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第三十五話「決意」

 背中に回された優海の手の温もりがゆっくりと志真の心を溶かしていく。漠然と守らなければいけないと考えていた優海の存在が自身を包み込むまでに大きくなっていたことに今更ながら気が付く。

 心の何処かで守るべき存在であってほしいと願い続け、庇護下から外れそうになるたびに不安になっていた。だからこそ失望されたくないと、他の友人には思わない感情を抱いてしまっていたのだと気付き、己の余裕のなさに思わず笑いが零れた。


「志真……?」

「あ、ごめん。その、なんか安心しちゃって……俺、優海に対しては昔と同じように頼られたいって思ってて、でも優海も俺の力になりたいって思ってくれてるってわかったから……今まで俺って余裕なくてダサかったな」


 優海の腕の中で力なく微笑むと、いつもの穏やかな表情ではない優海の眉間に皺が寄る。志真のことをダサいなどと思ったことは一度たりともなく、むしろ今までだって昔と変わらず――当然変化はあったが――優海が憧れ、恋焦がれる志真そのものだった。どうにも志真は自身のことを低く見積もる傾向にあるというのは再会してから分かったことだ。昔の志真は自信に満ち溢れた様子で感情の起伏はあれど優海に対して弱さを見せることはなかった。だが、それも優海の手前隠していただけだと気が付いたのは最近のことだ。

 結局のところ昔から何一つ変わらない。憧れた存在のままだと理解してもらいたいが、それはただのエゴだ。今こうして優海の腕で弱さを見せて寄り掛かってくれているその事実だけで――今は――それだけでいいと自分自身に言い聞かせ、改めて強く志真を抱き寄せる。

 少しだけ強張った志真の体が徐々に優海に委ねるように柔らかくなっていく。それだけで頼られているように感じ、少しずつ優海の表情も普段通りの穏やかさに戻る。

 落ち着いたところで人目が少ないとはいえ外で抱きしめるのはやりすぎたかもしれないと優海の脳裏に周りを気にしなければという考えが過ぎる。

 離れがたい気持ちを抑えながらゆっくりと志真から体を離し、改めて正面から志真の顔を確認する。優海が離れたことで志真も状況を思い出したのか傷のない頬も僅かに赤く染めながら放置されていた弁当に手を掛けている。


「あ、ご飯……食べよっか」

「そうだな……時間なくなるよな……!その、ありがとう。俺は別に優海にどうこうして欲しいとかは無いけど、でもこうやって言ってもらえるだけで俺は嬉しかった……から……。頼ってないわけじゃなくて、たまにこういう風に寄り掛からせてもらっても……いいかな」


 衝動的に伝えた言葉が届いているのか分からなかったが、どうやらきちんと聞こえたうえで考えてもくれていたらしい。優海の本心からの言葉だったというのも恐らく伝わっていたのだろう。そのうえでやはり、志真は復讐や報復と言った形は望まないという意思だ。

 それもまた志真らしいという感想に尽きるが、付け加えられた言葉から優海の決意を拒絶しているわけではないことが分かり、胸を撫でおろした。最初から分かってはいたことだ。


「もちろんだよ。僕も急にあんなこと言っちゃって吃驚させたよね」

「ん、まぁ……そういうときもあるだろ」


 持ってきた食事を広げながら会話を続けていると、どうやら志真にとって優海の発言はそこまで驚くものではなかったかのような反応に優海が首を傾げる。

 志真の前では優しく穏やかで争いごとなどとは無縁の存在を演じてこれまで来たのだと思っていたがもしかすると演じていることがバレていたのか、と不意に脳裏を過ぎる。しかし特にそれ以上話が深堀されることもなくただ今までと変わらない様子に気付かれているのかと問う分けにもいかず志真を見つめる。


「なに?何か付いてる?」

「ううん、その……何でもない。けど、もし何か力になれることがあったら言ってね。僕はやっぱり志真の力になれたら嬉しいから」

「おう。ありがとう。俺も優海の力になれることがあったら何でも言ってくれよ」

「ふふふ、ありがとう。それじゃあまずは、この頬の傷をちゃんと治して元気になって欲しいな」


 まさかすぐにでも頼み事――それも傷を治すなんて頼み――をされると思っていなかったのか、目を大きく開いた状態で志真の動きが止まる。再び湿布の上から頬を優しく撫でれば、瞬きの後に目を細めてゆっくりと口角が上がる。思わず眩しさを感じる志真の微笑みに少しだけ顔を逸らすと次に顔を見た時にはいつも通りの表情が読み取りにくい状態に戻っていた。

 もう少ししっかりと見ていればよかったと思いつつも、またきっと見れる機会がすぐに来るような気がして縮まった距離に心が高鳴る。これからもこの距離を――叶うならばもう少し近くで一緒に居られたらどれだけ幸せだろうか。初めて直接口にした決意の言葉は受け止めてもらえた、と考えても差し支えないだろうし、隣で食事を口に運ぶ姿はいつも通り愛おしい。


 本当は、頼られる友人ではなく恋人に、と考えてしまう部分はどうしてもあるがそれを今この状態の志真にぶつけるのは暴力以外の何物でもないだろう。今はまだ少しずつ、少しずつ信頼を積み重ね、そしていつか受け止めてくれる日まで――いや、そんなことを言っていてはいつまで経っても友人のままなのだろう。志真を振り向かせるために自ら行動し、友人だったとしても恋人になれるようなそんな関係性を作れたら、いや作るのだと改めて自身の感情に誓う。


 必ず志真に幸せを届け、そしてその隣には自分が立つのだと誰でもない自分自身に宣言をするのだ。




 その日の夜、優海の元に一通のメールが届いた。

 内容は探していた人物が見つかったというものだ。メールを確認後、すぐさま別の者へと連絡を入れる。当然、優海自身が家から出ることはない。それが今回のやり方だ。

 志真の顔面を殴った犯人。その人を志真が気にしていなかったとしても志真に怪我を負わせた存在を優海が放っておくはずもなく、他人を使い拘束させる。さて、この後はどうしてみようかと考えるもののいまいち良い対応が思い浮かばない。窓の外を眺めながら今日はもう休んでいるであろう志真に想いを馳せる。赤く腫れた頬、零れ落ちた涙、休んだ日に見せた表情、走り去る背中、それら全てが今見てきたかのように鮮明に思い出せる。

 

「んー、やっぱり簡単に許すのはあり得ないなぁ……でも、志真の耳に入ったら気にしちゃうだろうし。どうしようかな……こんな僕を知ったら幻滅されるかな、あーでもこんな僕ももしかしたら受け入れてくれるのかな……ねぇ、志真」


 よし、決めた。と小さくつぶやきながらスマートフォンへ文字を打ち込んでいく。もう二度と志真の目の前へ現れないように、そしてその為の行為が伝わらないようにと最新の注意を払いながら、犯人を捕らえたという報告に返信する。

 今までも志真に危害を加えた人物に対して制裁めいたことは行ってきたが、今回に限って言えば今までの対応よりもかなり過激になることは間違いないだろう。だがそれでいいのだ。歪んでいたとしても志真が気に入らなかったとしても、これはただの自己満足だ。

 志真の為などと言うつもりは毛頭ない。ただ優海が、志真を傷付ける人間のことが大嫌いで大嫌いでどうしようもなく排除したい、二度と志真に手を出そうと思えないくらいにそして二度と志真の目の前に現れることが無いようにしてやりたい。


 ただそれだけの――本当にそれだけのことなのだ。

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