第三十四話「対話」
翌日、志真は学校へ来ていた。前日より治まったとはいえ顔に貼られた痛々しい湿布は目を引くようで、斗馬や柊人からも詳細の説明を求められた。だが最初に飛んできた言葉が志真の怪我を心配する声だったことに少しだけ安堵すると同時にそういえばこの二人についてはあまり不安に思ったことはないと気が付き、優海と何が違うのだろうかと考える。
全員友人だと思っている――一人は後輩だが――そして、双方共に仲がいいと思っている、はずだ。であればどうして優海にだけこんなにも不安になるのだろうか。優海からどう思われているのか何を返せるのかと言ったことばかりが脳内を埋め尽くしてどうにも冷静になれない。昔の自分を知っているからだろうか、二人との違いといえばそれくらいしか思いつかない。
そんなことを考えているといつの間にか昼休みの時間になったのか、遠慮がちに志真を呼ぶ声が聞こえた。
「志真――、その、そっちに行っても大丈夫かな?」
普段であれば平然とした顔をして教室へと入ってくる優海が、今日ばかりは教室の入り口から不安そうに覗いている。いつもと違う優海の表情に僅かにクラスの女子生徒たちが色めき立っているが、優海の視界には入っていないようだ。あまりに注目されても話がし難いであろうと弁当を持って教室を出る。
「その、教室だと騒がしいから……たまには外とか行くか?」
「……!うん!」
志真からの提案に少し明るくなった表情で返事をする優海と並んで廊下を歩く。最近は気にすることも無かったが、改めて優海と歩いていると整った顔立ちと高い身長にモデルのような体型で周囲の目が自然と優海に集まっていることを実感する。加えて人の良い穏やかな表情で誰に対しても優しいのだからきっとこうやって並んで歩きたいと思っている女子生徒達も多いのだろうな、と少し離れた考えに着地したところで少しだけ胸につかえのある感覚を覚え首をひねる。
別に優海は誰の物でもないのだが、隣に別の誰かがいたらと考えると寂しさを感じる志真自身に落胆する。友人相手にまで独占欲なり承認欲求を持ってしまっているのかと。
特に目標もなく歩いていたが、中庭の人が少ない場所を見つけ腰を落ち着かせる。移動中、昨夜のこともありどことなく気まずい雰囲気もありお互いに無言だったが、流石に座って弁当を広げれば少しずつ話し始めた。
「その……昨日はごめん。せっかく来てくれてたのに連絡も返せなくて……」
「いや!僕の方こそ、来ないでって言われてたのに勝手に行っちゃってごめん」
お互いに謝罪をする状況に何とも可笑しな雰囲気が流れ二人で噴き出して笑う。なぜこんなにも緊張していたのだろうかと、いつも通りで良かったのだと胸がすっきりとしたところで、ふと真顔に戻った優海が志真の頬に手を添える。
触れるか触れないかギリギリのところで止まった手に緊張が走る。
「これ、痛む?」
「今はあんまり。見た目ほど酷くないから」
いつもよりも固い優海の声から溢れんばかりの不安と心配の感情が伝わる。安心させるように優海の手に頬を当てて見せれば、緊張で少し震えた後に慈しむように冷たい手が志真の頬を滑る。
温くなりかけた湿布よりも冷たい優海の手が僅かに熱を持った頬に触れて気持ちがいい。手から顔へと視線を上げれば優海は今にも泣きそうな顔をしていた。
「何で優海がそんな顔すんだよ」
「だって……!志真が……怪我してたら、心配するよ。友達……なんだから」
理由を知らない優海は、ただ怪我をした友人を心配してくれるのだろう。だが、なぜこんな怪我をしたのか話しても同じように心配してくれるのだろうか。可能性は低くとも、「すごいね。」なんて言葉を掛けてくれるのかもしれない。こんな試すような真似は良くないと分かりながらも、優海にならば言ってしまおうかと口を開きかけるが上手く言葉が出てこない。もしも、優海にまで否定されてしまったら、そう考えると言葉にならず喉からは掠れた空気音だけが抜けていく。
志真の様子に気が付いたのか、優海の瞳が大きく見開かれると空いていた手で反対の頬に流れる涙を拭われて初めて、自身が泣いていると知った。涙を流すつもりなど無かったのにも関わらず止めることが出来ない。
「あれ、ちが、なんで……こんなつもりじゃ……」
慌てて自分でも涙を拭いながら弁明しようとしたところで、その腕を掴まれ優海の胸元へと抱き寄せられる。突然のことに驚きつつも、周囲から隠すように優海の腕に包まれると少しずつ落ち着いてきた。
「ねぇ、志真。志真のことをこんな風にしたのは誰?僕じゃ頼りないかもしれないけど……僕、志真の為ならなんだって出来るよ」
――――耳元で優海が”優しく”囁く。
優海からしても志真が涙を流したのは完全に予想外の出来事だった。当然、誰がどうやって志真に怪我をさせたのか、なんてことは昨日のうちに調べが済んでいる為、聞く必要もないのだが志真は知らない。
そして優海も今まで伝えたことも無かった。だが志真が望むのであれば報復だってなんだって優海にとっては朝飯前だ。ただ一言「やり返したい。」とでも言ってくれれば目の前に連れてくるし、「もう見たくない。」と言われれば今すぐにでも二度と志真の視界に入らないように処理をする。それだけのことだ。
涙を流した志真を見て、自分でも驚くほど感情が揺れ動いたことに優海は気が付いていた。志真が不安定な状態であると分かりながらも心の何処かでは暴力沙汰で怪我をしたとて志真は折れることはないと思っていた。それこそ自分の前では強く在ろうとする志真を見てきたからこそ殴られた”程度”で弱ることはないと思っていたのだ。だがその根底が覆された。――正確にいえば殴られて怪我をした事実自体は志真にとって些細なことであったが、それもまた優海には推し測ることが出来ない部分である。
志真は守らせてくれないなどと言うのはもう終わりだ。どれだけ強かろうと志真を傷付けるものは全て排除するべきである。優海の思考がそう切り替わるタイミングとしてはこの上ない状況でもあった。
腕の中で静かに呼吸を整えているらしい志真の動き一つ一つが守るべき存在へと変わっていく。今回の志真の行動は誰にでも出来ることではない。もしも、同じ状況がまた起きたとしたらもう一度同じ行動を取るだろう。それが志真という人間だ。そしてその行動が取れる志真のことを優海は本当に尊敬し、心の底から好きだと思っている。
志真は不安に思っていたが、優海が志真のとった行動について否定することなど万に一つもあり得ないのだ。助けたとしても助けなかったとしても、それが志真の決断ならば優海はそれらすべてを肯定し受け入れるだろう。だが、その決断で志真が苦しみ涙するというのであればその原因を排除するのは優海の仕事だ。
志真という存在が何の憂いもなくこの世界に生きていけるように、ただ幸福であるように、それを追い求めるのが優海だ。今までは離れていた負い目もあり、志真に過度に関わるのは止めておくべきだと遠慮していたが、それもここまでだと決めた。
優海のことを闇の奥底から引っ張り上げて生きる意味を与えてくれた”ヒーロー”が助けを求め、弱っているのであれば今度は優海が助ける番である。
「大丈夫。僕は志真が何をしても志真の味方だよ。だから、僕も志真の助けになりたいんだ」
だから――僕のことを頼ってよ――僕の志真




