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第三十一話「兄弟」

 志真の様子が少しおかしい気がする。というのは普段から飽きる間もなく眺め続けている優海だからこそ感じた違和感だ。どことなく宙に浮いているような心ここにあらずと言った様子で普段から何を考えているのか分かりにくい部分はあるが最近はそれがより一層際立っているように感じる。

 この違和感について声を掛けて良いものかと悩んでいると、空気を読まない後輩が何も気にすることなく志真へと突撃していった。


「夢渡せんぱーい!!なんか最近元気なくないっすか?」


 部活終わり、志真を待っていた優海の目の前で抱き着くように後ろから覆いかぶさりながら後輩である柊人が志真に声を掛ける。彼もまたこの半年、志真のことをずっと見続けているのだから変化に気が付いてもおかしくはないと頭では理解しつつも先を越されたことに僅かながら苛立ちを感じ、襟元を引っ張り引きはがす。

 覆いかぶさられたところで志真にとっては大した衝撃でも迷惑でもないのだろうが、これは単純に目の前で志真に必要以上の接触をされたくないという優海の独占欲である。志真はというと抱き着かれても軽く流し、引きはがされていくのもただ見ているだけで止めようとはしない、つまりは通常運転だ。

 しかし問いかけられた言葉に対しては思うところがあるようで少し考え込んでいる。


「んー、元気がないってわけじゃ……ないと思うけど」


 遠くを眺めながら小さくつぶやく志真の声はやはりどこか覇気がないというかぼんやりしているように感じる。普段であれば後輩である柊人にはハッキリと喋るタイプの志真にしては珍しい反応だ。

 柊人もそれを感じたのかいつも明るく笑っている眉をへの字に寄せて志真の顔を覗き込む。


「やっぱなんか変っすよ。歯切れが悪いっていうか、いつもの感じじゃないみたいな」


 かなり近い距離に顔を寄せる柊人を再び引き剥がそうと優海が手を伸ばしたところで、志真が柊人の眉間を押して距離を取った。不意打ちのように押し戻された柊人は仰け反りながらも志真の周りをぐるぐると回って諦めることなく絡んでいる。

 そんな柊人を片手で捌きながらも志真の表情は変わらずぼんやりとしたままだ。


「ねぇ、志真。僕から見てもちょっといつもよりぼんやりしてるように感じるっていうか……その、悩み、とかあったりする?」


 志真の周りを離れない柊人を静かに押しのけ、肩を寄せる。遠慮がちに顔を覗き込んでみれば、志真も優海の顔を見上げており思いがけずバッチリと目が合ってしまい、優海の頬に僅かに朱色が差す。

 志真は特に照れた様子などは無いが、優海にも言われたという事実に少し驚いたのか改めて思考をまとめるように口元を手で触りながら口を開く。


「悩みっていうほどじゃないんだけど……今の時期は家にいると気まずくてさ」


 もちろんそれだけではないことを志真は理解しているが流石に口には出せない。志真にとって家に居ることがかなりのストレスだということは身に染みて分かっているものの、考えがまとまらないのはそれ以外の理由だろう。

 先日の兄とのやり取りの後、自身のストレスを抑え込むために衝動的にカッターナイフを手に取ろうとして自分の動きが止まったこと。そしてその一因として大きいのが優海の存在であるという事実。

 そう、つまりは優海との関係について悩んでいるのだ。

 志真が家の話をすれば、事情を知ってか知らずか優海はいつも少し苦しそうな顔をする。そんな顔をさせたいわけではないのだが、優海としても思うところがあるのか志真の実家については基本的にあまり深堀はしてこない。


「家帰りたくないってことっすか?それならオレと遊びに行きましょーよ♪」

「ぁー……それは難しいかなあ」


 事情を全く知らない柊人は純粋に家に帰りたくないタイプと受け取ったのか笑顔で志真の腕を掴み遊びに誘うが、あっさりと断られてしまう。明るい調子のまま諦めずに遊びに誘う柊人だが、それらも全て断られているうちに分かれ道がやってきた。


「今度絶対遊びましょうね!!あと今度美味しい物持ってくるんで、それ食べて元気出してくださいね!それじゃお疲れ様です!」


 時々離れたくないとごねて志真を困らせることもあるが今日は志真の様子が普段と違うこともあってかあっさりと離れ、元気に手を振りながら去って行った。こういった瞬発力というか溢れる陽気な空気感はどうあっても優海には出せないもので少しばかりうらやましくなる。

 だがここからは志真を独り占めできる時間でもある。普段の部活終わりであれば斗馬がまだ同じ帰り道の為ここから先も独り占めではないのだが、時折斗馬が急ぎで帰るときなどは二人きりの時間になるのだ。


「あのさ、志真が家に帰りたくないのって……お兄さんがいるから?」


 二人で歩き始めたところで、静かに問いかけてみれば一瞬目を見開いたもののすぐにいつもの表情に戻り、「うん。」と小さく頷いた。それ以上を聞くつもりはないが、頷いた後の志真の歩調がほんの少しゆっくりになったことに気が付き優海もそれに合わせて今まで以上にゆっくりと歩き始める。


「ねぇ志真、その、毎日とかは志真にとっても難しいかもしれないけど……もし帰りたくないなって思うときがあればいつでも僕の家に来ていいからね」


 決して負担にならないようにと言葉を選びながら隣を歩く志真に声を掛ける。ここで抱き寄せて優しい言葉の一つでも言えたのならば、もう少し志真の近くに居る存在になれたのだろうかとありもしない妄想が脳内を駆け巡る。

 しかし、志真はきっとそんなことを望んではいないだろう。昔と違い後ろ向きな考えが増えたとしても志真にとって優海が守るべき対象から変わっていないのはこれまでのやり取りから十二分に伝わっている。であれば不用意に志真に触れて拒絶されることだけは避けなければならないと、志真の頬へ伸ばしかけた手を下ろす。

 それに気付いてか気付かなくてか突然志真の目が弧を描き口元が広がった。


「……ふふっ、そうだな。その時はお言葉に甘えることにするな」


 そう言いながら笑った志真の顔は驚くほど美しく夕陽に照らされて、優海の心臓が大きく跳ねる。

 嗚呼、この笑顔を守りたい、ずっとずっと幸せに笑っていてほしいと心の底から願いが溢れる。だからこそ、この笑顔を曇らせる存在を優海は許せない。

 あの日の出来事、そして今、志真が家族のことで悩んでいるのは既に調べが付いている。悩んでいるというよりは家に居るとどうしても受験を控えている兄を意識せざるを得なくなりそれによって精神が不安定になっているのだろう。先日もどうやら兄とのやり取りで気力を削がれたらしいというのは昼休みに聞いた話だ。 

 優海は一人っ子の為、志真の言う兄弟仲の良し悪しというものはよく分からないが、どうにも上の人間の方が力を持ったり親に期待されやすいらしいというのは志真の家の話ではあるが、それらがどうやら志真の原動力でありトラウマの一つなのだと理解している。

 志真の口癖といっても可笑しくないくらいに、志真は「兄の方が優秀だから。」とことあるごとに話してはその言葉にまた自分で自分を傷付けていた。事実確かに志真の兄は文武両道で中高とどちらも生徒会に入っていたりと世間的に見ても優秀であることは間違いないだろう。

 部活動は個人競技で県大会上位入賞、そう、一人で実績を作っているという点で志真と違い父親にも評価されている――というのは志真の口から出た話だが。

 なおのこと優海にとっては気に入らない存在だ。以前見かけた時もそうだが、志真の兄はどこか志真を見下しているような印象を受ける。そしてそれは父親からの評価という点でもそうなのだろう。それらすべてが志真のことを落ち込ませ、気力を奪っていくのだ。


 だからこそ、志真には親や兄からの評価など何も考えず幸せに生活していてほしいとそう願ってしまうのだ。

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