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二匹の鼠  作者: 春夏かなた


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第5話 裏切られた上月

阿茶屋は目を見開いたまま、隣で神妙な顔をしている涼音をまじまじと見つめた。


「……うっそだろぉ」


やがて堪えきれなくなったように顔をそむけ、ぷっと吹き出す。


「お、お前が隠密なわけねぇだろ。冗談も休み休み言えっての」


「嘘じゃないよ!」


涼音は眉尻を八の字に下げ、不満げに口を尖らせた。


「だったら、なんでその隠密様が町方の俺なんぞにあっさり捕まって、縄まで掛けられてたんだよ」


阿茶屋は呆れたように、涼音の丸い額を指先で小突く。


「痛っ! ……それは、それだよ! いろいろ事情があったの!」


涼音は小突かれた額を押さえ、むっと阿茶屋を睨み返した。


その時だった。


キンッ!


乾いた金属音が、山道に鋭く響き渡る。


二人は弾かれたように顔を上げ、茂みの隙間から山道へ目を向けた。


二人が目を向けた時には、勝負はすでに決していた。


弾き飛ばされた上月の打刀が、薄暗い木立の中を舞っている。


そして、その喉元には頭目の切っ先が突きつけられていた。


「上月様……っ!」


阿茶屋の頬から血の気が引く。


すぐさま刀の柄へ手をかける。


だが、今飛び出せば、あの切っ先が上月の喉を裂く。


阿茶屋は歯を食いしばり、柄を握ったまま状況を見守った。


喉元に刃を突きつけられても、上月の瞳から気迫は消えなかった。


「貴様……これが何であるか、その浅はかな頭で理解しているのか」


頭目を鋭く見据え、静かに問いただす。


対する頭目は、獣じみた卑俗な笑みを浮かべた。


「ああ、知ってるとも。帝へ献上される『六千両』、だろ?」


男のどろりとした視線が、背後の駄馬に積まれた箱へ向けられる。


黄金の輝きを想起させるように、彼は満足げに舌なめずりをした。


「身の程を知れ。貴様のような野盗が触れてよい品ではない」


「はっ、御高説痛み入るぜ。だがな、奪っちまえば俺のもんだ」


上月の右手が、わずかに、だが確実に脇差へと動く。


一矢報いんとするその指先。


しかし、その動きを封じるように、隣の眞田が上月の腕を抑え込んだ。


「……なっ、眞田!? 何を――」


驚愕に目を見開く上月に対し、眞田は一切目を合わせない。


ただ頑なに首を振り、腕を放さない。


「おい、こいつらを縛り上げろ!」


男たちの怒号と共に、太い麻縄が上月たちの身体を締め上げる。


「殺さぬのか。後悔することになるぞ」


呻くように上月が声を上げる。


「命なんざいらねぇ」


頭目は興味を失ったように刀を引くと、吸い込まれるような鋭い音を立てて鞘に収めた。


「いるのは金だけだ」


頭目は愉悦に歪んだ顔で上月を見下ろす。


「ならば、我らをどう扱うつもりだ」


「ここに捨てていく。運が良けりゃ生き残れるさ」


挑発的なあざ笑いに、上月の拳が白くなるほど握りしめられる。


「……上納金は、必ず取り戻す。この狼藉、ただで済むと思うな」


「いいねぇ、その目だ」


不敵な笑みを浮かべる頭目。


「そうでなければ、こっちも張り合いがねぇ」


「張り合いだと・・・・何を言っておる」


上月は訝しげに眉をひそめた。


しかし御子柴は返答せず、ただ匂わせるような笑みをいっそう深めるのみであった。


そこへ慌ただしい足音が響く。


頭目が山道の奥へ目を向けた。


二人の男が、息を切らしてこちらへ駆けてくる。


「……ほう。首尾は如何だ」


「へい……終わりやした」


二人は肩で息をしながら、揃って頷いた。


頭目は満足そうに頷きかけたが、二人の後ろに誰も続いてこないことに気づき、眉をひそめる。


「……加藤はどうした」


二人は気まずそうに顔を見合わせ、口をつぐんだ。


「どうしたと聞いている」


頭目の声が低く唸る。


「そ、それが……ガキを連れた見慣れねぇ男とやり合ったようで……」


「ガキを連れた男だと?」


「へい。加藤の奴、そいつに……」


男は言いにくそうに視線を落とした。


「やられたってのか」


「……へい」


頭目が二人を鋭く睨みつける。


男たちはびくりと肩を震わせ、揃って身を縮めた。


「ちっ……どうやら、また話が変わってきたようだぜ」


頭目は苛立たしげに額へ手を当て、大きく息を吐いた。


そして二人に背を向けると、後ろ手に縛られた上月と眞田のもとへ、ゆっくりと歩いていく。


上月の前で足を止めた。


「……どうします」


そう問いかけながら、頭目はゆっくりと顔を動かす。


だが、その視線が向けられたのは上月ではなかった。


隣に立つ、眞田だった。


「眞田殿」


「……なに?」


上月は目を見開き、頭目と眞田の顔を見比べた。


「眞田……お前……」


だが、眞田は上月の声にも顔色ひとつ変えない。


縛られたまま静かに一歩前へ出た。


「やったのは、阿茶屋とかいう同心だよ」


落ち着き払った声で答え、頭目をまっすぐに見返す。


「御子柴」



「やっぱしね」


草むらの陰から探るように先を覗き込み、涼音がぽつりとこぼした。


「何がやっぱしなんだよ」


阿茶屋は目をぱちくりさせ、不思議そうに問い返す。


「耳を澄ませば、真相は自ずと聞こえてくるものさ」


涼音は前方を見つめたまま、面倒そうに答えた。


「聞こえるはずねぇだろ。一体どれだけ離れてると思ってんだ」


「ふっ」


涼音は得意げに鼻を鳴らした。


「……本当に聞こえるのかよ」


「隠密だからね」


「…………」


阿茶屋は面白くなさそうに口を真一文字に結んだ。


やがて、わざとらしく居住まいを正す。


「分かりましたよ。で、何がやっぱりなんですか、隠密殿」


涼音は横目でじろりと阿茶屋を見た。


「あの眞田って奴は、賊とグルだってことさ」



♢


「眞田、貴様……!」


上月は顔を歪め、眞田を睨みつけた。


「お前が……お前が、こやつらを手引きしたというのか。答えろ、眞田!」


「……」


眞田は振り向きもせず、上月に背を向けたまま口をつぐんでいた。


「なぜだ。なぜ、幼き頃から苦楽をともにしてきたお前が、このような裏切りを……!」


上月は歯を食いしばり、後ろ手に縛られた拳を震わせる。


「……従うほかなかったのだ」


眞田の声は、ひどく静かだった。


「これは、殿の命なのだよ」


「なに?」


眞田はそこで初めて振り返った。


「殿から、上納金を都へ届けさせるなと命じられたのだ」


淡々と告げられたその言葉に、上月は呆然と眞田を見つめた。


「なぜだ。なぜ父上が、そのような命をお前に……」


上月の額に、じわりと汗がにじんだ。


眞田は上月と目を合わせようとはしなかった。


「理由は何も聞かされておらん。ただ――」


「ただ?」


「これは天命である。そう思って従えと言われた」


眞田はわずかに目を伏せると、再び上月へ背を向けた。


「天命だと……。なんだ、それは」


「おっと。そこまでだ」


御子柴は二人のやり取りを遮るように、横から口を挟んだ。



「話が違うんじゃねぇのか、眞田殿」


御子柴は眞田に向かい合い、肩をすくめた。


「それはこちらの台詞だ。ここで落ち合う手筈ではなかったはずだ」


眞田はそう言いながら、背後で縛られていた両手首を軽くひねった。


するりと縄がほどけ、地面へ落ちる。


上月は、足元に落ちた縄をただ凝視していた。


「遅ぇから迎えに来てやったんですよ。おかげで、こっちは一人やられましたがね」


御子柴は苛立ちを露わに眞田を睨みつけ、荒々しく片腕を振り下ろした。


「こっちは腹が立つのを我慢してんだ。あんたがそんな態度なら――」


「頭を冷やせ。算段が狂っただけだ」


眞田は自由になった手首をぶらぶらと振り、残った縄の跡を指でさすった。


それから静かに山道へ視線を走らせ、鬱蒼とした木々の奥を見据える。


「まだ近くにいるはずだ。探し出して始末すれば済む」


「……いいのか」


御子柴は怪訝そうに眞田の顔をうかがった。


「かまわん。どうせ迷い込んだ鼠にすぎん。何とでもなる」


眞田は興味なさげに肩をすくめた。


「そうかよ」


御子柴は呆れたように鼻を鳴らした。


「……眞田。お前は……」


上月が、かすかな声を絞り出した。


眞田の動きが止まる。


「すまない、上月」


眞田は上月に向かって静かに頭を下げた。


「だが、この命には従わねばならぬ」


そう告げると、御子柴へ向き直った。


「まだこの辺りに潜んでいるはずだ。しらみつぶしに探せ」


眞田は言い捨ててから歩き出しかけ、ふと足を止めて振り返った。


「ああ、それから――一緒にいるガキも始末しろ。あのガキは、少々鼻が利きすぎる」


「わかった」


御子柴はにやりと笑い、二人の男へ目配せした。


男たちは無言で頷くと、刀の柄に手をかけ、周囲の茂みを探り始めた。





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