第十二話「お泊まり」
遂にお泊まり会がやってきてしまった。
部屋は十分に片付けたし、食べ物や飲み物も一通り用意した。といっても志真は基本的に緑茶か麦茶を飲む為適当なお茶パックを用意しただけである。あまり大量に用意するのも違う気がして志真の好物であろう物を少しだけ冷蔵庫に入れておいた。本人が食べるかどうかはわからないが。
ソワソワとフローリングにクリーナーを滑らせながら待っていると、チャイムが鳴った。慌てて掃除道具を片付けて玄関を開けると、お泊まり会だからかこの前の出かける時よりもラフな格好をした志真が立っていた。
「いらっしゃい、暑かったでしょ。入って」
「うん、お邪魔します」
志真が自宅にいる。
キョロキョロと周囲を見渡しつつ家に上がる志真は少し浮き足立っているようにも見えた。志真にとって友人の家に上がると言うのはかなり珍しい部類のことであり、考えてみれば斗馬以外の家に上がったことは無いかもしれないと今更ながら緊張している。
「な、何する?課題やってもいいし、その一応ゲームとかもあるけど」
優海からの提案に少しだけ悩む。名目上は夏休みの課題を進める為に遊びにきているので課題を進めないと親から許可を出した意味がないと言われてしまう可能性がある為、どちらにしろ課題をやることは確定なのだがせっかくのお泊まり会で遊びをしないというのも癪だ。
「ん〜、先に課題終わらせて残り時間で遊ぼう。その方が気にせず夜まで遊べると思う」
「そうだね!そうしよう。じゃあ、えっと……僕の部屋でやろっか」
すんなりと決まった流れに合わせて自室での勉強を提案すると特に気にすることなく志真は了承した。優海からしてみればかなり気合を入れた提案だったのだがやはり対して意識はされていないようだ。
そもそも家には優海一人で住んでいる為広いリビングで勉強してもいいし、実際ゲーム機などはリビングにおいてある為遊ぶ時はリビングに来ることになるだろう。しかし、自室に招き入れるということをどうしてもやりたかった。
2階の部屋を案内した後、飲み物を用意するために一度キッチンへと戻った優海は静かに深呼吸をした。志真が自室にいる。その事実に胸が高鳴り表情を取り繕えていたか心配になる。いや、大丈夫なはずだ。
お茶を用意し、部屋に戻ると志真が先に勉強道具を広げて待っていた。ありがとう、と言って飲み物を受け取る志真は少しそわそわしているようにも見えたがいつも通りで安心した。
「何からやる?僕は結構進めちゃってるんだけど、残ってるやつってどれくらいある?」
「大体半分くらいはやったかな。現代文だけ終わらせてあとはまだ残ってる」
「志真ってそういえば、夏休みの初めに半分くらいやってあとは最後の一週間で頑張って終わらせてたよね」
「否定はしないけど……まぁでも、優海が誘ってくれなかったら最後まで残ってたと思うから助かった」
恥ずかしそうに目を逸らすものの中学生の時も変わらず似たような課題の残り方をしていた為、こうやって強制的に課題を進める機会をくれた優海には本当に感謝しているのだ。
それからは黙々と課題を進め、時に分からない部分を教え合いながら夕方ごろにはある程度課題が片付いていた。というより優海はほとんどの課題を終わらせてしまっていた為、ほとんど志真の課題を終わらせるために試行錯誤していたと言うのが正しいのだが。
一緒に勉強してわかったことだが、二人の得意科目は完全に分かれているようで志真は文系、優海は圧倒的に理数系が得意だったため、それぞれが教え合うことが出来たのが早めに課題が終わった一因でもあるだろう。
「なんとか終わったね、まだ夕方だし。あ、お菓子とか食べる?」
「俺持ってきた。クッキーとポテチ……適当に買ったけど、た、食べれるよな?」
カバンからお菓子を取り出しつつ確認をする志真に問題ないと答える。というより志真が持ってきた物ならばなんでも大歓迎のため気にする必要はないのだが、その辺りを気にするのも志真らしくて笑みが溢れる。
飲み物のおかわりをとって戻ってくると、疲れたのか志真が机に突っ伏して目を閉じていた。寝ているわけではないようだが、これは少し近付くチャンスかもしれないと持ってきた飲み物を置いて志真の隣へと腰を下ろす。
「志真?疲れちゃった?」
そっと肩に手を置きながら声をかけると、うっすらと目を開けた志真が僅かに手に顔を寄せた。思わず飛び跳ねそうになる心臓を落ち着かせながら微妙に寝癖の残る志真の髪の毛を撫でる。これは夢だろうか、いや、この感覚は夢ではない。と指先に感じる体温の温かさにじんわりと汗が滲む。
「なんか、こうやって優海の家で勉強とか昔は考えられなかったから。いいなって思って。教えてもらってばっかりだったから、その、あんまり勉強得意じゃなくてごめんって感じだけど」
静かに体を起こしながらそう言って苦笑いする志真に思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが我慢して、志真の顔に張り付いた髪の毛を整える。
こんなにも近くで触れていてもきっと志真にとっては友人の一人で、ともすれば劣等感を刺激してしまう存在なのだろうと少し悲しく思うが、これ以上は高望みしすぎだろうと思い直す。
「得意じゃないって言っても志真ってそんなに成績悪くないでしょ。それに僕は、運動苦手な分は勉強で取り返さないとって思ってただけだし。昔からずっと志真に引っ張ってもらってたから今こうやって志真の助けになれてるなら……それは、すごく嬉しいな」
そっと志真から手を離し、本心を告げるが志真の表情は読めない。無表情なりにも感情が出やすいはずだがこの時ばかりは高鳴る心臓と隣にいる志真に緊張してあまり顔を見ることが出来なかったからかもしれない。
少ししんみりしてしまったかもしれないと慌てて取り繕うように志真に笑いかけると、そっと頭に触れる感覚があった。志真が伸ばした手が、優海の頭に触れてぎこちなく動く。撫でられている。と認識した時には急激に顔に熱が集まり取り繕う暇もなく赤くなっていくのがわかる。
「えっ、あ、し、志真?どうしたの」
「なんか不安そうだったから。昔はよく泣いてる時にこうすると落ち着いた気がして……ごめん、もう昔の優海じゃないのにな。でも、そうだな……俺は結構、優海に助けてもらってる、と思う。課題もそうだし、学校でもあんまり俺友達とかいないから。優海が話しかけてくれて嬉しいよ」
志真は何も変わらない。本人は昔の自分と変わってしまったと負い目に思っているかもしれないが、優海からしてみればその本質は何一つとして変わっていない。いつも優しくて、誰かを思うことが出来る優しい人。
頭を撫でている志真の手を取り、勢いのままに立ちあがろうとしたところで足元のクッションに躓き、バランスを崩してしまう。大きな音を立てて志真の方へと倒れ込んだ体はそのまま志真を巻き込みーー押し倒すような形になってしまった。
「ご、ご、ごめん!!わざとじゃなくて!」
「大丈夫。怪我はないか?」
少しクセのある黒髪が床に広がり、普段前髪で隠れている左目がチラリと覗く。焦る優海とは反対に落ち着いた微笑みを浮かべる志真は押し倒されているにも関わらず冷静だ。まぁ、ただの事故だからと言うだけなのだが。
それでもいつもよりラフな服装をした志真のゆるく開いた首元や倒れた衝撃で僅かに捲れて顕になった腹筋にどうしても優海の目が動いてしまう。自身の下で緩く笑う志真の姿に確かな体格差を感じるのも優海の鼓動を速くさせる。
キャパオーバーになり、支えていた腕から力が抜けて志真の上へと倒れ込む。
「ごめん……!」
「ふはは、いいよ。相変わらず筋力ないんだな」
体を支えきれなくなったと解釈されたのか、抱きつく形になったと言うのに志真は笑っている。簡単に体を起こした志真はそのまま横に倒れている優海の腕をとって体を起こさせる。こう言うところにふと志真の力強さを感じで何度でも惚れ直してしまう。
「お菓子食べようぜ」
そう言って笑う志真は先ほどまでの落ち込んだ雰囲気はなく、元気が出たようだ。
緊張と恥ずかしさ、そして志真との距離の近さに真っ赤になった優海の首元には気が付かないでくれたようで少しだけホッとした。
まだ、お泊まり会は続くのだが、自身の心は持つのだろうかと自問自答する優海だった。




