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第二十六話「変化」

 それは純粋な興味だった。

 陰ながら動いていた女子生徒――早見といったか――を牽制した後、改めて優海に手を出すことがないか動向を見ていたところ、どうやら彼女は本当に優海に手を出すことは辞めたようで日々の学校生活を普通に楽しんでいるようだった。監視しているようで居心地は悪かったが、これも優海と過ごす穏やかな日々を守る為と思えば少しばかり心が和らいだ。

 もう手を出すことは無いと分かっていながらも意識して追いかけていた人物というのは目に入ってしまうもので、時折こちらに気付いた様子を見せる彼女に軽く手を振ってみたりもしたがほとんどの場面において一瞬足を止めた後にそのまま気が付かなかったフリをして立ち去ってしまった。

 相手からしてみれば次はないぞと脅されているようにも思えるのだろうと勝手に結論付けて、以降は同行に注視することはしなかったが、見かけた際には特に気にすることなく簡単な挨拶をしていた。

 だからだろうか、彼女の周囲が少しばかり気になってしまった。というのも視界の端々で不穏な動きをする男子生徒の姿をよく見かけるようになったのだ。かつては優海を害する敵のような存在ではあったが今となっては単純に視界に入る後輩の一人である彼女の人間関係を探る、というと聞こえが悪いが知ってしまいたくなったのだ。敵であれば容赦するつもりはないが、半分味方というか可愛い後輩という部類に入り込んできてしまった彼女の不幸を望むことはしたくない。


 そんなことを考えながら、それでも、少しばかり後悔をしているのが今だろうか。いや、きっと後悔することはないだろう。ただ自己嫌悪に苛まれる可能性が上がるだけだ。その昔ヒーロー気取りで困っている人を見かけては助けになろうとただ純粋に――いや、純粋な気持ちだと思っていただけで本当はなんてことない自己満足と承認欲求だったのだが――手を差し伸べていた幼き日の自身を思い出して。

 優海と過ごすうちにほんの少しではあるが昔の感覚が戻ってきているような気がしていた。自信に満ち溢れていたあの時の感覚が。だから、咄嗟に前に出てしまった。


 目の前で気にかけていた後輩に振るわれる暴力を見逃すことは出来なかったから。


「流石に、手は出さない方がいいんじゃないですか?」


 後輩――早見の顔面へと迫った拳を受け止め、そしてその拳を振るった張本人である恐らく先輩にあたるであろう男子生徒へと言葉を投げかける。


 優海から用事が出来たため一緒に帰れなくなるとの連絡を受け、仕方がないかとのんびり帰り支度をしていた時、ふと中庭に見知った顔が目に入った。男子生徒と会話をしているように見えたが流石に校舎の中からでは会話までは聞こえない。明るい空に天気は良いはずだがどこか冷たい風を感じて胸の奥がざわついた。

 こういう時の違和感は昔から外すことがない。適当に鞄に荷物を投げ入れ、最短ルートを計算しながら中庭へと向かう。志真のいた教室から姿を捉えることは簡単だが、実際中庭に出てしまえばかなり奥まった場所だ。まだまだ生徒がいる時間ではあるが気が付く人は少数だろう。僅かに上がる息に相変わらず体力は衰えたままだと自己嫌悪に至りながらも校舎内から見かけた場所へ辿り着く。

 校舎の壁に遮られ、どこか静かな空気を漂わせるその場所にゆっくりと足を踏み入れればその場に似つかわしくない怒声とも取れる叫び声が聞こえた。


「ふざけるなよッ!!俺がどれだけお前に尽くしたと思ってる!!!!」


 話の流れは分からない。ただ、その声と振り上げられた拳が目に入った瞬間に体が動いていた。正義のヒーロー気取りと笑われても仕方がない。それでも怯えた様子で志真の背後に蹲る早見を見て、間に割って入ったのは正解だと自身を納得させる。

 まさか拳が止められるとは思っていなかったのか、はたまた脅しで殴り掛かっただけで本当は当てる気が無かったのかは分からないが、男子生徒は半狂乱になりながら志真へと声を荒げる。


「ッ邪魔すんじゃねぇよ!!くそチビが!!お前がこいつをたぶらかしたのかァ!?あぁ!?こいつが、協力すればいい思いさせてやるっつーから今までこき使われてやったってのに、いきなり連絡とるのをやめるだとか言い出すからッ!!俺が教育してやってんだろうが!!使うだけ使ってはい、さよならなんて都合のいいこと通るわけねーだろ!!」


 話を聞く限り、少しばかり都合のいい解釈をしているものの優海を狙っていた際に手駒にでもした生徒なのだろう。自業自得ではあるがそれでも暴力に訴えるやり方はいただけない。それも明らかに体格的にも力関係としても劣る相手に手を出すなど言語道断だ。

 拳を掴んでいる手を振り払い、二度、三度と力を込めた腕が振るわれる。咄嗟に手で払い、体を逸らして避けるが、当たらなかったことで更に怒りが増したのか腕の次は足、脚の次はまた拳と容赦ない攻撃が志真へと降り注ぐ。所々受け止めつつ、胸倉が掴まれそうになればその手を払いのけあくまで防戦に徹する。騒ぎに気が付いたのか教員を呼びに走る生徒や野次馬のように様子を伺う生徒たちが増えてくる。

 あまり目立ちたくはないのだが、とさらに激しさを増す攻撃を捌きながらどうにか折り合いが付かないものかと志真の後ろで縮こまる早見と目の前の男子生徒を確認しながら小さく息を吐く。

 程よいところで一発お見舞いして片を付けることも出来なくはないが、正直なところあまりやりたくはない。というのもその昔ヒーロー気取りでいじめっ子と喧嘩をしていた時に自身も手を出したことを諫められた経験から手を出すのは良い手ではないと知っているからだ。かといって殴られて怪我をするのも嫌なのは事実だ。

 どうしようか、と力比べのような状態になりながら考えていたところで遠くから聞き馴染んだ声が聞こえてくる。


「志真!!大丈夫!?――……ゴホッゴホッ」


 急いで走ってきたのであろう、自身の名前を呼ぶ声とせき込む音に思わず意識がそちらを向く。いけない、優海は心臓が弱いのだからそんなに激しく運動をしたらまた、倒れてしまう――と、もうほとんど治っていると知りながらも昔のヒーロー気分が少しばかり戻っていた志真は目の前の相手よりも優海の健康を心配したところで、しまった、と眼前に迫る拳の陰に――やっぱり少しだけ後悔した。


 ゴッーー


 鈍い音が響き、志真の体が僅かに地面に向かって揺らぐ。殴られた、と認識した時には既に無意識のうちに握った拳の甲が相手の顎をまっすぐ打ち抜いていた。小さく上がったうめき声と仰向けに地面へと倒れこむ体を見て、反射的に手を出してしまったことに気が付く。

 やっぱりヒーローの真似事なんてするもんじゃない、と鈍い痛みと熱を持ち始めた額に手を当てながら空を見上げる。憎たらしいほどに綺麗なグラデーションを見せる空は痛みのせいか少しだけ赤色が強く見える気がした。


「っ、志真!なにか冷やすもの持ってこないと……!いや、保健室――」


 息を荒げながら駆け寄ってきた優海の顔色がどんどんと悪くなっていく。嗚呼、そんなに顔色が悪くなったんじゃ折角健康になって来たのに、と変わらず思考がトリップしたまま戻ってこない。一緒に走ってきた斗馬が倒れた男子生徒を無理やり起こし、何やら話をしているようだが何を言っているのかよく分からない、というより一気に上がった体温と巡りの良すぎる血液がドクドクと体中で脈打ち言葉が上手く聞き取れなかった。

 その後、周囲で見ていた生徒が呼びに行った先生がやってきて、手当をしたら職員室に来るようにとその場にいた当事者たちへ告げられ、特に怒られるということは無かったが少しばかり話をしてその日は解散となった。

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