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第二十五話「心臓」

「僕は……」


 斗馬に問いかけられた時、この志真の友人を名乗るーーいや、親友を名乗る男は本当に志真を大切にしているのだとはっきりと分かった。もちろん今までそう感じていなかったわけではないが、誰に対しても同じ態度で接することが多い斗馬が志真に対して特別な対応をしている様子をあまり見かけなかったからこそそう思えなかったのだ。

 しかし、優海の想像以上に彼は志真のことを大切に思い、そして優海のことを警戒していた。

 それは今までの経験からくるもので志真を守るための手段でもあったのだろう。再会した頃よりも確実に明るくなってきている志真ではあるが、根本的な心の傷自体が完全に癒えたわけではないと言うのは優海から見ても明らかであり、優海に分かっていると言うことは斗馬にも分かっていたのだろう。


 だからこそ、彼の目を見てはっきりと確実に応えなければならない。


「僕は、志真のことを絶対に裏切らない。何があってもだ」


 いつになく強い口調で言葉が飛び出てしまったが、まあいいだろう。それくらいの覚悟があるということが伝われば優海にとっても本望だ。

 そもそも優海にとって志真は世界の全てであり生きる意味そのものなのだから、それを裏切るなんてことは自ら命を断つことに等しい行為だ。それくらい志真という存在は優海の中に根付いておりそれこそーーこの心、心臓を捧げるに値する相手なのだ。というより、あの日からずっと優海の心臓は志真のものなのだ。

 あの日、小学生の子供たちが何気なく行った会話、ただそれだけ。志真にとっては記憶にも残っていない取り留めのないただの言葉が、この世界に命に絶望していた優海の救いでありこの世界でただ一つの真実になったのだ。


 そう、それは本当に何気ない生活の一部のただの会話の一節だった。

 心臓の病気を患っているということは幼いながらに理解しており、志真にもそんな話を時折していた幼少の頃。当事者ではない当時は健康優良児といって差し支えのない志真からすれば想像自体難しい出来事かもしれないがそれでも当たり前のように志真は受け入れていた。

 優海の体を気遣い、太陽のような笑顔で友達なんていらないと世界は全て自身の敵だと思っていた優海の心を溶かし包み込んだ。今思えば大人たちだって優海の味方だっただろうし、優しい言葉もたくさんかけてもらっていたはずだったが、やはりそれらは人生を長く生きているからこそどこか諦めや慰めなんて感情も含んだ言葉だったと子供ながらに感じていたのか、当時の優海には響かなかった。

 だが、同じ年齢で同じように子供として遊んでいた志真の言葉だけは心の奥底に、何重にも鍵を重ねて決して誰にも触れられまいと頑なに閉ざし続けた優海の感情を揺さぶった。あまりにも真っ直ぐで、それを穿った考えで受け取ることのほうが心にダメージを負ってしまいそうなほど素直な言葉。


 心臓の病気を知った志真が語った言葉だ。

『ドナーって知ってる?この前テレビでやってたんだけどさ、病気の人に体の一部をあげると病気の人が治るんだって。だからさ、もしおれが……そうだな、なんかあって死にそうなことがあったら、おれの心臓優海にやるよ』

 新しい言葉を覚えたての子供が使いたかっただけの、ただ、それだけのことかもしれない。きっと健康だった志真には想像をすることも出来ない苦しみではあっただろう。それでもその言葉を聞いた瞬間に弱っていた心臓が大きく脈打ったのを覚えている。ドクドクと大きな音を流しながら全身に血液を送り出す心臓は今まで止まっていたんじゃないかというくらい激しく動いて優海の全身に熱い血を巡らせた。

 ただ語られただけの言葉が、現実となり本当に志真の心臓になったのではないかと錯覚するくらい大きく動く。いや、きっとその時には優海の体に志真という心臓が刻まれたのだろう。どれだけ辛いことがあったとしても今動いているこの心臓が、志真の与えてくれた命だと思えば耐えることができた。治療だって正直もう二度と受けたくはないくらい苦しかった。それでも今こうしてここに立っていられるのはあの時の志真の言葉があったからだ。

 真偽なんて正直どうでも良い。志真の心臓を本当にもらうことなんて出来ないけれど、それでもあの瞬間から優海の心臓は志真の物なのだ。


 生きる意味を、心を動かす感動を、世界の美しさを、その全てを優海に与えてくれたのは志真なのだ。


「僕の心臓は志真の物だ。誰に何を言われようとも僕が志真の側を離れることはないし、裏切るなんて僕が許さない」


 胸元を強く握り締め、制服のシャツにシワが寄るがそんなことは気にならない。手の下でしっかりと脈打つ心臓が全てを伝えてくれる。この命を志真のために使いこそすれ、志真から離反することなんてあり得ない。それこそが志真を幸せにして見せると誓った己との約束なのだから。


「そう、か。そこまで言ってもらえるなら俺も安心した」


 ふ、と固くなっていた斗馬の表情が緩む。体格の良さや鋭い目つきから怖い人間だと思われがちの斗馬だが、穏やかな表情を見せるその姿が本来の姿なのだろうと優海にも理解できる程度には和らいだ表情の方が自然であった。

 

「長話に付き合わせて悪かったな」


 そう軽く告げる斗馬の態度に、優海の体からも力が抜ける。どうやら親友のテストには合格したらしい。試される謂れはないはずだが、それほどまでに志真を気にかけ心配してくれる人物がいると言うのは優海にとっても喜ばしいことだ。志真を幸せにするのは自分であるが、だとしても志真には幸せに囲まれて何の憂いもなく過ごしてほしいと考えており、そのためには少しでも志真を大切にする仲間、同士とも言える存在が必要不可欠だ。

 見たところ友人としての感情以外は持ち合わせていないようだし、敵となることはないだろう。


 落ち着いた様子を見せる優海の様子に斗馬も安堵していた。そして優海が出してみせたこの結果にも満足していた。と言うのも、もし優海が志真を傷つけ得る存在であると分かった暁には無理矢理にでも引き剥がし志真に近付けさせないことも視野に入れていたからだ。

 過干渉と言われてしまえばそれまでだが、それをしてもなお志真の心を守るには足りないだろうと思っている。それくらい彼の心は傷つき壊れているのだ。いまでこそ奇妙なバランスで成り立ち活動しているもののふとした瞬間、何かの拍子に以前の状態に逆戻りしてもおかしくないくらいの状態なのだ。

 斗馬も志真に救われた人間の一人である。

 優海ほどの劇的な話や盛大な信仰を寄せているわけではないが、当時の志真は存在するだけで誰かの救いになれるような太陽のような存在だった。そしてあまりにも強いその光は、陰ったと思われた瞬間に人々からの興味を失い強い光に焼かれた影のように彼を蝕んだ。

 だからこそ、昔のような太陽に戻ってほしいわけではなくただ一人の人間として蝕まれることなく健康に過ごしてほしいと、ただそう願うのだ。


 そう、これで落ち着いたはずだった。

 優海の感情を確認し、志真の今後についてもきっと安泰だろうとその場にいた斗馬も優海も共通して思っていたに違いない。そんな穏やかな空気が走り込んできた存在にかき消されるまでは。


「いた!優海!!」

「廉也?何でここに……帰ったんじゃなかったの?」


「斗馬先輩!!急いできてください!」

「お前、そんなに急いで何かあったのか?」


 ほぼ同時に廉也と柊人が駆け込んでくる。そして次の瞬間、発された言葉に勢いよく走り出した。


「「夢渡/先輩が、3年生と暴力沙汰になってる/ます!!」」


 なぜ、世界は彼の心に平穏をもたらしてくれないのだろうか。

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