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第二十七話「心配」

 保健室での治療を終えて教師との面談を行った志真だったが、その対応自体は意外にもあっさりと終了した。どうやら先に話を聞かれていたらしい早見と一部始終を見ていた生徒たちからの証言により『相手の拳を避けようとしたところ“偶然”振り回した手が当たってしまった』ということになっていたらしい。

 そもそも志真にある程度の心得があることを知っているのはあの場では優海と斗馬だけだろうし、早見も何となく察してはいるかもしれないが、実際にどうなのかまでは把握していないだろう。ここまでお膳立てしてもらったのだから厚意に甘えることにして無駄なことは言わずに教師からの注意だけ素直に受け入れ職員室を後にした。


 職員室を出ると保健室からずっと付いて来ていた優海が廊下で待っていた。たれ目気味な瞳がいつもより険しく細められ、どこか忙しなく視線を彷徨わせるその様子は普段の優海からは想像が出来ないが、どうやら目の前で志真が殴られたことがよっぽど衝撃だったらしい。

 落ち着かせるようにそっと手を取り、声を掛ける。


「お待たせ。変なことに巻き込んじゃってごめんな?」


 志真の体を隅々まで確認するようにゆらゆらと動き続ける蒼色の瞳が止まり、志真の紅い瞳を捉える。何かを言いたげに開きかけた口が閉じては開きを繰り返したところで、周囲にまだ人がまばらにいる状況を思い出し、荷物が置いてある教室へと足を進める。斗馬は先に帰ると言っていたし、今回ばかりは柊人も遠慮したのか姿は見えない。

 優海の手を取り先導しながら歩く状況にどこか昔を思い出しながら歩を進める。小学生の頃はよくこうやって優海の手を引いて公園に行ったり学校からの帰り道を歩いたりしたものだ。あの時も確か、同級生に絡まれていた優海を助けるべく相手の元へと飛び込んで殴り合いの喧嘩になったものだ。今になって思えば複数人へ殴り掛かる幼き日の自分に呆れてしまうがどうやら根本は中々変わらないらしい。


 夕暮れの教室で揃えに置かれた鞄を手に取ろうとしたところでようやく優海が口を開いた。


「……僕のせいで、ごめんっ……あの時、僕が声を掛けなければ……!」


 バランスの取れた綺麗な顔が僅かに歪み大きな瞳が水を溜める。ゆっくりと壊れ物でも扱うかのように治療を受けた志真の額を撫でる手は僅かに震えている。

 志真が殴られたあの瞬間から、優海の頭の中は後悔と自責の念でいっぱいだった。当然志真への心配が先立ってはいるが、相手の拳を受けてなお軽く揺らいだだけの体と当然と言えば当然のごとく相手を殴り返し、自身が殴られたことよりも咳き込んだ優海の元へと駆け寄るべく動かされた志真の足からは昔通りの頑強さが伺えた。となれば、本来であれば志真が殴られることなど万に一つもあり得なかったのだとすぐに脳内で辿り着いた。

 もしあの瞬間、優海が咳き込むことなく声を掛けていたら、もし優海が志真に心配されるほど体が弱くなかったら、ありとあらゆる思考がマイナスへと働き優海の脳内を埋め尽くす。

 少しでも強くなったと、志真を守れるだけの力を付けることが出来たと思っていたのは優海だけだったのかもしれない。いつまでたっても、自身が怪我を負ったのにも関わらず目の前で優海を落ち着かせるように優しく微笑んで見せる志真には届かない。

 傷を撫でる手が少しごつごつとした運動をしていることが分かる手のひらにそっと包み込まれ、反対の手でいつの間にか溢れていた涙を拭われる。


「優海が何ともなくて良かった。昔より健康になったってのは分かってるけど、無理はしないでほしいんだ。それに、いきなりあんな場面見せられて吃驚したよな、心配かけちゃってごめん」


 ゆっくりと優しく紡がれる言葉に拭われたはずの涙が再び溢れ出す。落ち着かせるように頭を引き寄せられ、身長差から志真の肩へと顔を埋める形になるが背中と後頭部をまるで赤子をあやすかのように優しく撫でられてしまえば離れようにも力が入らず、そのまま小さい志真の体を抱きしめる。

 怪我をしているのは志真なのだから本来であれば反対になるべき状況にもかかわらず、縋りつくように志真の体を引き寄せそのぬくもりを感じれば、やはりもっと大切にしなければという強い気持ちが湧いてくる。すぐに涙は止まったが、離れがたいその温もりに顔が見えないのを良いことに少しだけ体重を預けた。それでも志真は変わらず優しく背中を撫で、黙って優海の体を受け止めてくれた。


「落ち着いたか?」

「……ぅん。怪我したのは志真なのに、僕の方が動揺しちゃって……ごめん」


 しばらくして静かに体を起こせば、志真から優しい声と共に頬を撫でられる。こういうところが無自覚に人を惹きつけて離さないのだと、どうか他の人にはやらないでくれと思ってしまう自身の独占欲に心の中で苦笑いをする。昔のような自分ではないと自信なさげに俯きがちな志真ではあるが、こういった部分は志真が思うよりもというよりは、本当に一切変わっていないとさえ思う。今回だって志真に対して攻撃的だったはずのあの女子生徒をなぜか気にかけてあまつさえ助けに入っている。昔からそうだ。たとえ志真をいじめていた人間であったとしても困っていれば声を掛けることを躊躇わない、そんな志真だからこそ幸せになってほしいと、自身の手で幸せにしたいと心から思うのだ。もちろん、他人に手を差し伸べられなくなってしまったとしても、優海にとって志真を幸せにしたい、大切にしたいと思う欲求は変わることは無いが。

 二人並んで帰り支度をして、帰路につく。志真の怪我の調子が家族に気が付かれないくらいに収まるよう少しばかり優海の家で時間を潰す。肉体強度の違いか、はたまた相手の拳が大したことがなかったのか、しばらく様子を見た後に保健室で貼られた湿布をはがして見せれば小さなたんこぶのようになっていたが、青くなることもなくパッと見ただけでは怪我をしたかどうかも分からない程度になっていた。

 喧嘩をして殴り、殴られたなどと志真の家族に伝わればどう思われるか分からない。学校から連絡が行っている可能性もあるが志真も相手の生徒も大事になることは避けたいという認識は一致していたらしく、三年生の男子生徒と一年生の女子生徒との間で揉め事があったという報告にまとめられ、お互いに暴力については何も話さない、というか志真が関わった事実も表に出さないという結果になったらしい。

 目撃者はそこそこいるものの、志真の知り合い自体が少なく家族にまで噂で伝わることは今の学校であれば少なくとも無いだろう。

 学校からも単に生徒同士のトラブルに巻き込まれたという話がされるはずで、その際に軽く手が触れただけという体にできる程度の怪我であることは幸いだ。


「まあ、うちの親はあんまり俺に興味ないし体裁が悪くなければいいから。大げさに湿布張ってるよりこっちの方がましだろ。そもそもあんまり痛くもなかったし……」

「相変わらず志真は強いね。でも本当に痕とか残らなさそうで良かった」


 志真の自宅へ向かう途中の道まで見送り、改めて考え事をしながら優海も自宅へと引き返す。

 学校の対応としては体裁もあり暴力事件など表沙汰にはしたくないだろうが、優海としては別だ。志真が優海の軽率な対応のせいで殴られてしまったこと、それ自体は自責の念と申し訳なさでいっぱいであるが、志真を殴ったというかの男子生徒へ向ける感情は到底生易しい“処理”で終わらせられるものではない。そもそも、志真を傷付けた時点で彼のその先など無いに等しいのだ。


「志真に知られたら幻滅されちゃうからね。僕もあの女子と対して変わらないことしてる自覚はあるけど……それでも、志真を傷付けた相手を許すことなんて……ないよね」


 長くなった日が落ちかけて少し星空が見えてくる。静かな暖かい風が優海の頬を撫で、先ほどの志真の手のひらを思い出す。

 嗚呼、これは自己満足だ。志真が望んでいるかどうかなんてものはどうでもいい。自身の大切にしている存在を傷付けられて平常でいられるはずがないのだから。

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