志真を伺い見ている。
いいも何もあのように意地の悪いことをする連中といるより自分と一緒にいた方が楽しませる自信があると当たり前のように思っている志真は首を傾げた。
そして、困っているように見えた優海を放っておくという選択肢も志真の中にはなかった。
「当たり前だろ。だってもう友達じゃん」
そう言って笑って見せれば、僅かに優海の頬が赤く染まったような気がしたが夕焼けに染まる空の中では夕日の朱い光に照らされてそう見えただけかもしれない。
「そうだね、友達だ!じゃあ、また明日」
この一件以降、急激に距離の縮まった二人は学校でも学校の外でもいつも一緒にいた。それは学年が変わっても同じで、持病で思ったように運動の出来ない優海を揶揄う同級生が居ればすぐに志真が飛んできて追い払うという流れが出来ていた。
時折ヒートアップしてしまい殴り合いの喧嘩になって先生に怒られることもあったが、それで優海を守ることが出来るのならば何の問題もなかった。弱い存在を守るのは当たり前のことだからだ。
そうやって過ごしているうちに優海が志真のことをいつからかヒーローと称するようになった。
「志真はヒーローみたいだね」
「……それよく言うけどどういうこと?俺は別にヒーローみたいなことしてるつもりないんだけど」
苦言のように言ってはみたが、実際ヒーローと呼ばれて嬉しくないわけはなくただ純粋にヒーローと称される行動がよく分からなかったのだ。
志真の問いかけに少し悩みながらも、ふわふわと揺れる髪の毛をいじりながら優海が答えた。
「まずは困ってたらすぐに来て助けてくれるでしょ?それにいつも手を引いてくれるし、でも危ないところとかは背中で護ってくれるところとか。あとカッコいい!」
太陽を反射しながら笑う優海は昔のいじめられて俯いていた時とは正反対で眩しいくらい明るかった。
しかし、話を聞いてみてもどれも志真にとっては当たり前のことで何が特別ヒーローらしいのかは結局のところ分からなかった。
それでも優海の笑顔を見ることや感謝されるのは心地良く、穏やかな気持ちになれる為これからも同じことを続けていくだろうなとぼんやり思っていた。
この関係が終わりを告げたのは小学校を卒業する時だ。事前に療養のため地元を離れるということは聞いていたので志真としては此処でお別れか、なんて思いながら少し感傷に浸っていたのだがいざ当日になってみれば優海の方が大号泣していた。
泣きじゃくる人間を前にすると逆に落ち着いてしまうようで、どこか他人事のように思ってしまった。
「ひぐっ、ねぇ、絶対にまた一緒に遊べるよね?ぐすっ」
「そんなに泣くなって……病気治してくるんだろ?治ったらまた遊ぼうな」
零れ落ちる涙を拭い、頭を撫でればどうにか泣き止もうとしているのか肩を震わせながらも鼻をすすっていた。
しかし無常にも時間はやってくるもので、卒業式の翌日優海はこの町を去って行った。
『昔のことを思い返してる暇があったら兄のように少しでも結果を出したらどうなんだ』
突然脳内に流れてきた言葉に布団を蹴り上げながら飛び起きる。
乱れる呼吸を整えながら周囲を確認してみれば、まだ真っ暗なままの自室が視界に広がっていた。
「夢か……」
枕もとの時計を確認すればまだ夜中の3時だった。外からは新聞配達のバイクの音が聞こえている。
過去の自分の夢。優海を助けることで自身の存在を証明しようとしていた愚かな過去を改めて見せつけられ、心臓の鼓動は早まったまま収まる気配が無い。
久しぶりに会ったことで思い起こされたのか、夢から醒めてもなお過去の出来事が脳裏から離れないままだ。それと同時に最後に聞こえてきた言葉。あれこそが志真の心をずっと縛り付けている命題といっても過言ではないだろう。
「兄のようになんて、なれるわけないだろ」
文武両道、眉目秀麗とはまさにこのことと言わんばかりの存在。小学生くらいまでは対した差もなくただ無邪気に純粋に兄の後ろを追いかけていた。4年生のころ位からは煙たがられていたので近付くことは無くなっていたが。
兄のように優秀で、兄のように優しく、父の期待を一身に背負う兄のように。その言葉は呪いのように志真に絡みついて離れない。兄のようになれれば、また父も期待してくれるだろうか。
そんなことを考えてしまうのは過去の自分の夢を見たからだ。流れ落ちる汗を拭い。蹴り飛ばした布団を被りなおす。
嫌な夢を見た。
誰からも期待されなくていい、どうせ努力をしたところで認められることはないのだから。
だから、期待しないでほしい。
過去の己を知る存在に理不尽にもそんなことを思ってしまう。きっと明日になれば再び優海と会うことになるだろう。また明日、と約束をしてしまった。
こんなにも心が締め付けられるのであれば約束など破ってしまえばいいのに、それが出来ないのは今まで真面目に生きようとしてきた癖が抜けないのか。
キラキラと輝く海のような瞳は変わっていなかった。志真を見つめるその眼差しさえも。
だからこそがっかりされたくないとも思ってしまう。本当は優しい自分を演じる為だけに弱い立場の優海を利用して一緒に居ただけだったこと、仲良くしていることさえ周囲へのアピールでしかなかったこと。当時はお互い幼く未熟で覆い隠せていたかもしれないが、もうひび割れてしまった今の心ではメッキすらも剥がれ落ちて己の醜さが晒されてしまう。
少しでもバレませんようにと、祈るようにメッキを塗りなおして再び眠りについた。
明日はまだ遠い。




