第十七話「観察」
保健室で湿布だけを貼ってもらい、体育館へ戻る途中同じく部活動中である彼女とすれ違った。体育館から離れた場所に居たのが珍しかったのか声を掛けられるも、柊人の頭の中は先ほどの志真とのやり取りでいっぱいになっており具体的に何を話したかは記憶にない。ただ、にこやかに笑う彼女の表情を見て彼もこんな風に笑うのだろうかと脳内に過ぎった考えを振り払ったことだけは覚えている。
体育館へ戻ると先ほどまでのゲームは終了しており、練習メニューも終盤へ差し掛かっていた。辺りを見回してみるが志真の姿はない。マネージャーの手伝いをしているのだろうかと体育館の外を気にしながら練習へと合流すれば、副部長の田中がにこやかに出迎えた。
「お、戻ってきたか!志真に喧嘩売ったんだって?お前も結構やるな~」
「……ウス」
音を立てながら背中を叩かれる。田中のようにあからさまにしているわけではないが、他の二年生も同じように考えているのか苦笑いを浮かべて柊人を労った。中にはあの筋肉だるまにぶつかりに行くなんて、と呆れている者もおり、あの場で志真の方が飛ばされると考えていたのは一年生たちだけだったことがうかがえる。
「夢渡センパイって、そんなに強いんスか」
「あれ、俺らが大会練習してる間って志真に見てもらったんじゃねーの?コンタクト練習とかでわかんなかった?」
普段の練習では基本的にマネージャーと同じ立場か基礎練習にしか参加しておらず、大会期間中も一年生の練習を見てはいたがほとんど一緒に練習をすることは無かった。当然ながら一対一の練習にも志真は参加していなかったため、そのことを田中へ伝えれば休憩に来た斗馬が隣から話に入って来た。
「大会中は俺らの練習に合流するために体力温存してたんだろ、あいつスタミナだけはマジで回復しないからな」
「あー、確かに。一年のメニューこなした後に俺らとゲームやったら流石にぶっ倒れるもんな」
当たり前のように続けられる会話に柊人は思わず息を呑んだ。通常の部員としてではなくあくまでマネージャーを兼任している部員という立場で普段から練習に参加している志真が大会メンバーと一緒に練習している場所など見たことが無かったからだ。
大会期間中はレギュラーや上級生が体育館をメインで使うため一年生は基礎練や体力作りを終えると早めに帰宅させられていた。時折ボール拾いや手伝いとして参加することはあったが、基本的には面倒を見る余裕が無いからという理由で早々に帰されていたのだ。その為一年生の練習を見ていた志真も同じように帰宅しているものだと思っていたがどうやらそれは思い違いだったらしい。
「オレらの練習見た後に、斗馬先輩たちと試合してたんですか?」
「ん?あぁ。一年は知らなかったのか。ま、俺ら人数そこまでいるわけじゃないしガード出来るやつも少ないからな。志真なら中学の時もPGやってたし、体力が無いってことを除けばスタメンでも可笑しくないくらいには実力あるし……本人は全くやる気ねーけど」
「な~!俺も普通にやって負け越してるし、身長と体力以外に欠点がないんだよな志真は。センター以外ならどのポジションもやれるしマジで万能すぎる。流石は県大会経験者っつーか、中学の時は志真がキャプテンだったんだろ?なんでバスケ真面目にやるのやめちまったのかね」
次々と語られる内容に柊人の脳内は混乱でいっぱいになっていた。心の何処かで、というレベルではなく明らかに自身より下の実力だろうと思っていた人物が周囲の人間からすればかなり上位の実力であるということが当然で、そしてそれを本人はおくびにも出していなかった。その事実が再び柊人の顔を羞恥に染めさせた。
田中はある程度話し終えるとそのまま練習へと戻っていき、その場には斗馬と柊人だけが残された。斗馬の表情は先ほどから堅いままだ。部長としてもそうだが、志真とは中学生の頃からの付き合いということもあり柊人の態度に思うところがあるのだろう。
「柊人、ちょっと裏で話すか」
「は、はい……」
終盤とはいえまだ練習が続いている中で話すべきではないと判断したのか、体育館の裏手へ呼び出される。中では練習が続いているが外に出てきた二人を顧問も特に止める気はないらしい。いや、斗馬が既に話を通しているだけかもしれないが、どちらにせよ柊人には分からないことだ。
「大会期間中、志真一人に一年のこと任せっぱなしだったし、お前らのこと見れてなかったっていうのは悪いと思ってる。けど普段からもそうだし特に今日のは度が過ぎてたってのは理解してるか?」
「はい。すみません」
斗馬から平坦な口調で柊人の態度に対する苦言が呈される。表情は普段と変わらず真顔ではあるが怒っているようには見えない。しかし、自身に非があることは明らかだったため素直に認めて謝罪をする。
心からの言葉と言い切るには若干軽いかもしれないが、素直に良くなかったとは思っておりその気持ちは斗馬にも伝わっているのか少しだけ表情が和らいだ。
「分かってんならいいよ。志真の部活への参加の仕方が特殊ってのは俺らも分かってるし、そこを一年にいきなり理解しろっていうのは無理だとも思う。ただ、陰口みたいなのは良くねぇから。志真についてなんか言ってただろ」
「えっと……」
思わず口ごもる。実際、志真に対する愚痴のようなものが出ていたのは事実だ。さらに言えば内容によっては志真の名誉を毀損するような話も当然していた記憶があり、それらを陰口ではないと言い切ることが出来ないのは柊人が一番よく理解していた。
視線を話迷わせながら恐る恐る口を開く。
「すみません、実力無いのに偉そうにしてるとか、言ってました」
言い終わってから、詳しい内容まで言う必要はなかったかと斗馬の表情を盗み見ようとしたところで急激に重くなった空気に咄嗟に視線を下げた。
それまでは真顔かどちらかと言えば柔らかい表情と声色だったはずの斗馬の口からワントーン低くなった声が聞こえる。
「それ、志真の前で言ったりしてないよな?」
「ッ……!い、言ってない、です……!」
手のひらにじんわりと汗が滲み、緊張で筋肉が軋むのを感じる。斗馬の方を見て否定したいものの静かなのにも関わらずのしかかる様なあまりのプレッシャーに足元しか視界に入らない。
声を荒げる時よりも確実に怒りを蓄えているであろうその様子に汗が頬を伝ったところで意図的に明るくしたであろう斗馬の声が続いた。
「なら、いい。詳しくはプライバシーに関わってくるから言えねーけど二度と言うなよ。そもそも一年の中で志真より上手い奴いねーんだからあんま調子乗んなよ……ま、今日ので実力差は分かったと思うけどな」
「はい。すみませんでした」
「別に俺に謝ってほしいわけじゃないし、志真も謝罪されたいとか思ってないから変に言わなくていいからな。ただ、流石に舐め腐った態度続けるようなら俺も注意しないといけなくなるから、気をつけろよ」
「……ッス」
話を終えると既に他の部員たちは片付けをしている最中だった。急いで片付けに加わり、その日はどこか心が浮いた状態のまま一日が終わった。
それからというもの、柊人の視界にやたらと志真の姿が入ってくるようになってしまった。
意図的に見ていると言ってしまえばそれまでなのだが、どうしても認めたくない自身と戦いながら志真という人物がどのような人間なのか、バスケの実力で負けただけで実際のところは周囲がいうほど良い人間ではないのではないかと見極めたい一心で観察を続けた。
しかし、観察を続けて得られたのは志真がただただ良い人間であるという事実だけだった。
学年が違えば当然日常で出会う機会は少なく、必然的に部活動の前後や部活動中に観察するしかなくなるのだが、その時間帯だけでも志真は周囲を気にかけることが出来、それを自慢することも無いそんな人間だった。
マネージャーの手伝いをするときは重い荷物を率先して運び、何をすればいいのか迷っている一年のマネージャーにはさりげなく次の仕事を教えたかと思えば、練習中に飛んできたボールもしっかりと受け止めて投げ返す。
練習中も今までは分からなかったが基礎的なフォームや動きに無駄がなく、練習の場面でほとんどシュートを外さない。体力が無いのは事実なのか時折、列を抜けて息を整えているが流れを止めるようなこともなく自然に再度合流している。練習だけに集中しているように見えて周囲もよく見ており、靴紐がほどけかけていることをさりげなく伝えて順番を交代したり、体力的に辛そうな一年生には休憩を促したりもしていた。
そしてその視界には柊人のことも当然入っている。
「飯田。水分ちゃんと摂れよ、あんまり飲んでないだろ。……腕、この前のが原因か?上げ難そうだけど」
「あ、いや。この前のは大丈夫っす。今日寝違えただけで……ぇと……」
会話が上手く続かない。柊人の人生の中で会話が上手く続かないなんてことは今まで無かったのだが、どうも志真を前にすると緊張でうまく言葉を紡げなくなるらしい。
それを知ってか知らずか他の部員たちよりも柊人に話しかける頻度が少ないような気もしており、そのたびにそんな些細な違いを気にするくらい志真について考えてしまっている自分に気が付き柊人は頭を抱えていた。見れば見るほどに目が離せなくなってしまっている。
柊人から見た志真は、当初は気に食わない先輩という立ち位置だったが、いつの間にかその関心の中に入りたい、自身のことを気にかけてほしいと思うほどに夢中になっていた。
誰に対しても一定の距離感と優しさを持っているが、友人だという斗馬に対してはその表情や雰囲気が僅かに柔らかくなる。そんな些細な違いも見逃したくないと、いつかその柔らかな表情を自身に向けてほしいとさえ思っている。
ふわりと揺れる黒髪に、何を考えているのか分からないミステリアスな赤い瞳、その瞳の中心に映りその柔らかな髪へ触れることが出来ればどれほど良いものか、と初めて抱く感情に戸惑いながらもどこか温かい気持ちになるのだった。




